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Soap Opera- 4

あらすじ。34年連れ添った、37歳年上のおじを失い、悲壮にくれる近所のおば。財産をハゲタカのように狙うおじの実子たち。そのバトルの結末とその後の話。

次回メロドラマ:天魔王、下した怒りの鉄槌とそれから……などと書いたが、その時は「もうこれ以上、頭のおかしな展開は起こらないであろう。静かにお葬式を迎え、おじを送ることになるのであろうなぁ」と思っていた。私の希望も込めて

いやぁもうね、びっくり展開ですわ。いやもう、これまでも十分、びっくりなんだけども。と、いうわけで続き。

前回のお話はこちら。

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ピットブルおば(近所のおばの姉。気性が非常に激しい武闘派)は、近所のおば、おじの実子たちを前に、まず遺言を開け、読み上げた。要約すると、

  • すべての財産は妻(近所のおば)へいくこと

  • 保険金、退職金等のお金もまた妻へ

  • 自分の死後は火葬とし、こちらの街で葬式を行ったあと、生まれ故郷の街で偲ぶ会のようなものを行ってほしいこと

  • 息子1にはいつもつけていたネックレス、娘にはブレスレットを譲渡。息子2には指輪を。姉には特別な日につけていたネックレスを譲渡すること。その他の貴金属、時計などについては各々で話し合い、好きなようにするべし。

  • 葬儀はシンプルなものにすること。花などを買っても再利用したり寄付したりできないので、花は不要。
    (ちなみにこの花寄付。昔は葬式に贈られた花を病院へと寄付するというシステムがあったのだという。う〜ん、葬式で使った花を病院。ちょっともやぁっとするのは私だけであろうか。ちなみに今はそういった寄付などはできないのらしい)

財産のすべてが自分たちの手中に収まると思っていた実子たちは阿鼻叫喚。憤死寸前となったわけだが。ピットブルおばは続けた。こちらは、遺言ではなく、連絡事項を伝えます的な。

  • 保険金については、5割を葬式の費用に使うこと。残りの半分は、相続税やこれから送られてくるであろう病院からの請求書の支払いに充てるため、渡せるお金は1ペニーもないこと。

  • 遺骨は近所のおばと実子たちで均等にわけること。ただし、骨壷は自分たちで購入せよ。また、遺骨の引き取りについては、妻であるおばにしかできないことになっている。

  • 貯金は全然ない。まったくない

  • 葬儀の前日、そして当日には多くの人々がこの家にくるので、実子・娘は兄の家でも、ホテルでもとにかく他所にうつること

ここまでバシッと言われると二の句の告げようがない。

で、だ。普通なら「あ〜よかった、よかった、一段落」とおじの死後、私が見続けてきた妻(近所のおば)とその家族 対 遺産を狙う実子たちとの激しい戦いもこれにて終了。私の怒りやもやもやなどにも終止符が打たれるのだ、静かにしめやかに、そして心穏やかにおじを送り出すことができるのだ、と思っていた。

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だがしかし。


現実は更に胸糞悪く、私はもう、なんなの!ほんとなんなの!人間不信にすら陥りそう。夫アルゴは完全に人間不信となっている。

ピットブルおばによる宣言がなされたその日。実子・息子が我が家へと単独でやってきた。なんぞ?殴り込み?はたまた我々夫婦を動かそうって腹か?と私は大層、警戒した。

実際は、夫アルゴが『どうにも腑に落ちないことがあるので実子サイドの話も聞いておきたい。もちろん、彼らのことをすべて信じるわけではない。彼らが油断ならぬ人物であるという事実にはかわりがないが、それでもちょっと確かめておきたいことがある』とのことで、実子・息子に来てくれと頼んだのだという。

夫アルゴの「どうにも腑に落ちないこと」というのは、近所のおばがおじの地元でのお別れ会に費用を出さないこと、と、そのお別れ会には行かない、と言ったことである。

夫アルゴが思うに、遺言状に書かれていたことなのだから、それだけは何があっても守るべきであるし、妻としておじを支えたという自負があるのであれば、おじ側の親族や地元の友人たちの元に出向き、おじの最期の話を伝えるべきである、というものだ。それがオクサンってものである。フウフってもんである(ここは日本語で言ってた)。

いくら親族付き合いなどが日本とアメリカでは大違いとは言えども、どちらの家族にもきちんとすること、というのは当たり前のことであるし、この場合、地元での式をしてくれとおじが言い残すくらいに、彼は地元のこともまた愛していたのである。

ゆえに、実子サイドは何を思っているのか地元葬儀のプランはどうなっているのかを聞きたかったらしい。

こんな風に夫アルゴの「両方の話を聞くべきである」という姿勢を持てるところを私は結構、尊敬している。ものすごい勢いで感情をぶちまけた後とはいえ。欲をいえば、ハナからそのように冷静に考えてほしいものではあるが。また、夫は大層、社交的で陰キャの私とは異なり、誰とでも気軽に話すことができる。と、いうわけで実子・息子との会談と相成ったのである。

