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【読書感想文】「異端のチェアマン」-Jリーグが戦った2020年危機 -

2020年2月23日。

入場者数14,526人。ほぼ満員のヤマハスタジアム。

そのバックスタンドで、私は試合終了のホイッスルと同時に勝利の雄叫びをあげていました。

明治安田生命J2リーグ開幕戦「ジュビロ磐田 vs モンテディオ山形」。

磐田にとって山形は難敵でした。過去のリーグ戦での対戦成績は、2勝2分4敗と分が悪い相手。

更に2014年のJ1昇格プレーオフでは、後半アディショナルタイムに山形のGKの山岸範宏に決勝ゴールを決められ、J1昇格を阻まれるという思い出したくもない辛い歴史がありました

しかし、この開幕戦は水戸ホーリーホックからレンタルバックした小川航基が前半で2得点。2-0のクリーンシートで快勝。「1年でのJ1昇格」に向けて最高のスタートを切りました。

山形戦でマンオブザマッチに選ばれた小川航基。この年から磐田のエースの称号でもある背番号9を背負った若きエースストライカー。
大歓声で祝福するスタンドを埋め尽くしたジュビロサポーター。

私は、

「難敵山形に勝った!今年こそは勝てる。きっとJ1復帰できる。」

そんな思いを抱きながら、歓喜に沸くヤマハスタジアムの余韻に浸っていました。


衝撃の発表があったのは、開幕戦から2日後の2020年2月25日でした。

Jリーグ公式戦の延期

約3年にわたる新型コロナウイルスとの戦いが幕を開けた瞬間でした。

リーグ戦が再開したのは、その約4か月後の2020年6月28日。

しかし、再開後の磐田は、開幕戦の勢いは全く消え失せていました。

再開試合となった無観客試合のアウェイ京都戦は、天敵ピーターウタカに2得点を許し0-2で完敗。その後の超過密日程での戦いでも、思うように勝ち点を積み上げることができませんでした。

シーズン途中の10月2日にフェルナンドフベロ監督は更迭。結局、J2リーグ6位という、磐田史上最低の成績で2020シーズンを終えました。


2020年の磐田の不振は、コロナ禍による中断のせいだと言うつもりはありません。他クラブだって同じ条件なので。

しかし、リーグ戦中断により出鼻をくじかれ、スタートダッシュできなかった結果を踏まえれば、磐田にとってこの中断期間、そしてその後の超過密日程は少なからずマイナスに働いてしまったように感じます。

思い起こせば、あの約4か月の中断期間中、磐田は練習試合や大久保グラウンドの練習風景をYouTubeやDAZNで何度も配信していました。ファンサービスの一環だったと思うので、当時のクラブの英断には感謝しています。

しかし、一方でリーグ戦再開直前にに情報公開し過ぎた感もあったと思います。再開後の磐田は伸び悩んだ結果を考えると、敵に塩を送ってしまった可能性もあったかもしれません。


最初は良かったけど、終わってみたら苦しい思い出しか残らなかった2020年のジュビロ磐田。


一方で、当時世界中の誰もが「正解がわからない」新型コロナウイルスへの対応に対し、当時のJリーグのチェアマンだった村井満さんの手腕は、関心を持って見ていました。

特に印象深く感じていたのは、村井チェアマンの

「決断の早さ」

でした。

プロスポーツ界で、真っ先に興行延期の判断をしたのがJリーグでした。

村井満チェアマン率いるJリーグが、コロナ禍当時、舞台裏でどのような奮闘を繰り広げたのか?

コロナ禍が明け、2024年の現在に至るまでずっと心の奥底でその関心が眠っていたのですが、克明に記した書籍に、出会うことができました。

「異端のチェアマン」村井満、Jリーグ再建の真実

きっかけは、X(旧Twitter)で、ファジアーノ岡山サポーターのゼロファジさんや、ジュビロ磐田サポーターのけーすけさんが読了後の発信されていた事でした。

きっと、コロナ禍当時を含め、村井満さんの戦いや業績を知ることができると思い、書店に走りました。




■ リーマン・ショック

村井チェアマンの決断の早さ。

それはキャリアに大きく影響されたものでした。

1983年に日本リクルートセンター入社。1988年のリクルート事件の時には人事を担当。事件の影響で離れる社員や採用内定辞退を防ぐことに奔走します。

2004年には、リクルートエイブリック(後のリクルートエージェント)の社長に就任。社長在任時の2008年、リーマン・ショックに対し経営判断の遅れから300人の希望退職を募らざるを得ない状況に追い込まれています。雇用に手を付けたことは断腸の想いであったことを述懐しています。

