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尊敬する人

「ねぇ。君には、尊敬する人っている?」と訊かれて、みなさんならどう答えるだろうか?

そんな「尊敬する人」や「憧れの人」がいるかを問う質問は、ある時は学校の自己紹介カードで、ある時は友達との会話で、ある時は「起業家」による講演会で、ある時は自己分析のワークシートで、投げかけられる。

僕はというと、「んー、いないかもしれないですね」とぼんやりと否定することがほとんど。で、相手や場面によっては、「実は、尊敬できない人なんていないと思っていて、『この人のことを尊敬しています』と限定して答えるのが難しいんですよね」とより正確に自分の考えを伝える。

答えづらい質問だと感じているから、相手がこれ以上掘り下げられないように、あえて濁すわけだ。それでも、相手が「もし、一人あげるとしたら誰ですか?」と食い下がってきた時には、「強いて言うなら、関わってきた人全員ですかね」と伝えることに決めている。

昔は、答えるのが簡単だったのに。

毎年4月、新しいクラスが始まるタイミングで書く「自己紹介カード」。お決まりの質問として「尊敬する人は?」があった。その質問にあたるたび、僕は決まって友人の名前を挙げていた。

「尊敬する人」と聞くと、何となく年上だったり、教科書に乗るようなスゴイ人を想像するかもしれないが、僕にとっての「尊敬」や「憧れ」の対象は、ものすごく身近で、直接関わる中でスゴイと感じる人に限定された。小学、中学の僕のコミュニティなんて限られたものだから、尊敬できる人を選ぶことにさして悩まなかったのだ。

それが、どういうわけか、年齢があがるに連れ、この質問に答えるのが難しくなってきた。その理由は、所属するコミュニティの拡大マインドの変化にある。

以前、高2のタイミングで高校の転学やボランティアへの参加を経験した、という話をした。(詳しくは、下の記事を読んでいただきたい)

この頃から、自分が関わる人がガラリと変化し、交流する人の数もグッと増加した。関わる人が増えると、当然のごとく「スゴイ」と思う人も増える。

ここで一つ白状しておくと、かつての僕は、人には「尊敬できる人」と「尊敬できない人」がいると思っていた。大多数は「尊敬できない人」にあたり、「尊敬できる人」は一握りの存在。チョー限定的で、数人、多くても両手に収まる人数だと考えていた。

いろいろな人と関わり、コミュニティを渡り歩く中で、ふと、こんなことに気づいた。

誰にでも「尊敬できるポイント」がある。そのポイントさえ見つけられれば、どんな人であっても尊敬に値する。

だから「尊敬する人」を聞かれたときに、特定の誰かを抽出して「この人です」と言えなくなったのだ。そこで名前をあげない誰かが、あたかも「尊敬していない」人のように扱われてしまうのが、何となく嫌なのだ。その人に申し訳ないと思ってしまうから。

でも、「尊敬する人って誰ですか?」と聞かれたときに、片っ端から名前をあげていくと、それこそ変なヤツに思われてしまうに違いない。

そこで、冒頭のように「いないかもしれないですねー」と答えて、「逆に、あなたにはいますか、尊敬できる人?」と聞き返すことで、やり過ごしている。

そんなことを気にせず「周りのみんなを尊敬しています」と自信を持って言えるといいのだが。自分の意見をストレートに伝えることが苦手な僕に、そんな日はやって来るのだろうか。

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