湯川カナ(リベルタ学舎・なりわいカンパニー)

早稲田大学在学中に学生起業参加後、Yahoo! JAPAN創設メンバーに。ストックオプ…

湯川カナ(リベルタ学舎・なりわいカンパニー)

早稲田大学在学中に学生起業参加後、Yahoo! JAPAN創設メンバーに。ストックオプション権数億円分を返上しスペインへ移住、フリーライターになる。10年後に帰国、神戸で社会教育の「リベルタ学舎」と複業実践の「なりわいカンパニー」運営。兵庫県広報官。シングルマザー。著書4冊。

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最近の記事

「諸悪の根源」が19歳、雀荘に通いながら知った憲法を知った、だけの話。

今月始まった朝ドラ『虎に翼』を見て、毎朝、10代の頃のきもちを思い出し続けている。 私は小さな頃から、わけがわからない規則に従うのが本当に苦手で、かつ、思い立ったらすぐ行動してしまう癖があった。ルールなんてみんなで変えていけばよかったい! と思っていた。 だから小学校で「チェッカーズカット禁止」のお触れが出た時には、「髪型の自由」を掲げて児童会長選挙に立候補し、演説をし、結果的に学校史上初の女子児童会長になって、校則を変えた。 ただし昭和の男尊女卑アイランド・九州だった

    • 「だからこの人が好きなんだ。」②慈憲一さん(naddist/”灘区民”)

      慈(うつみ)さんのことを書こうと思うと、いつも、ちょっとわらける。ひとつも的を得ない肩書き。モジャモジャの天パ。だいたい名字が「慈(うつみ)」ってキラキラネームだし。 山なんてまったく興味がなかった麻雀打ちでバンドマンの私が、登山部や下山部をつくり、薪ストー部で薪を割りはじめたりしたのは、ただ、この慈さんといっぱい喋りたかっただけでした。 神戸のまちづくり系会議にいた、見た目パンチあるのに伏し目がちの男性が、遠慮がちに「あの、”まちづくり”って言うの、やめません? ……な

      • 「だからこの人が好きなんだ。」①佐伯夕利子さん(サッカー指導者/スペイン1部リーグ”ビジャレアルC.F.”)

        「あなたの本を書かせてほしい」と頼んだのは、後にも先にも一人だけ。 スペイン移住5年目、JALカード会員誌の取材で訪れた。2時間ほど話を聞くうち、こりゃ1回の記事じゃ書ききれんと思い、「いつか本を書かせてください」と手を握って帰ってきた。 その翌週、まだインタビュー原稿をまとめているとき、初めて聞く日本の出版社から「佐伯さんの本を書いていただけないか」とオファーが来るんだから、人生ってほんと不思議だ。 私は「もし自分だったら」と考えるクセがある。佐伯夕利子、Jリーグもな

        • 「イキらず・ハリボたず」。震災・持ち逃げ・コロナ…自分は猪木じゃないと自覚した起業家がたどり着いた経営の話

          私は起業1年で経営に失敗して、その時いちど居場所も従業員も顧客も失って、「私なんて経営しない方がいいんじゃないか、私が事業をすることで誰か幸せになるんだろうか」と落ち込み、しばらく六甲山中をさまよったことがある。 恥ずかしいことに、創業10年となる今年の3月も資金繰りでいったん窮地というかほぼ死地に陥って、「私なんて経営しない方が」としばらく顔を上げられなかった時期があった。ほんま、経営にまったく自信がない。 だからね! 今回のトークイベント「経営って、これでいいのだ」は

        「諸悪の根源」が19歳、雀荘に通いながら知った憲法を知った、だけの話。

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        • だからこの人が好きなんだ。
          2本
        • これからの「働く」を考える
          5本
        • 大学院だよアッチョンプリケ
          1本

        記事

          「自分が事業をすることで、誰かが幸せになるのでしょうか?」 重なる逆境を乗り越え続ける経営者&名物銀行マンに聞いてみたい。

          私の場合、まずは片思いから始まります。「この人の話を、もっと聞きたい!」と、うずうずしてしまう。そして、自分だけで聞くのはもったいないから、対談イベントか取材記事にしてしまう。 もちろん、今回の自由人大宴会のゲストのおふたりも、そう。私の「うずうずポイント」、お伝えします。 ■ 「元プロレスラー」って。神戸に「金八」という魚が美味しくてお安い居酒屋があった。お金がなくて魚好きの私は子連れで何年も通っていた。ある日ふと社長の経歴を調べてみたら、「元プロレスラー」って書いてあ

          「自分が事業をすることで、誰かが幸せになるのでしょうか?」 重なる逆境を乗り越え続ける経営者&名物銀行マンに聞いてみたい。

          「学びと実践」を、自力でつくってみたい中高生、いる?  企画&農業&再エネ、神戸で一緒に挑戦しよう!