そこでの教訓として、村井さんが語った言葉が印象的です。

「スピードは、経営者にとって本気度の代替変数である」

ちょっとした危機であっても即対応。
危機に対してはスピードこそが命。

まさに危機対応の鉄則を一言で表現しています。


私は経営者ではありません。

しかし、危機対応の鉄則は、どんな業界・立場においても共通していると考えます。私も特に若い時は、ミスに対して何とか自分で対処しようとし、結果として後手に回った苦い経験があります。似たような経験を持った方は少なくないと思います。


話を戻して、2020年のコロナ危機。

コロナ禍初期に関する当時の世界の主なトピックスは以下の通り。

中国武漢封鎖:2020年1月23日
WHO 緊急事態宣言:2020年1月30日
日本政府 最初の緊急事態宣言:2020年4月7日

Jリーグは、これらよりもっと早い段階からコロナの調査及び対応策の協議を開始していたことを知り、驚きました。

村井チェアマンのリクルートエージェント時代の失敗から学んだ「即対応」の教訓がしっかり生かされていたのです。


しかし、試合を延期するということは、Jリーグに関わる多くの人の経済活動に影響することから、当時のこの判断は今でも賛否あると思います。

しかし、当時コロナに対して本当に何が対策として正解かわからなかったのを憶えています。このような中で、感染へのリスクを最小限に抑えるために、試合の延期を判断しなければならなかったことは、やむを得なかったと思います。

前述の通り、ジュビロ磐田の年間成績としては厳しい2020年でしたが、当時のJリーグの判断は支持しています。


■ NPBとのタッグ

Jリーグの決断の早さ以上に驚いたのは、2020年3月2日のNPB(日本野球機構)とJリーグの合同記者会見でした。

本書でも触れられていますが、NPBとJリーグのトップが並ぶのは極めて異例な事に感じました。

なぜか?

Jリーグ草創期の川淵三郎初代チェアマンと読売新聞社社長の渡邉恒雄が対立していた時代を知っていたからです。

私は2019年からJリーグを観戦していますが、子供のころからずっとプロ野球ファンで巨人を応援していました。

それゆえに、ナベツネさんとJリーグの関係が良くないことを昔から知っていました。

具体的には、ヴェルディに読売という企業名を入れられないことに対しナベツネさんが異を唱え、川淵チェアマンは頑として譲らなかったことから、それが「Jリーグ vs プロ野球・巨人」という対立構造に発展していました。

しかし、時を経てJリーグとプロ野球という日本の二大プロスポーツ界が、未曽有のコロナ危機に対してタッグを組む構図は、感慨深く感じた思いでした。

この両者タッグを組むに至る経緯が、実に克明かつ重厚に描かれていて一気に引き込まれた部分でした。




村井チェアマンの奮闘の詳細は、ネタバレになるので割愛します。Jリーグファンならば非常に興味深く読むことができる良書だと思います。

私自身Jリーグ観戦歴が約5年と浅いのですが、実体験したコロナ危機以外に、DAZNとの契約、2ステージ制導入など、詳細まで知り得なかったことに対しようやく理解することができました。


2023年。
コロナ禍は終焉を迎えました。

スタジアムでは気兼ねなく声出し応援やチャントを歌い、選手と直接触れ合えるファンサービスも復活しました。

あの非日常を過ごした約3年間において、村井満チェアマン始めJリーグに関わる多くの人達の戦いが記された本書の意義は大きいと感じます。


2020年6月27日。
約4か月の中断を経て再開を果たしたJリーグ。

再開時、全サポーターに対し以下の動画が公開されました。

本書を読んだ上で改めてこの動画を観ると、村井チェアマンとJリーグの当時の奮闘に対し、改めて感謝の気持ちが湧きおこります。



最後までお読みいただきありがとうございました。
Jリーグとジュビロ磐田のファン・サポーターに歓喜が訪れることを願って。



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