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「なぜ」と問うこと

時々、初対面の人と「1on1」をすることがある。

「1on1」が何かというと、「1対1で誰かと話をすること」だ。話す中身や場所や時間は、そのときどきで変わってくる。

僕の場合、「1on1」の相手はSNSでつながった同世代(高校生から大学生くらい)が多い。相手と自分の住んでいる地域が違うことがほとんどで、基本的にはオンラインで話をすることになる。「直接顔を合わせなくてよい」ということもあって、早朝や深夜帯に話すこともままある。時間帯を(お互いが了承すれば)日中に限定しなくてもよいのは、オンラインならではの良さだろう。話す時間の方は30分から1時間が相場で、盛り上がっても、せいぜい1時間半くらいだ。

話す内容は(相手によっても変わるが)「自己紹介」と「最近おこなっていること」と「将来に関すること」が多い。「将来に関すること」については、就活中の方だと「就職」の話になるし、高校生だとざっくばらんに「将来やりたいこと」を話したりする。そうやってお互いに話して、あとは話を聞く中で気になったことを互いに質問し合えば、意外と30分なんかあっという間にすぎてしまう。ほどよく盛り上がったところで、どちらからともなく「じゃあ、そろそろ30分経ったので……」と切り出したところで、「1on1」はお開きとなる。

「1on1」のトピックとして頻出なのが「地元の話」だ。住んでいる地域が違うと、なおさら互いの出身や居住地の話題になりやすい。そういえば、今日話した人とも、地元の話になった。


〈以下、太字が僕です〉

あのー、そういえば、出身ってどちらなんですか?

○○県です。

へえー、ずっと○○県に住んでいるんですか?

そうですね。生まれてからずっとここに住んでますね。

へえー、そうなんだ。地元を離れたいと思ったことはないんですか?

んー、全くないですね。

それはどういう理由で……。

まあ、地元が好きだからですかね。他の県も、旅行で行く分には魅力的だと思うんですけど、住むとなるとちょっと違うかなって思ってしまって……。

そうなんですね。なんで、そんなに地元が好きなんですか?

〈以下略〉


今日話をした相手に限らず、「地元にずっと住みたい」と答えると「なぜ」と聞かれ、「地元が好きだから」と答えると、また「なぜ」と返ってくる。

まあ、良くある話の展開なのだが、こういう時、「なぜ、人は『なぜ』と質問したくなるのだろう」とふと疑問に思うことがある。この質問も「なぜ」を問うているわけで、物事の理由を知りたいと思うのは、人間の性なのかもしれない。

僕が「なぜ」という問いを立てるタイミングを振り返ってみると、大きく2つに分かれることに気が付いた。

1つは「道理が全く分からない」ときだ。例えば、「なぜ、空は青いのだろう」と疑問に思ったとする。これは空が青いわけが純粋に理解できないから問いを立てるわけで、その裏には疑問に思う物事”それ自体”を理解できるようになりたいという意思がある。

このタイプの問いに答えを出すのは、例えるなら「閉ざされた扉をこじ開けようと試みること」に近いと思う。閉ざされた扉という問いを見つけた私たちは、何かを調べたり、経験を積んだり、誰かに質問をしたりするなかで、その扉を徐々に開いていく。扉はすぐに開くこともあれば、一生かかっても開かないことさえある。解決には、場合によってはエネルギーと労力がかかるのだ。

もう1つは「何かをより深く知りたい」ときだ。物事の背景にあるものを知りたいとか、行動の原理を知りたいと思うのが、このタイプの問いである。問いへの答えを探る過程は、まるで「底の見えない海を潜っていく」かのようだ。ある程度の深さまで潜っても、それに満足ができなければ、さらに深く潜ってみる。それにも満足できなければ、さらに深く深くと、どこまで知りたいのかによって、質問の内容や回数は変わってくる。

こうして「なぜ」には2つの種類があると考えると、「なぜ」という質問の意図には、2種類の可能性があることになる。

例として、僕が今日の「1on1」で聞かれた「なぜ、生まれてからずっと○○県に住んでいるんですか?」という質問をあげよう。

1つの解釈としては(これは僕がいつも思っていることだが)、「『○○県に住む』という行動をとっている理由を知りたい」と相手が思っていると考えることだ。行動の原理を深く知りたいという気持ちから、問いが発せられる。いわゆる「海を潜るタイプ」の問いだ。

もう1つとして、相手が「1つの県に住む(もしくは○○県に住む)なんて、私には全く考えられないんだけど、どうして、あなたはそんな行動をとるのだろうか」と考えていると解釈することもできる。これが「扉を開くタイプ」の問いである。

「なぜ」には種類があるとして、他者とのコミュニケーションの中で生まれる「なぜ」の質問に対してはどう答えるのが適切なのか。

海を潜る質問であれば、一緒に潜っていくスタンスで臨むとよいだろう。相手が深く知りたいと思うところまで、こちらとしては付き合ってあげる(答えていってあげる)と、相手の「知りたい」という気持ちを満たすことができる。

注意したいのは、扉を開けるタイプの問いだ。これには、往々にして「納得ができない」「理解ができない」という負の感情が付きまとっている。その負の感情をプラスに変えようとは決して思わず、自分は「こう思う」とか「こうしている」と事実を述べるようにするとよいのではないだろうか。一緒に扉を開こうとするのではなく、扉の開け方だけを教えておいて、相手が自分の意思で扉を開くのを待つ(放置する)のが得策だと考える。

何かを知りたい、理解したいという気持ちは、きっと人類に共通の根源的な感情であり、抑えることはできない。

ところで、僕は、なぜ「『なぜ』という問い」に、こんなにもこだわっているのだろうか?


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