          ”やらされる、他人事の社会課題”とかって、もう、よくない? 自分がもっと楽しく幸せに生きていける場所を、自分たちでつくる。そこから始めよう! …というわけで、2021年からぼちぼちやってきた、中高生が自己課題からオリジナルの企画を立て、様々な社会人(地域のコーディネーターやNPOや市役所や企業の人とか)とチームになって実際に本当にやってみる「ワガママSDGs」。 今年はもう一歩進んで、「活動資金作り」や「活動場作り」から、自分たちでつくってみるプロジェクトを開始します。そ

          「学びと実践」を、自力でつくってみたい中高生、いる?  企画&農業&再エネ、神戸で一緒に挑戦しよう!

          「地方創生の前に、まずは自分創生」/地方創生のカリスマ&ロールモデルが口を揃える「自分のため」、そして震災の話

          「自由人大宴会」とは言うけどさ、今回のゲストは総務省地域力創造アドバイザーもつとめる地方移住総合雑誌TURNSプロデューサーの堀口正裕さんと、2025年大阪・関西万博で兵庫県が総力を挙げて展開する「ひょうごフィールドパビリオン」アンバサダーとして知事と肩を並べてパレードする播州織ブランドtamakiniime代表の玉木新雌さんだ。しかも初対面。 さすがに、場が温まって過激な発言が飛び出すには、ちょっと時間がかかるだろう。 ■ 「実は、地方創生という言葉は嫌いです」……って

          「地方創生の前に、まずは自分創生」/地方創生のカリスマ&ロールモデルが口を揃える「自分のため」、そして震災の話

          課題解決ブームの落とし穴②地域課題解決「あるある」ーなぜ「アジアの富裕層向けインバウンドで解決」になるのか。

          この数年、「課題解決ブーム」だ。私はいろんなアントレプレナー系のプログラムで審査員をさせていただいているのだけど、「安易に”課題解決”と言ってしまうことで、むしろ解決から遠ざかるんちゃうか…?」と思うことがいくつかあったので、共有させていただきます。 …というシリーズ。 第2回は、地域課題解決「あるある」。 (※第1回:PBL(課題解決型学習)/探求学習「あるある」ーなぜ「アフリカの貧困とフードロスをAIマッチングアプリで解決」になるのか) ■ 大切なのは「共創」地域課題

          課題解決ブームの落とし穴②地域課題解決「あるある」ーなぜ「アジアの富裕層向けインバウンドで解決」になるのか。

          課題解決ブームの落とし穴①PBL(課題解決型学習)/探求学習「あるある」ーなぜ「アフリカの貧困とフードロスをAIマッチングアプリで解決」になるのか。

          近年、「課題解決ブーム」だ。 私はいろんなアントレプレナー系のプログラムで審査員をさせていただいているのだけど、テーマが地域課題/社会課題解決のことが非常に増えてきた。私のFacebookにも「あの大手企業と、課題解決チャレンジ! 全17ジャンルの社会課題から選択。最優秀賞100万円」とかの広告が、そうめん流しのように次々と流れてくる。 あるいは中高生教育でも、探求の時間に「課題解決型学習」に取り組むところがどんどん増えている。SDGsを学んだら次はPBL(※)だ! さあマ

          課題解決ブームの落とし穴①PBL(課題解決型学習)/探求学習「あるある」ーなぜ「アフリカの貧困とフードロスをAIマッチングアプリで解決」になるのか。

          「地方に答えなんてない」TURNS編集長 堀口正裕さんと、伝統産業復興のロールモデル的tamakiniime玉木新雌さんと、地方創生の本質と現実を考えたい。

          シナジーというかフュージョンというのか。ともかく「かけあわせて、現場でライブで生まれるもの」が大好きなので、トークイベントの際、ゲストで事前打ち合わせしたりしません。 というわけで、今回も、お互いに「お名前は聞いたことあります」の堀口さんと玉木さんに、当日いきなり「はじめまして」からトーク始めていただきまっす。 ただ、なぜ今回はこのおふたりなのか。ここでだけお話しします(つか、この文章をゲストに読んでいただくのが、ゲストにとっても唯一の「事前情報」です)。ひどいな私(←う

          「地方に答えなんてない」TURNS編集長 堀口正裕さんと、伝統産業復興のロールモデル的tamakiniime玉木新雌さんと、地方創生の本質と現実を考えたい。

          酒は濃い目に、自我は薄めに/”悩みのプロ”僧侶の釈徹宗さんと、若者支援D×P今井紀明さんが実は「悩みを解決しない」という深い話

          「えっ、こんな話からスタートして、重すぎないですか? だいじょうぶです??」 冒頭、私がこの投稿を読み上げたら、当の今井さんが面食らっていた。 でも、まじめに「参加者がいちばん主体的に学べる場」を考え抜いて「宴会」という場になったからこそ、できた話だったかもしれない。振り返ってみると。 酒を飲みながら「自由人」と語り合う自由人大宴会。奇しくも7月の回のテーマは「悩むって、これでいいのだ」。ちょうど、いろんなひとに希望を与えたタレントさんが、亡くなったばかり。きっと誰もが頭