そして真実の扉が開かれる。

私の脳内では、アニメ・名探偵コナンのドアがぎぃっと開くオープニングが流れていた。実子・息子によると

  • 正直、あの家や貴金属などはどうでもいいのだが。せめて俺が近所のおばに貸与した金は返してほしい。かなりの額なのである。借用書まであるのだ。

  • 親父(おじ)の貯金は数年前までかなりの額があったのに、今ではマイナスになり、凍結されている。それは近所のおばによる使い込みであると思われる。親父の痴呆が始まる前、俺は彼に口座を色々見せてもらっており、万が一の時は、という理由で暗証番号なども教えられている。

  • ちなみに親父名義のクレジットカードもすべて限度額に達しているようだが、その事実は知られているのであろうか。アルツハイマーの老人がクレジットカード数枚を限度額いっぱいまで使うなどということは不可能である。何をどう考えてもおばにより使われたことになるが、親父の死後、カードは止められる。そして返済の義務は消失するが、カードを実際に使ったのはおばであるので、これは詐欺行為でもある。

  • また、形見分けについての貴金属であるが、親父が生前、持っていたものが随分、なくなっているようだ。その中には祖父母から譲り受けたものもあるので、それをおば(おじの妹)に渡したいのだが、どうやら売り払われてしまった様子

  • 遺言状に書かれたことであるので、財産の相続等には文句はない。だが、地元でのお別れ会への費用すらないということには納得がいかない。親父の死亡保険は、ここでの葬式、そして地元での葬式、2つのセレモニーを想定して掛けてきたものである、と生前の親父に教えられている。


あばばばばばばばばば。


ここにきてまさかの借金と使い込み。挙げ句は、思い出のある貴金属を売り払っていたおば。聞いてないし!知らんし!てか、実子たちについては悪いことしか聞かされてないし、実際、なんぞ?この人ら、みたいなことしか見てないから。あ、あと、どうでもいいけど太宰の作品に「あばばばば」って短編がある。借金とか使い込みとか、ちょっと太宰の話みたいだから思い出したのだ。

正直。我々は近所のおばの病気でしかない買い物癖、ブランド品への執着、無駄遣い、などをずっと近くで見てきたし、何度か金銭を都合したこともある。そして踏み倒されている。無駄遣いをやめろ、やたらと人にものをあげるのをやめろ、我々にプレゼントなんか買わなくてよい、それよりきちんとファイナンシャルプランをたててほしい、というようなことを随分長いこと、近所のおばに言って来たが聞く気配はまったくなかった。

Shopaholic- a compulsive shopper.強迫的に買い物をしてしまう人のことで、もちろん、姉おばたちも散々、説教をしてきたのである。でもやめる気配なし。Compulsive buying disorder (CBD)強迫性購買障害。日本語では買い物依存と言われている。成人のパーソナリティー及び行動の障害に分類される「習慣及び衝動の障害」に分類されている疾患でもある。

きちんと診断を受けたわけではない。買い物依存症というのは、単に買い物がやばいだけでなく、ストレスや鬱、不安などの気分障害が下敷きになっている上に、生活に支障が出てくるレベルでの買い物をする、やめられない、のである。近所のおばは明らかにコレなんだが、本人に自覚がなければ治療もなにもできやしないなので実子・息子の言葉を信じる理由はあるクリスマスの記事を書いた折にも「まさかこの人(近所のおば)ローン組んでプレゼント買っているのでは?」などと思ったがそれどころの話ではない。

だがしかし、夫とおばには血の繋がりがあるし。これまで悪いことしか聞かされていなかった実子・息子である。簡単にすべてを信じていいのか、という疑問が湧き上がる。むぅん、と思っていると。実子・息子は言った。

「形見分けで、このネックレスをやる、スーツをやる、そんなことばかりを言われるが、正直、俺は何も欲しくない。ただ、親父の葬式を地元でやってやりたいだけなんだ。そのために保険金の一部を分けてくれと言うのは間違っているか?」(涙)

実子・息子は涙ながらにそう言った。息子といっても70歳目前のじぃちゃんである。そんな人が若造にすぎない我々の前で男泣きである。ガン泣きである。むぅん。

実子・娘に関しては、単なるハゲタカなのだと私は思っている。ピットブルおばにホテルにでも行け、と言われたとき、すぐさま「じゃぁホテル取って」と答えたり、傷心の近所のおばに全く気を使わず、こき使っていたような人なのだ。なのでその人とナリを再考慮する必要性はまったく感じない。ただただ、図々しく、ハートの強い人だなぁというそれだけのハゲタカである。強いっていうかもう多分、心臓に毛が生えている人ってこういう人なんだろうなぁって。

だが実子・息子に関しては、近所のおばの話だけを丸っと信じていいものであろうか、いや、多分、他にも色々あるのであろうなぁ、と思えてきて、なんだかもやぁっとした。この実子への借金だとか、貴金属質屋行きとか、姉であるおばたちは何も知らないのではないか。知っていたら、ピットブルおばも徹底的にはしでかさないはずだ。ピットブルおばは、直情型ではあるものの、善悪の判断はきっちりつけるし、正義感が非常に強い。もや、もや、もやぁぁぁぁで、ある。

