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杉山久子の俳句を読む 23年06月号①

深き深き森を抜けきて黒ビール

(句集『泉』所収)

 ビールの歴史は長い。紀元前数千年前、農耕の始まった頃よりビールは人類の文明と共にあった。いま人類と書いたが、主にはメソポタミアやエジプトであり、この地域は降水量が少ないため森林はない。掲句の森が単なる心象風景ではないとしたら、中世から近代にかけて消失した、ヨーロッパの広大な森を想起させる。そうだとしたら、ヨーロッパの歴史について語ることが、そのまま句の世界を語ることに繋がるだろう。
 かつて「深き深き森」には妖精が住まい、多神教のケルト人たちがドルイドと呼ばれる僧の元で畏敬の念をもって自然を崇拝し、輪廻転生と魂の存在を信じていた。やがて彼らはローマ帝国に支配され、一神教で人間中心主義のキリスト教の布教により北へ放逐された。さらにはゲルマン人を中心とする民族移動時代、産業革命に伴う伐採を経て、森は千数百年をかけて切り拓かれていった。こうして現代のヨーロッパは陽光に晒された明るい土地になったのである。
 民族の入れ替わり、都市の勃興、交易や戦争の繰り返しの歴史の中でも、一時期のイスラムの支配を除けばアルコールは愛され続けた。酩酊による享楽を伴うも、中世の修道院や都市を中心に醸造された上面発酵の「エール」は薬でもあったし、腐りにくい保存飲料として、特に大航海時代に活用された。
 時代は下がり、科学的な殺菌手法が確立すると、低温で下面発酵のラガーが生まれた(今、ビールと言えば大抵はラガーのことである)。「ビール」という季語は、これらエールとラガーのどちらも含む。「黒ビール」はどちらにも存在し、発芽した麦芽の成長を止めるために施す、焙燥または焙煎の温度が高いためである。いずれにせよビールは製造過程で麦芽を殺しているわけだが、黒ビールでは焦がしているのだ。ビールの進化と共に、多くの民族の苦難の歴史や、失われた森の深さが、黒のイメージにつながっていく。グラスに溢れるほど泡立ち、耳を澄ませば気泡の弾ける音が聞こえる。
 掲句に、仮にドイツの古い地名でもひとつ持ち出せば、それらしい句になっただろうが、浅薄に思われる。固有名詞に頼らず、「深き深き森」という抽象的な言葉を、「黒ビール」という季語に結びつけることなしに、これほど大きな時空は獲得できなかった。
 この黒ビール、人類の歴史の上にある一杯ではないだろうか。


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