見出し画像

『子持ち様』という言葉に、思うこと。

郁です。
先日、ヤフーニュースにてこんな記事を読みました…。

確かに近年、職場や社会において「子持ち様」という言葉が頻繁に用いられるようになっているようです。(私の周囲では聞きませんが)
個人的にいろいろと思うことがあったので、書いていきたいと思います。


そもそも:『子持ち様』とは何か?


「子持ち様の尻拭いや仕事を肩代わりしても見返りゼロ」
「『独身だから家の都合ないでしょ?シフト変わって』と言われたことがある」
「子持ち様の業務を巻き取ったらこんな時間。マジで滅びねーかな」

「子持ち様」とは子育て中の父母を指す言葉で、ネット上で使われることが多い…スラングですね。
特に、上記のような内容で幼い子供を持つ親を「子持ち様」と揶揄し、子育て世帯に向けた皮肉として使われています。
そしてこのように、子育て世帯の方を強く批判する声をSNS上で見たりすることがあります。

この言葉には、否定的なニュアンスが含まれています。
子育てをしている人は周りに迷惑をかけてもいいと考えている、
あるいは特別扱いを求めているーなどといった批判が込められています。

なぜ、子どもがいる側といない側が対立する状況になるのか?

SNSを見ていると、主に会社での不公平感をつぶやいている方を見かけたりしますね。

例えば、子育て中の社員がお子さんの急な熱で早退したり、休んだりした場合、誰かが代わりに業務を行う必要が出てくる場合があるんですよね。
そうした時に、代理対応をした社員へのインセンティブや評価体系がないため、サポートする側の不満が蓄積している…のかなあと思ったりします。

私も、前職は子育て真っ最中のママさんがたくさんいらっしゃる職場に勤めていたし、今の職場でも子育て中の同僚が2人ほどいます。
上司もまだ小さなお子さんを抱えながら、ご夫婦でなんとか融通をきかせながら働いていらっしゃいますね。

同僚の1人は、まだ小さいお子さんを抱えているので、午前勤務。
そのため彼女は、いつも「午前中だけで申し訳ない…」「みんな忙しいのに…」と言っています。

私個人としては、別に怠けているわけでもなし。
むしろ午前中働いて、そのあと家のことをして子供の面倒を見て…大変だなあ、すげえなあと思うくらいで、嫌な思いをしたことは一度もありません。

もちろん、彼女の仕事の代理対応をすることもありますが、その代わりにできることは引き受けてくれたり、私が困っているとサポートしてくれたりするんですよね。
(むしろ気を遣ってもらって申し訳なくなるくらい)

私たちの場合は、お互いへの思いやりだったり、お互いの立場を尊重していたりするから嫌な思いをしたりすることはないけれど、そうでない場合はやっぱり不満がたまったりするのかなあ…と思います。

あとは、会社側の対応も重要なのではないかと思います。
うちの会社は、いつでもだれでも、有休がとりやすい会社です。
午前半休だったり、早退もしやすいです。
それは子育て世帯・独身など関係なく、すべからくみんなそうなので、不満が生まれにくいような気はします。
(もちろん、代理の要員を確保した上での休みになりますが)

これがたとえば、子育て中の社員だけがケアされている、などの特定の社員だけが得をするような状況になれば、『不公平感』が生まれやすいのかもしれませんね…。

『お隣の生活』が見えやすくなった

2023年3月に発表された国連の「世界幸福度レポート」によると、日本の「幸福度」は47位。
日本では近年、自分に直接関係のないことにも「許せない」と過敏に反応する人々が増え、寛容さが失われつつあると感じます。

これが独身や子持ち・子なしの世帯の間で「分断」が起きている理由の1つに挙げられたりするのかなあ、と思います。

もともと日本は、髪の色やスカートの長さのように奇妙なところまで縛る厳しい校則社員の私生活や性格にまで踏み込んでくるような上司、といったことや、「出る杭は打たれる」といった日本人の国民性も幸福感を奪っている「寛容のなさ」につながっているかもしれません。

また、SNSでなんでも発信・拡散できるようになったことも『不寛容さ』を助長させる原因の1つでもあるかもしれません、

たとえば、事件の加害者の個人名と写真を特定・拡散したり、芸能人が「いい天気」と書くと「まだ被災地は大変なのに…気持ち考えて、不謹慎」…と、いわゆるネットでの不謹慎狩り、間違った正義感を振りかざすといった行動は日常茶飯事だと思います。

さらに、SNSでは『お隣の生活』が目に入りやすいというのも、私たちの中の『不公平感』を助長する遠因となっているのかもしれません。

SNSで繋がっているあの人はあんな素敵な生活をしているとか、あのひとはあれだけ頑張っているのに私は頑張っていないと思ったり、妬みや嫉みをい抱きやすい環境でもありますね。
もちろん、適切な向き合い方をしていればSNSも悪いことばかりではないのですが。

どんな風に生きれば「幸せになれるのか」がわからない時代

私は昭和最後の世代(昭和63年生まれ)ですが、昭和の時代は終身雇用で安定していて、結婚もできて家も建てることができていたので、振り回されることが少なかったんじゃないかな、と思います。
(バブル景気なども影響しているので、簡単に令和の今と比較するのは難しいかなあと思いますが)

それが今ではどうでしょうか。
何が正しいのか、どうすれば幸せなのか、という基準が揺らいでいるのでは?と思います。

だから、みんなが不安。
不安だから誰かを叩きたくなったり、分かりやすい正しさにすがって、対立したりするんじゃないかなあと思います。

実際私も、不安がないわけではありません。
いろいろ思うところがあって、独身で生きようかと思ってはいますが、「老後はどうなるかなあ」とか、「振り返ったときに後悔しねえかなあ」とか、思うところはたくさんあります。

不寛容さは自分の首を絞める―できる限り、寛容でいたい

でも、思うんですよね。
こうやって「子持ち様」と言って子育て世帯の方を批判することは、将来たとえば自分が子育てをする側になったときに、同じように批判される側になるだけじゃないの?って。

なんでもかんでも批判をしていると、いつか絶対にそれが自分の首を絞めることになると思うんですよ。

私は独身なので、妊娠出産を経験したことはありません。
年の離れた弟がいるので、子育ての大変さの片鱗は理解しているつもりです。

だから、子どもを産んだ後、生活や肉体的精神的にも思うようにならなくなるのだということはなんとなく、想像します。

つまりそれって、妊娠出産にかぎらず、予想外の怪我や病気になったり、あるいは老化によって思うようにできなくなるのと同じ…
同じって言うと誤解が生じるようだけども、でも「自分の意志で今まで出来たことが出来なくなる(出来ない)時期がある」ってことだと思うんですよ。
つまり、みんな通る道なんですよ。
妊娠・出産しなくても、みんな同じようなことは経験するんだと思うんです。

だからなんていうのかな…『お互い様」だと思ってやっていきたいなと思っています、私はね。
もちろん、公共の場で走りまわっているお子を注意もせずひたすらスマホいじっている親とか、子どもを盾に自由にふるまいすぎる親とかに対しては思うところもありますけど、あるけれども、みんな一緒くたにして非難するのは違うんでねえかなあと思います…ね…。

終わりに

あとね、なんていうのかね、『とりあえずお金を出しておけばいいのではないか」的な政府のやり方も、どうかな~~~~と思う時はありますよ。
子育て支援というなら、もっと制度とかを充実させる方がいいんでないかな…と思ったり…ね。

長々と書きました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。



この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?