暇空茜の言い分2|自己決定
引き続き、彼の過去の記述から、文章構成法を解明していきます。
※注目を集める人物が書いた文章を研究することが目的であり、
誹謗中傷の意図はございません。間違いがあれば、ご指摘願います。
■どのように論点をとらえているか。
コロナ禍における行動制限に関する議論で、以下の発言内容に対する
反論に、彼のレトリックの特徴が表れています。
論点は「公共の福祉」において、自由と統制の対立が起こることです。
それに対し、以下のように反論します。
どこまでが公共の福祉として妥当か。という議論で、自分の意思に従う。
という主張では、かみ合っていませんが、公共の福祉が拡大し、
規制がかかれば、意思決定したところで、選択肢がありません。
誰しも、社会的存在であるということを忘れているのでしょうか。
前回、彼の議論を検討した時も「すれ違い」が生じていました。
議論の戦略上の意図が関係していると考察しました。
しかし、今回は純粋に文章の意味が分かりません。
改めて「すれ違い」の原因を考えてみたいと思います。
通常、議論では、相手が提示した論点を踏まえ、反論を提示する。
本件では、例えば、「緊急時の対応は、平常時に適用されない。
今後、緊急時の対応が、今回の事例を基準に定められるが、
平常時の自由に影響はない。」などと反論する。
(生活様式は様々な面で変わってしまったが、)
立場表明:
・議論ではなく、論争における立場表明として、自己主張している。
彼は「自由」というテーマで、独自に作文している。
「内なる自由」は、自分にとっての個人的な「自由」であり、
「社会における自由」と相対的に存在する、としています。
議論に戻ると、原始的な社会の成り立ちは、任意の小集団です。
各個人の意思は様々ですが、協力や規律が必要となれば、
絶対に、「公共性」について検討しなければならない。
今、「何が問題となっているのか」を共有しなければ、
他者と共同で物事を決める際に、収拾がつかない。
ですから、前提を覆しても、議論が循環するだけです。
立場表明の意図を解釈すると、妥協的な意見の表明は、
自己主張にならない、大前提を「自己決定」して、
意見を述べる、という姿勢のようです。
「自己決定」へのこだわりは、高校を中退したことの総括で語られている。
正論を拒絶し、「自己決定」を最優先するスタンスが、
この時に固定されたのでしょうか。
他者の意見を拒絶する態度を貫徹することは不可能です。
すべてのことを一人で考え、実行することはできないからです。
他者とは話し合いを拒否するのは、妥協していることを認めないためで、
「妥協しない自分になった」ことを「立ち直った」と表しているのではないでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?