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暇空茜の言い分2|自己決定

引き続き、彼の過去の記述から、文章構成法を解明していきます。
※注目を集める人物が書いた文章を研究することが目的であり、
 誹謗中傷の意図はございません。間違いがあれば、ご指摘願います。

■どのように論点をとらえているか。

コロナ禍における行動制限に関する議論で、以下の発言内容に対する
反論に、彼のレトリックの特徴が表れています。

いま、私たちはおそらく自由と統制の間の歴史的分水嶺に立っているのでしょうね。ここで踏みとどまりましょう。このとき、この場所で、私たちは自由の側に立つべきです。

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※著者補足
憲法 第13条
すべて国民は,個人として尊重される。
生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。

著者補足

論点は「公共の福祉」において、自由と統制の対立が起こることです。
それに対し、以下のように反論します。

自由とは、「俺の内にある内なる自由」と「この日本という社会(国家)における自由」がある。
俺の「内なる自由」とは、自分が今住んでいるこの国、時代、環境において、自分が選び取りたい生き方のことだ。自分の生きたい人生そのものでもあるといえる。

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どこまでが公共の福祉として妥当か。という議論で、自分の意思に従う。
という主張では、かみ合っていませんが、公共の福祉が拡大し、
規制がかかれば、意思決定したところで、選択肢がありません。
誰しも、社会的存在であるということを忘れているのでしょうか。

前回、彼の議論を検討した時も「すれ違い」が生じていました。
議論の戦略上の意図が関係していると考察しました。

しかし、今回は純粋に文章の意味が分かりません。
改めて「すれ違い」の原因を考えてみたいと思います。

通常、議論では、相手が提示した論点を踏まえ、反論を提示する。
本件では、例えば、「緊急時の対応は、平常時に適用されない。
今後、緊急時の対応が、今回の事例を基準に定められるが、
平常時の自由に影響はない。」などと反論する。
(生活様式は様々な面で変わってしまったが、)

立場表明:
・議論ではなく、論争における立場表明として、自己主張している。
 彼は「自由」というテーマで、独自に作文している。
 「内なる自由」は、自分にとっての個人的な「自由」であり、
 「社会における自由」と相対的に存在する、としています。

 議論に戻ると、原始的な社会の成り立ちは、任意の小集団です。
 各個人の意思は様々ですが、協力や規律が必要となれば、
 絶対に、「公共性」について検討しなければならない。
 今、「何が問題となっているのか」を共有しなければ、
 他者と共同で物事を決める際に、収拾がつかない。
 ですから、前提を覆しても、議論が循環するだけです。

 立場表明の意図を解釈すると、妥協的な意見の表明は、
 自己主張にならない、大前提を「自己決定」して、
 意見を述べる、という姿勢のようです。
「自己決定」へのこだわりは、高校を中退したことの総括で語られている。

俺自身が誰の説教も正論も聞かず、自分でゆっくりしか立ち直れなかったんだから、俺がメンヘラビッチちゃんを説教して立ち直らせようとしてるの間違いかもしれない。

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正論を拒絶し、「自己決定」を最優先するスタンスが、
この時に固定されたのでしょうか。

他者の意見を拒絶する態度を貫徹することは不可能です。
すべてのことを一人で考え、実行することはできないからです。
他者とは話し合いを拒否するのは、妥協していることを認めないためで、
「妥協しない自分になった」ことを「立ち直った」と表しているのではないでしょうか。

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