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課題解決ブームの落とし穴①PBL(課題解決型学習)/探求学習「あるある」ーなぜ「アフリカの貧困とフードロスをAIマッチングアプリで解決」になるのか。

近年、「課題解決ブーム」だ。
私はいろんなアントレプレナー系のプログラムで審査員をさせていただいているのだけど、テーマが地域課題/社会課題解決のことが非常に増えてきた。私のFacebookにも「あの大手企業と、課題解決チャレンジ! 全17ジャンルの社会課題から選択。最優秀賞100万円」とかの広告が、そうめん流しのように次々と流れてくる。

あるいは中高生教育でも、探求の時間に「課題解決型学習」に取り組むところがどんどん増えている。SDGsを学んだら次はPBL(※)だ! さあマイクロプラスチック問題に取り組む? それとも地域の商店街の活性化?…というかんじ。
(※)PBL=Project Based Learning(課題解決型学習)

そりゃね、複雑化し多様化した現代において社会課題は山積し、世界に先駆けて少子超高齢社会になりながら第4次産業革命に乗りそびれて30年にわたり経済成長せずジェンダーギャップも最下位クラスの日本で、「もはや課題先進国だ! みんなで解決しよう!」というブームが来るのはわかる。また住民の福祉の増進(地方自治法第一条二)を存在意義とする地方自治体がこれを掲げるのも、よくわかる。

でもブームとして「課題解決」と言ってしまうことで、むしろ解決から遠ざかるんちゃうか?と思うことがいくつかあったので、共有させていただきます。

第1回は、課題解決型学習「あるある」

(以下、本文と無関係なスペインの写真が入ります。今回は洞窟があるアルタミラ!)




■ 大切なのは、問題発見力


経済産業省が2022年に発表した「未来人材ビジョン」によると、これからの人材にいちばん必要となるのは、「問題発見力」だという。この30年間、経済成長しなかったなかで専門家が考え抜いたのだから、かなりそうなのだろう。

「未来人材ビジョン」より

そんな流れは新しい教育指導要領にも反映されており、2020年から小学校で、21年から中学校で、22年から高校で、問題発見力を育むための探求学習がスタートしている。その現場にいたり見聞きしていて「あちゃー」と感じることがしばしばあるのだが、いくつかパターンがあることに気がついた。

▶あるある① 課題解決の方向性を設定している

よくやってしまうのが、先生が「海洋プラスチックごみの削減」や「商店街の活性化」などの課題を事前に設定してしまっていること。文字を見てほしい。「削減」「活性化」は、すでに解決の方向性を示している。学生は、探求学習を通じて「何が本質的な問題なのか」を考えなければならないのに、これでは「因数分解を用いて、この二次方程式を解きなさい」という問題が出されているのと同じだ。

問われているのはHOW(どうやって商店街を活性化するのか)という方法を考えることではない。WHY(商店街は何のために存在するのか)という本質まで遡って考えて、本当の問題を探し当てることにある。

「商店街=活性化」という大人の既存のフレームワークに疑問を投げかけることができてこその、探求学習である。課題解決の方向性を先生が設定してしまっては、この機会を奪ってしまうことになる。

▶あるある② 大きくて複雑すぎる課題を設定している

では解決方法まで示唆しない、「海洋プラスチックごみの汚染について」「商店街の衰退について」を課題として提示すれば、うまくいくだろうか。多くの探求学習の事例を見ると、まずは「調べ学習」から入ることが多いようだ。

さて海洋プラスチックごみの、真の問題とは? プラスチック製品が多くて、それが不法に廃棄されているから。うん、なぜそうなったの? プラスチックが安価でリサイクルより新しく作る方が得だから。それをアジア諸国が海に流出させてるから。うん、なぜ? あ、日本がその国々にプラスチックごみを輸出してるからか。うん、なぜ? えっと、戦後日本の人件費の高騰が……

ここに至って、問題の根深さに絶望して”探求”が止まる学生を、たくさん見てきた。いったい、高校生に、何を求めるのか。世界中が全力で解決しようとしている問いをそのまま出しても、「ChatGPTが書いた方が、まだまし」な答えが出てくるのが関の山だ。

探求学習で大切なことは「自分で問題を発見すること」であり、「他人が発見した問題をいくつも知って知識を増やすこと」ではない


▶あるある③ 自分の問題にならない課題を設定している

よし、「世界」は大きいから「地域」の課題にしよう。課題は、「商店街の衰退について」。調べる前に、まずは仮説を立ててみよう。

商店街の衰退の、真の問題とは何だと思う? 後継者不足! なんでそうなった? たぶん、みんな働きたくないから。なんで? 長時間労働だしブラックだし福利厚生とか少ないし…。それが解決されたら働きたい? えー、嫌だ。だって未来なさそうだし、あとややこしい人とか多そうだし、楽しくなさそうだし…。

よし、じゃあもう一度。商店街の衰退の、真の問題とは? 大型小売店舗の進出! なんで? やっぱりそっちの方が安いし、いろいろ揃っているから、みんなそっち行くよね。なるほど、それでも商店街に行きたいとしたら、何がある? …え、でもやっぱり安くていろいろある方がいいし。っていうか、もう買い物ほとんどオンラインだから、そもそも実店舗って要らなくない?

