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大変おかしい、チェーホフの「かもめ」について

チェーホフの「かもめ」を読もう、となった。
読んでいたのだけれど、どうにも舞台で観たいなあと思って探してみたら、動画があった。

戯曲だけではよくわからなかったのだが、動画を通じてよくわかった。

さて、改めて上記の動画再生前に見えるスクリーンショットには「喜劇」と書かれている。
「かもめ」は喜劇なのだろうか?
どうやら人はみな「かもめ」が喜劇なのかどうかについて気になるらしく、講演会も開かれたことがあるらしかった。

あるものを目指し、全くそれには至らないことの喜劇性

喜劇のことなんてよく知らないけれど、この作品はなんだかあるものを目指しているのに、全然それにはならない、みたいなことばかりだ。とにかくすれ違いが多い。そうした辺りに、そこはかとないおかしみを感じた。
ざっくり言えばトレープレフ、トリゴーリン、ニーナの三者、そして三者を取り巻く人々が、全然、全く、会話しているのにお互いについて理解しようとしない感が凄まじいのだ。

トリゴーリンは仕事人間で、そうじゃなければ魚釣りのことしか頭にない。
アルカージナは、トレープレフに対しても、トリゴーリンに対しても、とにかく自分の手中で支配しておかないと気がすまない女。支配であって理解じゃない。実に滑稽。
しかしこうした関係はしょうがないのかもしれない。彼女はトレープレフを一人で育てているようにも見える。そうするとトレープレフを支配せざるを得ない。どうしてもそうした構造に陥ってしまう。似たような関係を望んでしまう。トリゴーリンに対しても。

例えば文士。皆、文士を目指してそれになるのに、文士になってみてもその文士自体に納得できない。ソーリンの言うところの「なりたかった」文士にはなれていない。目指していたものとは違う!というわけだ。
恋だってそうだ。実る恋を目指しているのに、うまくやろうとしても全然うまくいかない。だいたいマーシャの気持ちにトレープレフは全然気がついていないじゃないか!

トレープレフ、トリゴーリン、ニーナの三者関係

トレープレフとトリゴーリン、そしてニーナの関係で象徴的なのは劇の終盤だろう。まずはトレープレフとトリゴーリンの関係だ。
トレープレフも文士になれて、少し落ち着いているのだが、書きあぐねている。そこにトリゴーリンがやってきて、トレープレフの書いた小説が載っている雑誌を渡す。
トレープレフはもらった雑誌をめくるのだが、新品の本によくありがちな、ページとページがうまく切れていなかったり、開けていないと少し力を入れてページ同士を剥がしてやらないといけない場合がある。トレープレフの小説のページがそうした、まだページ同士がくっついていることがわかるシーンがある。

トレープレフ (雑誌をめくりながら)自分の小説は読んでいるくせに、僕のはページも切ってやしない。

チェーホフ「かもめ・ワーニャ伯父さん」新潮文庫 p.108 以下引用同書

トリゴーリンとニーナは結ばれるのだが、結婚生活がうまくいかない。トレープレフはニーナを愛しているのだが、ニーナはトリゴーリンとの関係の中で精神が侵されてしまった。
ここで疑問に思う人がいるかもしれない。なぜならニーナはトレープレフとの対話の中で「わたしにはわかったの、得心が行ったの」(p.121)と発言するからだ。得心(とくしん)だなんてちょっとわかりにくい表現だが、納得する、といった意味だ。そうすると、もしかしたらニーナはそこまでひどい状態ではないのかもしれないと思う人もいるかもしれない。
またトレープレフは自分が「妄想と幻影の混沌のなか」(p.121)にいると言う。やはりおかしいのはトレープレフで、まともなのはニーナなのでは?と思う人もいるのではないか。

しかし、舞台を見ればそんなことはないことは明らかである。ニーナと比較すればニーナのほうが明らかに妄想と幻影の混沌のなかにいて、トレープレフは現実に生きようとしていた。トレープレフはちゃんと文士になったのだから。一方ニーナは田舎で仕事をしなければならない。ひもじくて仕事の契約をしてしまった。
トレープレフが愛するニーナはトリゴーリンにだめにされてしまって、トリゴーリンはトレープレフの書いた小説を認識しようとすらしない。にもかかわらず、それでもなおトレープレフ自身の苦悩が消えることはなかった。彼は孤独で、誰も本当の彼自身を理解してはいないように思えてしまった。実に冷静に、理性的に自分の状況を鑑みた結果、絶望したのだ。

最後に

劇が終わったあとで、グッと、何か胸につまるものがある。
だが、これも劇、フィクションなのだ。そう考えると、どうにもフッと気が楽にはならないだろうか。全くもって、現実には至らない、単なるフィクションとして。

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自由の象徴たるかもめは剥製になってハリボテと化していますし、しかもそれをトリゴーリンが覚えにないなどと何度も繰り返し言うのですから、大変面白おかしいことです。


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