御国の福音

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この時、人々は主の名を呼び始めた。『創世記4章26節』

セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノシュと名づけた。 この時、人々は主の名を呼び始めた。 新改訳創世記4章26節 エノシュ(人) 「壊れやすい、なおらない、癒えない」 弱い儚い直ぐにも消えてしまいそうな人間の存在。 「弱さを持った“人”」としてのエノシュの誕生は、人類をして初めて「主の御名を呼ぶ」ことを始めさせました。 今日は『東日本プレローマ会』の最終日。ご自身のエクレシアに御顔の光を照らし、『主の御名を呼ぶ』ことから、新しい一歩を始めさせてくださいま

    • 本日の聖書箇所 創世記第七章 2024.6/2(日曜日)

      https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/7.htm#0 http://jcl.ibibles.net/001Genesis.htm#001-7 https://www.ancient-hebrew.org/hebrewbible/Genesis_7.html https://mechon-mamre.org/p/pt/pt0207.htm 本日の聖書箇所 創世記第七章 2024.6/2(日曜日) 7.1 主はノアに言われた

      • 聖句随想、ルカ伝5章16節、詩篇1篇2節

        イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。 (ルカによる福音書5章16節) 特愛の聖句です。神との和解も人との和解もその源はこの一句に尽きるかもしれませんね。 主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。 アモス書8.11 この国、私たちの周囲にも神様の言葉を必要としながら、自分自身がそんな状態にいることに気がつかず孤独と絶望の中で孤独死したりノイローゼになっ

        • 『日々の祈り』 2024年6月1日(土曜日)

          『日々の祈り』 2024年6月1日(土曜日) 信仰の本領は、神への努力にあるのではなく、神への帰依(きえ)にある。 私たちが神の戸をたたくのではなく、神が私たちの戸をたたくので、私たちは神に対して戸を開かねばならない。 (ヒルティ)より💓

        この時、人々は主の名を呼び始めた。『創世記4章26節』

          本日の聖書箇所 創世記第六章 2024.6/1(土曜日)

          https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/6.htm#0 http://jcl.ibibles.net/001Genesis.htm#001-6 https://www.ancient-hebrew.org/hebrewbible/Genesis_6.html https://mechon-mamre.org/p/pt/pt0106.htm 本日の聖書箇所 創世記第六章 2024.6/1(土曜日) 9.1 人が地のおもてにふ

          本日の聖書箇所 創世記第六章 2024.6/1(土曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月31日(金曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月31日(金曜日) 十字架は重い、けれども不思議だ。それがきみを担っている、きみはそれをほとんど担わなかったのに。 (ヒルティ)より💓

          『日々の祈り』 2024年5月31日(金曜日)

          本日の聖書箇所 創世記第五章 2024.5/31(金曜日)

          本日の聖書箇所 創世記第五章 2024.5/31(金曜日) 5:1 アダムの系図は次のとおりである。 神が人を創造された時、神をかたどって造り、 5:2 彼らを男と女とに創造された。 彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。 5:3 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。 5:4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。 5:5

          本日の聖書箇所 創世記第五章 2024.5/31(金曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月30日(木曜日)詩篇84篇11節

          『日々の祈り』 2024年5月30日㈭ 詩篇84篇11節 主なる神は日です、盾です。 (口語訳) そは神ヱホバは日なり盾なり (文語訳) כִּי טֹוב־יֹום בַּחֲצֵרֶיךָ מֵאָלֶף בָּחַרְתִּי הִסְתֹּופֵף בְּבֵית אֱלֹהַי מִדּוּר בְּאָהֳלֵי־רֶשַׁע׃ 今日はあなたの法廷で良い日であり、私の選択によって飼い慣らされ、彼は悪の天幕から私の神の家に隠れたのです。 כִּי ט

          『日々の祈り』 2024年5月30日(木曜日)詩篇84篇11節

          本日の聖書箇所『創世記第四章』2024.5/30(木曜日)

          本日の聖書箇所 創世記第四章 2024.5/30(木曜日) 4.1 人はその妻エバを知った。 彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。 4:2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。 アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 4:3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。 4:4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。 主はアベルとその供え物とを顧みられた。 4

          本日の聖書箇所『創世記第四章』2024.5/30(木曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月29日(水曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月29日(水曜日) 今の人々は頭がいいと言うと喜びます。しかし私は頭がいいと言われるよりも、「あなたはなんと優しい、心の美しい人でしょう」と言われるほうが、どのくらい嬉しいかわからない。今の教育は主知的な教育です。頭がいいと言われると偉いように思います。 (手島郁郎『人生の詩篇』)より💓

          『日々の祈り』 2024年5月29日(水曜日)

          本日の聖書箇所『創世記第三章』2024.5/29(水曜日)

          本日の聖書箇所『創世記第三章』2024.5/29(水曜日) 3:1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。 へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。 3:2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 3:3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。 3:4 へ

          本日の聖書箇所『創世記第三章』2024.5/29(水曜日)

          『日々の祈り』2024年5月28日(火曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月28日(火曜日) 早朝、あるいは時間があるときはいつでも、少なくとも20分は静かな場所に座って祈りなさい。 主の御言葉を読み、主に祈りなさい。 そうすれば、主の内にすべてを見つけることができるでしょう。 そして、この世の出来事に悩まされる必要はなくなるでしょう。 (スンダル・シング 『豊かな生命』)より💓

          『日々の祈り』2024年5月28日(火曜日)

          本日の聖書箇所『創世記第二章』2024.5/28(火曜日)

          本日の聖書箇所『創世記第二章』2024.5/28(火曜日) 1 こうして天と地と、その万象とが完成した。 2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、 2:5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった

          本日の聖書箇所『創世記第二章』2024.5/28(火曜日)

          『日々の祈り』2024年5月27日(月曜日)

          『日々の祈り』 2024年5月27日(月曜日)   しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける (明治天皇御製)より💓

          『日々の祈り』2024年5月27日(月曜日)

          本日の聖書箇所『創世記第一章』2024.5/27(月曜日)

          本日の聖書箇所『創世記第一章』2024.5/27(月曜日) 1.1 はじめに神は天と地とを創造された。 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 1:6 神はまた言われた、「水の間におお

          本日の聖書箇所『創世記第一章』2024.5/27(月曜日)

          先生と武士道精神(わが師 手島郁郎 第三巻)p457〜

          先生と武士道精神 (わが師 手島郁郎 第三巻) p457〜 日本精神として、先生が最も尊んだのは武士道精神であった。 この年の春、日曜集会のヨハネ伝四章の講義の中で、「武士道的な宗教」を語った。 本文 生きるも死ぬも主のため  私たちは日々の生活の中で、しばしばアレかコレかの決断を迫られることがあるが、そんなとき、なぜご都合主義、打算が先立って自分本位になってしまうのか。 先生が嘆いたのは、幕屋にも自分の都合だけで損得勘定(かんじょう)に走るような問題があったから

          先生と武士道精神(わが師 手島郁郎 第三巻)p457〜