その人が「問題」を発見できるのは、そこに「自分の視点」があるから。なので、どこまでも他人事にしかならない課題を出されても、問いは起動しない。「商店街の衰退」は、たしかに社会課題かもしれないし、先生を含む大人の課題かもしれないけど、学生の課題であるとは限らないのだ。

これらの①②③が揃うと、「(youtubeで見たor授業で知った)アフリカの貧困とフードロスをAIマッチングアプリで解決」という、「おう…できたらいいね」という”課題解決案”が出てくることになる。


■ 「課題解決」の罠

▶「ひとつの正解がない問題」が前提

「問題があったら、必ず唯一の正解がある」という前提があることが、従来の日本の学校教育におけるもっとも大きな特徴である。この時代は、2015年に求められていた人材像のように「注意深く・ミスなく」「責任感をもって・まじめ」に取り組めば、正解にたどり着いた。うん、わかりやすい!

だけど、実際には世の中のほとんどのことが、正解なんてない。あるいは、明確な原因もない。この世にひとつの因果関係だけで成立していることなんて、まずない。私は離婚していて、その理由も問われるままにいろいろと話しているのだけど、まぁ経験者にはわかると思うけど離婚の原因は総合的だ。いちばんわかりやすいどれかひとつを解決したら、ピカピカの新婚時代に戻れるというわけではない(ことがほとんどだと思う)。

なのに「課題解決」という言葉を使った途端、「課題を解決できる答えがある」と思ってしまいがちになる。いや、みんながそれにたどり着かないから、社会課題になっているんだよね…。

学校の先生たちは、これまで「ひとつの正解」があり「それ以外は間違い」な世界観のなかで、生徒を教えるという立ち位置にい続けた。その「馴染みのあるスキーム」の中に、ついつい探求学習も入れ込んでしまう。その結果、もっとも重要な問題発見力を育まない探求学習を行ってしまうことになる。これでは、みんなが疲弊して大変だ。そんな状況を、よく見かける。

でも、これからは問題発見力を身につけないと、学生本人が社会のなかで大変な思いをする。私はいま学校外で中高生対象のアントレプレナーシップ実践学習をやっているけれど、対象は頑張っても数十人だ。先生たちは本当に大変だと思うけど、学校で問題発見力を身につけられると、本当に良いなと思う。


▶「問題をつくる練習」と思ってみてはどうだろう?

自分たちで中高生と共に学んだり、いろいろな学校現場を見てきた経験からなのだけど、おそらく何よりも重要なのは、先生自身が「課題を与えて、それを解かせる」というスキームから脱することである。「教える立場」に慣れてきたから、「正解に導こう」としちゃうのよね。

そこで、提案。PBLは「学生が(テストに出題する)問題をつくる学習」と思ってみては、どうだろうか。たとえば社会(地域)課題としてよく取り扱われる「商店街の衰退」というのは、社会や先生のバイアスがかかった状況判断であり、勝手に自分で問題を設定してしまっていることになる。そうではなく「商店街」という領域だけ指定して、「そのなかで、あなたが自分自身で感じた問題を出してね」と投げてみる。

学生から、いろんな声が出てくるだろう。「なぜ、駐輪場がないのか」「なぜ、角の魚屋の前を通りたくないのか」「なぜ、スタンプカードが紙のままなのか」「なぜ、母はたまに商店街に行くのに、父は絶対行かないのか」「なぜ、あのコロッケ屋はいつも行列なのに、向かいのコロッケ屋はお客が来ないのか」…「なぜ」を出すプロセスが、大切なのだ。

こうして自分だけの問いを立てたところから、謎を解明し、「どうしたら商店街が、自分たちにとって、より素敵な存在になるのか」を考えてみたらいい。

これらの問いは、どれもネット上に答えが転がっているわけじゃないから、商店街や両親へのヒアリングなどフィールドワークは必須となる。そのプロセスの経験自体が学びなのだ…と、PBLの祖とされる教育学者デューイは、たぶん言っているのじゃないだろうか。


▶「課題解決」って訳したの、日本だけかも?

デューイが祖であるとされるPBLは「Project-based Learning」の略であり、直訳すると「プロジェクトベースの学習」である。どこにも「課題」もなければ、「解決」もない。よね?

もちろんPBLには、「自ら問題を発見し、取り組む課題を設定し、解決方法を考え、取り組む」プロセスが含まれる。が、PBLを「課題解決型学習」という訳語で理解した途端に、「問題を発見する」という最重要プロセスが吹っ飛んでしまいがちになるのではないだろうか。それが従来型の学習と大きく異なる部分だから、なおさら。

では、どうすればいいのか。うん。まさにそれが、私自身が感じている問いのひとつです。いま中高生を対象に学校外でPBL学習機会を提供している私たち(リベルタ学舎)の仮説は、「課題」という言葉を一切使わない、というもの。あまりにもレディメイドの「社会課題」や「地域課題」が席巻している2023年だからこそ、この仮説に基づいて、実証実験してみています。

ちなみに、かわりに使っている言葉は、「お題」です。ね、うかつに解決に走り出したりしなさそうでしょ?
これには別の理由もあるので、また次回!

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