ほいくえんで半年働いて

子どもの成長を生で見て、人間の神秘を感じることがたくさんあった。

常にエナジェティックで、一生懸命で、脇目も振らず何かに没頭したかと思ったら、一分も同じことをしていられない。そして、電池が切れたように眠る。

自分の周りに起こったことに、喜んだり泣いたり、全力で挑んでいる。心も体も同じように動き、頭で考えたことが表情と違うってことがない。 全身全霊でイマココを体現して生きている。


半年前の私はもうそれに疲れていたんだと思う。感情を動かすことは、本当にしんどくなってた。

人の目が気になり、他人の評価に意識がいき、メンタルにガツンときて、立ち直るにも時間がかかる。

そんな生き方をやってきたな、と思う。

感情に蓋をして、正直に素直に生きるということを諦め、いつしか、感じることを許さなくなった。

感覚をとにかく鈍く、感じなくして、時には心理学や宇宙理論や有名人の話、スピリチュアルな知識などありとあらゆるものを使って、感じることを駄目だと許してこなかった。

映画を観る事もやめたし、音楽なんて感情に直結するものは絶対に聞かなかった。お店で流れるBGMすら辛かった時は、部屋からも出なかった。それぐらいに辛くてしんどいところを通過してきたなと思う。

2022年の夏までの7年はそんな日々を過ごしてきた。


それが、ご縁が繋がって、ほいくえんで子どもたちと関わる時間を得ることができた。

子どもは先生という言葉があるけれど、それは真実なんだなと感じる。

精神的な成長を頑張ったからこその、新しい学びのステージ。自分とちゃんと向き合うステージになったのだろうな。。。

ほんと、学ぶことばかりだ。感情を殺してはいられないようになった(笑)


それはもちろん、いいことばかりではなく、自分の未熟さを思い切り観せてくれる。自分が子どもの時の満たされない感覚、自分が駄目だと殺した感情を全て体現してくれる。あー私、こういうこと忘れてきたんだな。こんな感情を駄目だと判断して自分を罰してきたんだな、って子どもたちを通して感じる。


そして、私自身が、いかに愛されて育ったのかということ。遊ぶ友達がたくさんいたこと。見つめていてくれる眼差しがあったこと、見守っていてくれる人がいたこと、声をかけてくれる人がいること、歌を歌ったり、絵本を読んでくれたり、走り回ったり、お散歩したり、そんな些細な中の、近所のおばちゃんとか先生、友達の両親、温かい中で育ててもらったんだなと感謝が溢れる。


家庭も私の周りの一般的なものではなかったし、しがらみも多かったけど、それでもそんなストレスやプレッシャーの中守って育ててくれた両親には、感謝しかない。怒ったり、恨んだり、憎んだり、暴言を吐いたり、そんな事もあった。それでも、ここまで育ててもらったこと、言葉で表すことのできない気持ちでいっぱいです。


自分を知る過程。外に見える全ては自分の内側の投影。

動く感情が全ての経験。体験が経験ではない。外側はただの映像。我々は魂。波動の存在。愛と感謝以外は幻想。


子どもは素直にそれを表現してくれる存在。

子どもに関わってみて、そうわかった。


子育ての正解不正解、そういうところではなく、本質。人の本質。それを確かめられた。自分にもどんな人にもあって、年齢、人種、環境や能力にとらわれない真のもの。そんな無限大の可能性と神秘に触れている。そんな感覚に今はいる。


正直、私はほいくえんの仕事の全部が完璧にはできていない。同僚から見た私は、まだまだ働きが足りなかったり、もっとこうしたらとかあるんだと思う。

それも今は素直に受け入れることができる。

そして、この環境を通して、私自身が益々素直で無限大の可能性を開いていきたいと思う。

感情を動かすことを許して、感じることを通し、本質に還る旅を続けていこうと思う。

自分の未熟さを見つめて、ここまでの人生に関わってくれた人一人一人に感謝が湧いてくる、振り返りになりました。

こんな時間を与えてくれて、ありがとう。

そして、夢を叶えていくのをホントのゼロから間近で観せてもらえたこと、勇気をもらえた。夢を語ることや信念を貫くこと、行動の大切さを教えてくれた。人の優しさ、協力や共感の中で出来上がっているほいくえんで働けていること、このご縁に感謝して。

LOVE and GRATITUDE


KANAKO



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?