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倒立を試みたあとの宇宙 -1-

僕は、何かを思いついた時、メモをしないと気が済まない。

面白いと思ったこと。やりたいと思ったこと。自分なりの考えや主張や物の見方。エッセイや小説のネタ。感情の揺れ動き。

自分の内側にあって、目に見えないようなもの。もちろん、その全てをメモしているわけではない。内側に起こるたくさんの感情や考え。そのうち「残しておきたい」「消えるともったいない」「後でじっくり考えたい」と感じたものをピックアップして、その一つ一つを分け隔てなく言語化し、目に見えるカタチで残していく。

いつからそんな「癖」があったか定かではないが、少なくとも2022年の9月の終わりには、あった。なぜ時期が分かるのかというと、僕がメモを残すのは、チャットツールの個人DMが多いから。ツールの多くは文を送信すると、自動的に送信日時も記録される。昔、メモに使っていたツール(LINE WORKS)のDMを遡ってみたら、「2022年9月29日木曜日」と書かれていたのだ。その時のメモを、久しぶりに眺めてみる。

なぜこれを書いたのかは、はっきりと覚えてはいない。が、その時の自分が「理想の社会像」を描き、「行動する意義や決断」について考察していることが分かる。

他には、2024年の年始のメモを見ると、自分がどんなものに心を動かされるのか、言い換えると「価値観」が滲んでいるような言葉が並んでいた。

写真はLarkというツールのチャット。Larkはチャット機能の他、カレンダー機能・データベース機能なども備わっており、僕はスケジュールやタスク管理にも重宝している

こうして、自分の内なるものを言語化・可視化しておくと、いつもより客観的に自分を見つめることが気がする。自分が書いた言葉でありながらも、他の人が書いたような気分にさえなることがある。「苦しいことがあったら、ノートに書き出すとよい」と聞くことがあるが、それも内側の感情を「自分」と切り離すことで、どこか冷静に、落ち着いて対処できるからかもしれない。

僕のメモは、当たり前だが僕が書いたものである。僕そのものと言っても過言ではない。だから、過去のメモを見返すと、その時なぜ書こうと思ったかは思い出せなくても、書いている内容はだいたい分かる。文が乱雑だったとしても、「あの時のこういう自分は、きっとこういうことを言いたかったのだろう」と予想することは、なんら難しくはない。

と思っていた矢先、こんなメモを発見した。


2024年1月26日。時刻はちょうど11時。

前後の脈略もなく、たった一言。

倒立を試みたあとの宇宙

とある。

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メモを残してから数カ月は経っているとはいえ、冒頭に紹介したものと比べると、全然大したことはない。何を書こうとしたのかを覚えていてもよいはずなのに、何度反芻してみても、一向に思い出せない。

あの時の自分はいったい何を言おうとしていたのか。
どんな意味を、この言葉に込めたのか。
なぜ、メモを残そうと思ったのか。

またの機会に、いろいろな角度から言葉を解釈しながら、答えに辿り着くかも分からない途方もない旅に挑んでみたいと思う。

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