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父の失敗の多い人生34 〜大学のサークルで干された父2〜

家族で、竹の子狩りに行ったことがきっかけで、自然に触れる生活がとっても素敵だなと思い、そこからずっと農業にはまっています。

ここ2週間くらいで、農業に関する本を5冊ほど読んで、家庭菜園が2倍の広さに広がって、自治体に農家になるためにはどうしたらいいのか?と、問い合わせて、市民農園に電話するという。ほんとにやり始めたら止まらない性格をどうにかしたい、、、。笑

でも、1つ思ったのが、農家になるための参入障壁がとっても高い事。まず機械とか資材とか苗とかの初期投資が必要。次に、農業委員会の存在。都道府県が指定する研修(だいたい、募集が年1回で、1年間とか)をクリアしていないと農地のレンタルも購入もできないという・・・。。。
大事な産業だから保護しないといけない事もわかるんだけど、ほんとの新規就農を目指している人は、2年とか3年とかかかる。。。

農業人口を増やしたいのか?減らしたいのか?どっちやねん!!と思ってしまいました、笑

さて、今日もがんばって書いていきます!

セレクションに合格した父。でも、体育会系の道へ。

いわゆるチャラサーのセレクションに合格した父。けれども、高校までいじめられっこだった僕には、どうしてもそこがなじめずに、足が向かず・・・

次に、僕の母校の学生しか入れない団体のセレクションも合格したんだけど、どうしても華やかさが足りないような気がして、足が向かず・・・。

結局、インカレで華やかさがありながら、ほぼ部活のようなセレクションなしのサークルに参加する事になります。
インカレサークルという事で、学校から活動場所が少し遠く。一方で、部活みたいな感じなので、毎日練習があるというところが気に入って、そこから毎日のように通うようになりました。

15時くらいに学校が終わってから、16時-18時の練習に入る。そのままみんなで晩御飯を食べに行って、家に帰るのは22時とか。勉強もそこそこに、疲れ果てて寝る。次の日は5時に起きて6-9時でバイト。10時からの授業に出る。というような日々を送っていました。

けれども、だんだんその生活も辛くなって、人間楽しいほうに流れるというか。学校にいかなくなり、バイトも土日と夜型に変え、テニスばっかりするようになりました。で、2年生の時に、サークルの幹部メンバーになるのですが、ここでもっとサークルにのめり込んでいき、自分の周りの生活で触れる人がサークルの人だけになっていきます。

2年生、当時は、、、
朝練をして、お昼まで寝る。(たまたま学校とテニスコートのアクセス上、いい場所に住んでいたという事もあり)僕の家がサークルの荷物置き場になり。13-18時で練習をしているサークルだった事もあり、練習を空けるために、同僚が11時に僕を起こしにくる。そのままテニスに行って、運営メンバーなので、後輩と晩御飯までいく。
その後反省会があって帰るのは23時・24時。(いちお担当曜日が決まっていたのですが、家が荷物置き場になっていた関係で、毎日のように参加していたように思います。)

そんな生活でした。

なかなかブラック企業もびっくりの生活ですね。
冷静に考えれば、サークルを変えればいい事ですし、幹部を辞めればいい話なのですが、人間って極限状態になると思考力がなくなるというか、、、。ハードワークで、そのコミュニティ以外にコミットしている空間がなくなると、そこが自分のアイデンティティのすべてのように思えてきてしまって、引くに引けなくなってしまう。という事が起きていくのです。

まぁ、そういう体育会系の文化なので、テニスのレベルは一定以上はありますし、1年生の時に僕がサークルを楽しめたのは、諸先輩型の幹部に対する厳しさの裏返しではあったので、手放しに悪い部分だけではないというか、、、勉強になる部分も大きいのですが。

ともかく、当時は視野狭窄状態でした。

そんな中、恐怖の夏合宿を迎える事になります。
その話は、また次回に。

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