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おばあちゃんのピンクのスカーフ

わたしのおばあちゃんのおはなしをしましょう。

おばあちゃんは、どんな人だった?と聞かれたら、わたしはよくよく考えあぐねた末に、こう答えます。「よくもわるくも、女性的な人であった」と。

小柄で背中の丸いおばあちゃんは体が弱くて、それが彼女の精神を蝕んでいたように思います。
狭いコミュニティの中での息詰まる付き合い、病弱で満足に畑仕事や家事ができなかったこと…。きっと人生のあらゆる場面で、他者から責められたり、また自分を卑下したりしてきたのであろうと思います。

そんな祖母の家にお嫁に来たわたしの母は、体がじょうぶで快活で、細かいことにあまり気がつかないタイプであったので、きっと相性もよくなかったのでしょう。
事あるごとに諍いは、起きていたようです。

わたしが小6の時、おばあちゃんはわたしを呼び寄せて座敷に座らせました。
「かなちゃんももう大人だから、ばあちゃんのこと教えてあげる。」
そんな風にはじまったのは、おばあちゃんがいかに大変な思いをして生きてきたのかに始まり、かつての姑との関係や、わたしの母の愚痴など、つらつらととめどなく弾丸のように流れるおばあちゃんの言葉でした。敏感なわたしの心はひどく傷つき、黙って聞くたたみの上に大粒の涙がぱたぱたとこぼれ落ちました。
話が一区切りつくと、わたしは言葉も発せず、とびあがって駆け出しました。
狭い家の中では苦しかったので、庭のすみの、蔵の壁に背中をくつけてわんわん泣きました。
わたしの心をそれほどまでにえぐったのは、おばあちゃんから感じる母への憎悪でした。わたしはおばあちゃんも好きだけど、母のことはもっと好きでした。子どもなのだから当然です。でもどっちも嫌いになんかなれない。どっちも悪いなんて思えない。
12歳にもならない子どものわたしは、どうしたらいいのかわかりませんでした。こんな時お母さんに打ち明けられたらいいのに、当の本人になんかとても言えません。わたしは自分の心に鍵をかけて、しまっておくことしかできませんでした。

それから、わたしはおばあちゃんと2人きりになることを避けるようになりました。またあんな話を聞かされたら、どうしたらいいかわからなかったし、もう傷つきたくなかったからです。

それは、おばあちゃんが亡くなるまで続きました。おばあちゃんが入院したとき、わたしは一人暮らしをして実家を出ていたので、一度もお見舞いにもいかず、そのままとうとう会うことはありませんでした。

おばあちゃんの死に顔は、つるりと穏やかでした。おばあちゃんの棺にむかって、お母さんは何度も「ごめんね」と言い、わんわん泣いていました。それを見てわたしも泣きました。おばあちゃんはもう空っぽで、中には何も入ってないのがよくわかりました。

数年が経ち、わたしはこどもをふたり生みました。ある明け方、わたしは夢を見ていました。

頭のスクリーンいっぱいに映ったような、おばあちゃんのアップ。
わたしの中のおばあちゃんのイメージよりもずいぶん若くて肌艶もよく、うすももいろのきれいなスカーフを、首のところにふんわりと巻いていました。
おばあちゃんはニコニコと、快活そうに微笑んでいました。
生前、ずっと彼女が気にしてコンプレックスだった歯が、真っ白にきれいに揃っていたのがとてもリアルで印象的でした。
おばあちゃんは言いました。
「かなちゃん、ごめんね。ばあちゃんが、悪かった。辛い思いをさせて、ほんとうにごめんね。」
さながら菩薩のような、優しい微笑みを浮かべてそう言ったとたん、わたしははっ、と目覚めました。

わたしは泣いていました。
夢と現実の境目がない、地続きの感覚で、ああ、たしかにわたしはおばあちゃんに会った、という手応えがありました。

おばあちゃんは、わたしにこれを言うために、会いに来てくれたんだ。
おばあちゃんは、きっとずっと、わたしに謝りたかったんだ。きっとずっと、心残りだったんだ。
今、おばあちゃんは体もつらくなくて、健やかで、ほおはぴかぴかしていたし、歯はきれいに治っていたし、ピンクのスカーフなんてしておしゃれを楽しんでいるんだ、
きっとあれが、本来のおばあちゃんの魂なんだ。
体が弱かったり、世間の圧にねじまげられたり、いろんなことがあって抑えられた人生だったけれど、今は、それらから解放されて自由になれたんだ。
いつもねずみ色のコートとか着てたけど、ほんとうはあんなピンク色のスカーフが好きな、かわいい女の子だったんだ…。

そんなことを一気に思って、涙があとからあとからあふれて止まりませんでした。
その時、夫が部屋に入ってきて、泣いているわたしに驚き、どうしたの、と優しく聞いてくれました。
わたしは夫のひざに頭をのせて、おばあちゃんが、会いにきてくれた、謝ってくれた、元気そうで、よかった、と、涙の合間に途切れ途切れに言い、夫はそうなんだ、よかったねぇ、と、びしゃびしゃに泣いているわたしのあたまを、優しく撫でてくれました。

きっとこれも、おばあちゃんの采配だったのかなと今でも思います。
わたしが泣くのをわかっていて、夫を部屋に来させてくれたんだと。かなちゃんに優しくしてあげてね、と、夫に伝えてくれたんだなと、思います。

それ以来、おばあちゃんはもう現れません。きっと今ごろ、自分の人生を楽しんでいるような気がします。
おばあちゃんは、ますます若返って、白いポロシャツに白いスコートをはいて、テニスを楽しんでいるのです。
わたしはなぜだか、そんな映像が頭に浮かんでくるのです。
それはもう、確信に近い、おばあちゃんの今の姿なのでした。

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