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まさかの即刻入院手術予約❗️までの道のり③

私の仕事の都合で土曜日に休みをもらえず、癌の診断までに3ヶ月要したことでクリニックから大学病院に替えてもらうことにした。

大学病院との腐れ縁

 大学病院には、妹も医療とは違う分野で勤めていることもあり、とても心強かった。

 そして、妹の家も大学病院から五分以内のところにあった。これまで妹とは何かにつけて、自己愛の母との合間で事実が時としてまっすぐに伝わらないことが多々あったことで、本当の姉妹なのに何か違和感を抱きつつ過ごしてきた気がする。

 それでもスマホの普及や子ども達の成長もあって、二人で一緒に通院するようになったり、ついでにその道中にランチなんかも四十半ばにしてようやくできるようになってきて、二人きりで話しをすることで何かがハッキリとしてしまったのだ。

 また違う章で自己愛パーソナリティの親のことも綴りたいと思う。

 癌になったことは、不幸だけど、妹とあちこちの古民家カフェやランチに行ける喜びで波瀾万丈の割にツイテル!ところがある😊と幸せも感じることができてきたのだった。

 また、大学病院は、実は初めてではなかった。※注釈参照下段へ

まさか、ここにまた通うことになるとは、思いもしなかったし、私が患者という立場でお世話になるとは想定外のことだった。

 こちらで大学病院に世話になっている患者さんたちのイメージは、たいてい後期高齢者で癌の末期の患者さんが入院するところというイメージがあり、私より上の同僚や先輩たちでも親の看病などで通院されている人はいたのだけど、なんたって私なんか職場ではまだまだ中間世代の若手。それなのに癌1号だったから、人生何があるか、わからない。

 ただ、その時は、私はガンはガンでも初期の初期、そして、一生温存できる癌・・。それくらいにとらえていたのだけど、その日は意外に早くやってくるのだった。


※注釈・・・出産後、実家で養生して一週間で3人ともまさかの鼠蹊ヘルニア持ちだとわかり、小児外科で三泊四日のオペ三人済み。(子ども達は生後一ヶ月以内のことで、もちろん彼らにその記憶はない)

しかも、次男に至っては、目が見えるようになる頃に何か焦点が合っていなことに気付き、二歳と四歳で内斜視2回のオペもそちらでお世話になった。オペまでが長くて、普通の上の子とは違って公園に連れていくのも少し躊躇するほど、一瞬で目がおかしいな。ってくらいに次男の両目は極度の寄り目で生まれてきたのだった。

ずっとずっと赤ちゃんの頃から通院していたので、まさに古巣というか、いやなこともたくさん思い出してしまう大学病院でもあった。今度は私か・・という思いも・・。


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