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重め文学を読了するコツをつかんだかも

2024年にやりたいことリストの1つに「毎日小説を読む」がある。去年も同じような目標を立てた気がする。というか、去年は、それに加えて、毎日この執筆日記を書くとか決意した気がする。どちらも続かなかった。

でも今年は、一応「毎日小説を読む」は続いている。しかも長年(下手したら10年くらい)買ったけど読めていなかった、いわゆる積読本をもう2冊も読了した。すごい。

続くコツ①は、デスクの棚に置いておくこと。仕事のやる気が出ないときとか、疲れたときとか、気分転換したいときに、ひょいっと手を伸ばして開ける場所に置いておく。これだけでずいぶん読めるようになった。

続くコツ②は分量を気にしないこと。毎日とりあえず開いてみる。読むのは1ページでも1行でも構わない、とハードルを下げておく。たいてい読み始めると1行で止まることはない。結構読んでしまう。

そして続くコツ③は、少々わからないとこや読み飛ばしたところや忘れたところがあってもいいや、と開き直る。目で文字を追って、そこから得られる感覚だけで、満足する。この文面白いなーとか、そんなんでいい。しっかり把握しようとすると、どこまで読んだかが気になって一区切りつくところまで読まなくちゃって思って②のハードルが上がるけど、開き直れば、開いて眺めて楽しんで、また閉じればいい。

良い小説は1回読んで終わりではない。また読めばいい。そう思ったら、重めの文学を読むハードルもずいぶん下がった。目から文字列を脳に入力して、脳が何かの反応を起こせば、それでいい。何かの単語や表現を見つけて、心にふっと何かが浮かんだら、それでいい。出てきたエピソードから何かを連想して思いを馳せることができたら、それでいい。いっそのこと、一度読了した本なら、ランダムに開いたページを眺めるだけでもいいかもしれない。

そんな感じで、小説との付き合い方が変わったら、毎日読めるようになった。以前は、食らい尽くすように読んでいた。一度読んだものを読み返すことに興味が向かなかった。消化して血肉にしたつもりでいたけど、どうなのだろう。文の抜粋を読み返しても、覚えていなくて、毎度、ハッとする。

今は、散歩するみたいに読んでいる。読み終わると、お気に入りの散歩場所が増えていく。その場所をくまなく散策したわけではない。見落としもいっぱいあるし、自分の好きなように歩き回っただけかもしれない。でも、そこは確実に「場所」としてわたしの中に新しく増えていて、わたしが現実の困難に直面したときに、その困難を考えるのにふさわしい場所に行って、ベンチに腰を下ろして、考えることができるようになった気がする。

1月に入って読了した本は『忘れられた巨人』カズオ・イシグロと『族長の秋』G・ガルシア・マルケスだ。たまたまだけど、どちらも寓話的というか神話的というか現実には起こらない要素が入っていて、生々しい夢の中にいるようにどこかつじつまが合わなく、つかみどころがないところもある。だけど、前者は民族同士の争いの根深さ、後者は独裁者の愚かさを描いていて、まさに今の世界に通じている。

侵略や、ジェノサイドや、災害や、弱者を踏みつけにする権力者や、そういう現実の出来事を詳細に伝えるニュースと、「物語」の違いはどこにあるのだろう。

物語を読むと、本当は恐ろしくて考えたくないこと、逃げ出したいこと、自分には起こらないと信じて切り離してしまいたいこと、見て見ぬふりをしたいことに、読む前よりも向き合える気がする。物語の中で疑似的に「経験」したからだろうか。

次は安部公房『壁』を読み始めました。

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