「言葉を書くことが好き」という気持ちに蓋をしていた理由
はじめまして。かな子と申します。
最初は自己紹介から始めるべきなのかもしれないけど、書きたい言葉が溢れてきて、忘れないうちに書きたくて、今日、noteをはじめました。
昨日12月10日、「自分の道を言葉でつくるための連続講座『企画でメシを食っていく2022』」、通称『企画メシ』の最終日を終えました。
『企画メシ』で学んだこと・感じたことは追々このnoteでも書いていきたいと思いますが、まずは今思っていることを書かせてください。
『企画メシ』に参加することが決まった6月。
私はとても悩んでいたと思うし、自分のことが嫌いだった。今それがどれだけ改善しているかはわからないけど、講座が終わるとき、講師であるコピーライターの阿部広太郎さんにお会いして、「”これ”を伝えられるようになっていたい」と決意していたことがあります。
”これ”について、きちんと伝えたいから阿部さんにお手紙を書こうと思っていたのに、仕事で疲れ切ってそれどころではなかった私。
でも、阿部さんと1対1でお話できたとき、思わずその話をしていた私。
けど、話すのが苦手な私は上手く伝えられた自信がないし、実はこの気持ちは、阿部さんだけでなく、企画生(=『企画メシ』受講生)のみんなにも聞いてほしかったのではないかと、最終日を終えて思っています。
とてもとても簡単なことかもしれない。
けど、ずっとずっと言えなかった。
『企画メシ』の最中も「言葉」が好きとは言っていた気がするけど、「言葉を書くこと」が好きとは言っていなかった気がします。
私の父親はコピーライターだった(はず)。
地方の小さな会社に勤めていたし、有名でもないし、本当は何の仕事をしていたのかは正直わからない。
わからないのは、もう20年近く会っていないから。いろいろあって、今でも家族に対しては複雑な思いを抱えていて、気づけばそのまま大人になっていました。
思い返せば、私は子どものころから言葉を書くことが好きでした。
言葉を書く仕事がしたいとか、コピーライターという職業に憧れたこともあったのかもしれません。
けど、”これ”を言葉にしたことはありませんでした。
それは、自分自身と向き合うことだったから。
「言葉を大切にしてほしい」という願いを込めて、かな文字の”かな”からつけられた”かな子”という名前が好きだけど、やっぱりどこか重くのしかかっていたから。
自分が父親に似ていること、父親と同じ血が流れていることを認めざるを得なかったから。
それが、本当に本当に嫌だったんです。
ただ、『企画メシ』を通して自分自身と向き合い、自分自身をちょっと好きになれたら、この話をしたいと思っていました。
もう、自分一人で抱えるのはやめようと思いました。
今なら前に進める気がします。
受け止めてくれる人がいてくれる気がします。
だから、もう一度言います。
そのために、このnoteをはじめ、私の言葉を発信できる道を自分でつくっていきたいと思っています。
ゆっくり、じっくり向き合って。
みんなに届けられるように。
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