知らないが故に、姉おばは妹を守らなければ、と天魔王になってしまったわけで(これは夫アルゴも同じく)でも、反対側から見たら「頭、おかしい」と思われても仕方のないことをしている上に、全部の事情を把握していないがゆえに「過剰防衛」とも捉えられて当然のことをしでかしている。

その3に書いた葬式の手配を読み直していただきたい。こんなん、近所のおばの言うことだけが真実であれば、「よし!よくやった!」だし、実際、私もその時はスカっとしたけど。今、このような他の真実を知ってしまった後では「……とんでもねぇな(ドン引き)」となるではないか。

「おそらく、この葬儀のあとは、おじサイドの親戚との付き合いも消滅するのであろうし」とピットブルおばは言っていたが、むしろ、おじサイドの親戚が近所のおばとの付き合いを断ち切りたくなる事実ではないか。

うわぁぁ……これ、どうすんの?どうなんの?真実はいつも1つ!……1つじゃないぜぇ、コナン君。バーロォ。どうすんの?これ、真実をおばたちにすべて話すのかい?と尋ねると、むすっと考え込んだあと静かに夫アルゴは言った。普段は愉快でにぎやか、かつ楽天的な夫であるので、このような沈黙は非常に恐ろしい。

「いや、言ったところでおばたちは信じないだろうし、仮に信じたとしても何ができる?もうすべての手続きは終わったから、近所のおばが受け取るお金を手放すはずはないし、もちろん、借りた金のことなんて頭にないだろう。おじの地元に行かない、というのは、正しくは、行けないのである。自分のしでかしたことを自覚してるのと、自分を守ってくれるきょうだいがいないわけだし。酷い妻だ、乗っ取りだ、と言われるだけのことはしたのだと思う。殴られたって文句は言える筋ではない。むしろ俺があちらの人間であったら、そんな後妻、SATSUGAIである。俺はおばを心から愛しているが、これはちょっと擁護する、しない、の範疇を遥かに超えている(ため息)

おじが元気なときには、毎年、彼の地元に行っていたのに、今、行けない理由はないはずだ。むしろ、今こそ行くべきときだというのにおかしいではないか。地元にいるおじの妹とはすごく仲良しだったし、彼の地元に帰るたびに、良くしてもらったと言っていたじゃないか。だから、今、この時点で行けないというのが俺にはずっと引っかかっていたんだ。

(なんだ、この人、名探偵コナンなんじゃねぇの?と、私は思った)

とはいえ、実子は実子で完全に信じるというわけにもいかないが、彼のあの涙は本物であるし、見た目が若いとはいえ、彼もまた高齢なのである。まだ幼い息子もいるし(この実子は、69歳なのだが6歳の息子を一人で育てているのだ。実の子供である。孫ではない)お金の心配もそりゃぁあるだろうが。何より、親父さんの地元での葬儀をしたい、という気持ちは本物であると思う。ちょっと考えさせて」

そういって黙り込んでしまった。あわわわわわ、なんということでしょう

葬式まであと2日。明日は、近所のおばと、姉おば2、夫のいとこと私で、葬儀屋に行っておじのご遺体に対面する日なのだ。近所のおばにとっては、病院で最期から初めての対面となる。もちろん、明後日の葬式の手順や会場のセッティングの確認もある。午後には、一旦、大都会へと戻っていた姉おば1とピットブルおばもこちらにくるのである。

人には絶対にしちゃならないことがあると思う。近所のおばのしでかしたこと、というのは、その部類に入るものだ。それは、亡くなったおじに対して、おじの家族・親族に対して、近所のおばのきょうだいたちに対して、彼女の言葉を信じ、サポートした親戚や友人たちに対して。

その1でも書いたけれど、私は本当に駄目なのだ。一度、うへぁ、と思ってしまった人とは上手に話せないし、全力で接触を避ける。めんどくせぇことになるのが嫌だからだ。だがもう、これはめんどくせぇどころの話ではない

あっさりともう知らん!関わらないよ!と気軽(って言い方もおかしいけど)に言える人物、状況でもなければ。真実をつまびらかにしてみたところで、さらなるドラマの予感しかしない。更に、うちの親族たちと、おじの親族たちの関係なんてもうこじれに拗れまくってしまっているし、何と言っても葬式は明後日なのである。

私は、もやぁと、もやもやもやぁぁぁ、と、どういう顔して会ったらいいかなぁとか、これからどうすんのかなぁ、とか色々なことを考えたけれど、とりあえず、夫アルゴがどうするのか心を決めるまでは、何も言わず、態度も変えず、大人しくしておこうと思った。

私はこのSoap Opera記事に使わせて頂いているヘッダーの、この「うわ〜〜ん!」のような気持ちで葬式当日へと挑んだのであった。

次回。ついにようやく最終回、な、メロメロ、メロドラマ。



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