          酒は濃い目に、自我は薄めに/”悩みのプロ”僧侶の釈徹宗さんと、若者支援D×P今井紀明さんが実は「悩みを解決しない」という深い話

          必ず行き過ぎる人間に寄り添う釈徹宗さん(僧侶)と、イラク人質経験から10代に寄り添う今井紀明さん(D×P代表)に、話を聞きたい。

          一面に並べられたネタから「もしこの一口を最後に死んでも悔いはない!」と思えるほどの手巻きずしの具材を選ぶとき…以上に悩んで決めてます。イベントゲストのブッキング。 飲んで聞いて喋りながら、自分の生き方をリデザインする、要は飲み会。しかも、徹子ばりに人の話を聞かない(※いや徹子さんはそんなことない)私がファシるので、失礼極まりない扱いもする。それでも来てくださる稀有なゲスト。しかも、その回のテーマに「この人じゃないといけない」と思ったひと。 ということで、今回のテーマ『悩む

          必ず行き過ぎる人間に寄り添う釈徹宗さん(僧侶)と、イラク人質経験から10代に寄り添う今井紀明さん(D×P代表)に、話を聞きたい。

          「徹子の和室」かな? テロワール・クレイジー龍力蔵元&日本食文化クレイジーな大学の先生は「自分の味覚を信じろ」と言った…ような気がする(飲み会だから覚えてない)

          まじめに「参加者がいちばん主体的に学べる場」を考え抜いたら、「宴会」になりました。いやほんと。 突き抜けた「自由人」と酒を飲みながら語り合う月例会。初回となる6月、テーマは「酒を楽しむって、これでいいのだ」。 ゲストは、土壌標本を見ながら酒を飲めるスペースを本社につくってしまったテロワール・クレイジー蔵元『龍力』代表・本田龍祐さん。そして、地域に根ざす食と酒の文化承継を追求したら管理栄養士から大学の先生になってしまった日本食文化クレイジー神戸大学大学院農学研究科准教授・山下

          「徹子の和室」かな? テロワール・クレイジー龍力蔵元&日本食文化クレイジーな大学の先生は「自分の味覚を信じろ」と言った…ような気がする(飲み会だから覚えてない)

          副代表が取り組む、ダイバーシティ&コラボレーション。(そして私は送りバント!)

          「多様なメンバーによるコレボレーションで事業創出」という綺麗事を3年間やってみました。いわゆるDAO(自律分散型組織)かもしれません。そして4年目となる今日から、私もその”リーダー”ではなくて”メンバー”になります…という話です。 いやまぁほんと面倒くさいよダイバーシティとかって。それを面白がれるかどうかなのかもしれないな。 ■ 会社設立は、非常事態宣言下。もともと私たちは、私が経営に失敗して創業1年で拠点を失ったこともあり、オンライン中心で組織運営をやってきた。しかも、

          副代表が取り組む、ダイバーシティ&コラボレーション。(そして私は送りバント!)

          いかに正気を保って生きるか。/ひとり官民連携、兵庫県広報官(アドバイザー)5年間を振り返る

          私の社会人生活は、現場に2人しかいなかったYahoo! JAPANの立ち上げからスタートし、その後はスペインで10年間フリーライター、帰国してからは個人事業からうぶ毛が生えた一般社団法人代表という、いわば「人生ゲリラ戦」だった。 それが、官民兼業(複業)の公務員として、2018年度から22年度末まで5年間、兵庫県広報官(のちアドバイザー)をつとめることになった。人生って不思議だね。 というわけで、この期間にやったこと・やれなかったこと・考えていたことなどを、振り返ってみます

          いかに正気を保って生きるか。/ひとり官民連携、兵庫県広報官(アドバイザー)5年間を振り返る

          力不足だったのに無責任に元気づけてしまったー講演後のひとり反省会。

          私はエンパワーしすぎてしまう。講演の参加者さんから、よく「元気になりました!」「やれる気がしてきました!」と言われる。でも、そのたびに「ちょっと待ってー、落ち着いてー」と思ったり言ったりしてます。それはなぜか。20年前の出来事です。 ▶憧れのライター業! 2001-2007年、私はスペインから『ほぼ日刊イトイ新聞』というウェブコラムマガジンで連載をさせていただいていた。外国での体当たり生活を、おもしろおかしく、ちょっと悲しく書いていたと思う。ヤフーを辞めて、手に入れた、憧

          力不足だったのに無責任に元気づけてしまったー講演後のひとり反省会。