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いよいよオペ・入院

前章では、「即刻、入院予約をして帰って」と大学病院のドクターに言われたところで終わりました。

神ってる☆入院日は修学旅行の奇跡

入院日は、奇跡的に三男の高校の修学旅行の出発の朝、しかも、修学旅行明けは、高校も三連休で弁当いらないという奇跡‼️私の人生で数少ないけど、少しずつ私ってツイテル❗️と飛び上がられせたエピソードとなった❤️親孝行息子😭

退院の数日前に三男も見舞いに来てくれたことを覚えている。

三男は勉強は苦手だったが学校の授業で習ったよ‼️と、珍しく口を開いたことがあった。

人間の体の中で甲状腺って臓器は無くてはならないものなんだそうだと、私に教えてくれたことがあった。

私は算数も理科も物理も生物も大嫌いで居眠りしてた方なので、三男をこの時初めて
賢いやん‼️さすが進学校‼️
って見直した!

※名前だけ書いただけやのに定員割れで合格❗️😂いつもビリから数えた方が早すぎる!😭ほぼ十位以内にいた気がする・・泣

入院

入院当日、私が高校まで三男を乗せて行き、病院には夫が運転❗️はじめての夫との大学病院❗️

まるでハネムーンにでも行く?くらいのたくさんのスーツケース押していつものように会話もなく、無言のドライブ🚙無言の待合室も長くてイライラしてそうな夫にドキドキ💔なるべく早く帰ってもらった。笑


オペ・その後


手術は、予定より長くて四時間ほど要したとオペ三日後に執刀医の役所広司風のドクターから聞かされた。

※全身麻酔は、その時は人生で七回目くらいだったけど、当たり前だけど意識がないからオペの前の記憶は、「下の剃毛があるの〜いやや〜‼️」の瞬間に意識不明の全身麻酔をかけられたようだった。毎回そうだけど・・剃毛は嫌い。恥ずかしい。情けないけど、その時だけは意識がなくて良かった!と思った。あんな恥ずかしいことは、ない。。。。。。。泣

入院中、毎日会えると勘違いしていた役所広司風のドクターとは、三日後に初ご対面だった。

連日、若手ドクターしか病室には来てくれなくて、それは入院中の唯一の楽しみを「騙された~」「裏切られた~」と叫びたいくらいな出来事となった。

※ただ後々、そのドクターのことは、大嫌いになるという出来事もあるのだけど。。。まだここでは、知る由もなく・・。またしても恋は盲目。懲りずに・・(-_-)zzz

それでも、「取った細胞には、二十個ほどの癌細胞があって、気づいて良かった。だいたいそうなのよ。一個しか映ってなくても開けるとそうなんだよね」と、爽快な笑顔! (^_-)-☆

 その時の写真を私に見せて下さったが、焼き肉のホルモンが細く連なってるような気持ち悪い物体だった"(-""-)"
 しかもリアル癌細胞をドクターは、オペを外で待機していた夫と父母にも生ホルモン、見せたからね‼️と三日後に教えられて親不孝娘だなぁ、と消沈したのだった。子ども達の帝王切開にしても何回手術するときも常に父母らも同席させて・・ごめんね。って思うことでした。

※ちなみに妹も二回とも帝王切開(-_-)zzz
弟は、盲腸にほかにも親にストレスかかる入院を何度もしています(-_-)zzz

 

全摘後の傷とその後


全摘は首のシワのあたりをしっかり十五㌢切開して、右側のリンパを猫が引っ掻いたようにね!   根こそぎこさいで、取ったからね。太目の肌色や透明な絆創膏がしっかりと貼られていて縫ってある糸も生々しく、両サイドからは、何か管も出ていて常にそこから点滴の袋みたいなものもつながっていてぶら下げられていて、どんどんそこに血液も溜まっていくようでトイレや食事で室外に出歩くのが恥ずかしいと感じる痛々しさの数日だった。

もちろん、点滴もつながっていてトイレにいけるようになるまでは、一日くらいだったか、下の方も管が入っていて、まさにがん患者そのものだった。

辛かったことは、甲状腺科ではなくて、違う階しか空いてなかったか、手違いかであとからすぐに移動しますからと、言っていたわりに最後までそこの病室となったことだった。

同じ病名の人とか、似たような体験をされている人と話ができると良いなって期待していたのだけど、同病室の人たちは、どこが悪いのか、わかりづらくて、それでもずっと長く入院されているような雰囲気もあって、軽々しく友達になっては、いけないんだろうなぁ。と、大学病院に息子たちが三回小児外科に三泊四日で入院した時の教訓がまだ私にも残っていたのだった。

教訓=自分だけが悲劇のヒロインではない。。。。

病院内に妹も務めていたことで妹とは、何回も会えることは、とてもうれしくあり、気持ちが落ち着く瞬間だった。         つづく

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