見出し画像

珠洲市で被災した相互フォロワーさんの話を伝えたい

今日の午後、「突然失礼します」と、SNSに相互フォロワーさんからダイレクトメールが届いた。何だろ?と思って読んだら、能登半島の地震で大きな被害を受けた珠洲(すず)市から戻ってきたところだと書いてあった。そこには、何度も死ぬ思いをしたこと、避難の様子、周囲の人たちのこと、崩れてしまった家のことなどが書いてあった。

その生々しい経験談を読んで、わたしは急に目が覚めたような気がした。ニュースやSNSで流れてくる地震の被害状況に心を痛めていたつもりだった。何かをしなければと思っていたつもりだった。でも、募金も支援ももう少し状況がわかってから、と思っていた。今は自分の仕事を片付けて、できることが出たらすぐに動けるようにしよう、などとSNSに書きこんだりもしていた。

だけど、それは全部、分厚い膜の中に引きこもって叫んでいるだけの、誰にも届かない自己満足のポーズであって、本当は全然向き合ってなかったことを、ダイレクトメールを見た瞬間に思い知った。

というのも、知っている人が被災したことを知った途端、見聞きする世界が全部変わってしまったからだ。それは、わたしにとって、良い変化だった。わたしがなりたいわたしに近くなった。ポーズからようやく抜けられたし、本当に役に立つことをしていこうと思ったし、今回の地震が他人事ではなく、自分や家族の身にも振りかかり得ることだということをちゃんと受け止めて考えられるようになった。

何かを本当に考えて行動する方法は、案外、簡単なんだと思った。そのことを真剣に考えている人と知り合って友達になればいい。友達の問題は自分の問題になる。そうしたら怖がってもいられなくなる。

ちなみにわたしに話してくれた人は、ぜひ誰かに伝えてほしいと思って、わたしに、メッセージをくれた。本当は自分で発信したいけれど、被災地域が限られているので、SNS上で住所などが特定されてしまう恐れがある。だから、わたしは、その人の代わりにここに書かせてもらう。そんなふうに声をかけてもらって、とても嬉しかった。

ニュースやネットメディアからいくらでも情報を手に入れることができる時代だけど、知らない人から聞く話と、知っている人から聞く話では、質感が全然違う。ここを読んでいる人に、ニュースとは違う感じ方をする文章を届けられたら嬉しい。でも、そんなことはできないかもしれない。できなくてもいいや。とにかく、わたしはこの話を伝えたい。これはいつかわたしに起こる話でもあると思うし、あなたに起こる話でもあると思うから。

実家が珠洲市にあって被災したAさんの話

■地震当日の様子
「我が家は震度6を何度も耐えてきましたが、今回は2階の天井が落ちてきて、屋根も崩れて、住めなくなりました。発表では珠洲市の震度は6強でしたが、おそらく観測点付近がたまたま弱かっただけで、うちの町は震度7だったと思います。外にいた人も立ってられなかったと言っていました。私もトランポリンに乗っているような状態で、家具が横から飛んできて死が頭をよぎりましたが、こたつの下にもぐりこんで助かりました」

町の様子。ほとんどの家がかなりのダメージを受けている。

■避難と避難所の様子
「津波の心配があったのですぐに裸足で裏山に避難しました。しばらくして、大津波警報が発令されているなか、山に残るグループと、避難所まで歩くグループに分かれました。私は小学校に避難しました。避難所では、石油ストーブの周囲にパイプ椅子を並べて、大勢の年寄りが暖を取っていました。横にならずに夜を明かしたようで、かなりつらかったと思います」

■珠洲市からの脱出の様子
「復興ボランティアとしてしばらく滞在する選択肢もあって悩みましたが、自分の家の状態も心配だったので、滞在を断念しました」

「もともと、珠洲市は電車もなく、バスで金沢駅から3時間かかる、陸の孤島です。それでも自家用車なら3時間あれば県境までは行けるのですが、昨日(2日)は朝9時半くらいに出て、県境にたどり着くまで、10時間かかりました。生きている道路は昨日の時点では1本か2本だったと思われます。見たこともない下道をたくさん通っていきましたが、それでも道路はぐしゃぐしゃでした」

片方が完全に陥没した道路


ジャンプ台のようになってしまった道路

「先ほど地元の人から聞いた情報によると、昨日、私が通った道が余震で崩落したそうです。もしタイミングが悪かったら…と思うと、ぞっとしました。巻き込まれた人がいなければいいのですが…」

「脱出する車線も混んでいましたが、珠洲市へ向かう反対車線も混んでいました。おそらく一番多かったのは、親やきょうだいを引き取るための、地元出身者の車でしょう。ほかにもテレビ局の車がありました。また、大阪と大きく書かれた消防車の列や、自衛隊の車両とすれ違い、頼もしく思いました」

■町に対して想うこと
「これは被災前の町の写真です。私はこの町並みを非常に美しいと思います。観光名所なんか行かなくても、こんな風景がどこにでもあるのが珠洲市です。今回の地震で壊滅的被害を受けたことで、この風景があちこちで失われてしまいました。町を出ていった私が願うのは無責任なことかもしれませんが、やはりこの美しい街並みが戻ってほしいです」

被災する前の珠洲市の街並み

■被災していない人に伝えたいこと
「個人の物資支援やボランティアの受け入れ体勢が整っていない段階では、まずは信頼できるルートで募金などの支援を全国の方々にお願いしたいです」

「次に、今、珠洲市で起こっていることは、どこで起きてもおかしくない出来事です。珠洲市は、ただでさえ少ない子どもが、大学や専門学校に進学するときに全員出て行ってしまいますが、似たような地域はたくさんあるし、今後さらに増えていくでしょう。ひとりひとりが、自分たちの地元や地方をどうするのかを考えていかなくてはなりません」

「地震もどこで起こるかわかりません。震度7の地震が大都市で起これば、まさに国難となります。自衛隊の救助の手も回らないでしょう。月並みな標語に聞こえるかもしれませんが、改めて、日本中が、政策としても、個人としても、次の大地震に備える必要があると思います」

—----------------------
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
状況は刻々と変化していくし、わたしも聞きたいことが出てくるだろうし、Aさんも話したいことが出てくるだろうし、またこういった記事を書きたいと思っています。

Aさんのおかげで珠洲市と縁ができた。珠洲市のことをいろいろ調べた。原子力発電所の建設計画があったけれど、住民の強い反対で計画は凍結したそうだ。毎年「奥能登国際芸術祭」をやっている。そして、何度も地震の被害を受けている。知らなかった。今回、元旦という世の中の動きがすべて止まったようなタイミングで、京都にいるわたしでも異様な揺れを感じるような大きな地震だったから、自分事として注目したし、さらにリアルな話を聞けて心持ちが変わった。そこまでしないと、わたしは「いつもどおり」にしがみついて離れようとしない。

ニュースから形成される被災者のイメージは助けを待つ人たちだ。でも、直接話を聞くと、たくましくて、生き抜く力に尊敬できる。人生の先輩だと思える。そういえば、東日本大震災の後に宮城で被災した子と友達になって、同じことを思った。

わたしなんか運が悪いし、体力ないし、ぼさっとしてるし、方向音痴だし、運転もできないし、Aさんと同じ目にあったら、3回くらい死んでいるよ。でも、闘っている人の心に触れて一緒に応援していけたら、少しは強くなるかな。

文責はすべてわたし。Aさんに少しでも悪い印象を持ったとしたら、わたしの伝え方が悪かったせい。伝えることは、とても、怖い。怖いけれど、伝えなければ、何も始まらない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?