自分のしたいことは何か、という考え方の大事さ

いろいろと提案を受ける。
動画をつくろう、こういう絵を描こう、こういうのがあるからでてみないか?といういろいろな相談事。

ありがたい。

とてもありがたいのだ。その提案をしてくれることは僕のことを思って言ってくれていたり、そうでなかったり(お金のためかもしれない)するが、話をしてくれるだけでとてもありがたいことだ。

しかし、それはあくまで、自分ではない誰かからの提案事だ。
こんな事を言っては失礼にあたることも多いかもしれないのだが、とても大事な事なのであえて言う。

そこに自分の考えが同調しているのか、ということだ。
もちろん、その人に従うという選択肢も一つあるのだと思う。
それも自分の選択だが、ただただ誘導されるがまま言いなりになるのは違う。
僕は、自分の考え、感情というものがとても大事で、尊いものだと知っている。

それを捻じ曲げる(もちろん、世の中のルール、モラルに沿っているかの範疇だが)ことはあってはならない事だ。

僕はアーティストだ。
アートは、感性を大事にする。
というか、感性が9割だ。あとの1割は技術、経験。

アドバイスとは、責任の有無によってかなり違う意味合いを持つ。
単なる助言にはなんの責任もない。
だが、それでも聞く人にとっては自身の考えを蝕むこともままある。

本気で関わるつもりなら、まず実践して見せてみよと思うのだ。
こうすればいい、ああすればいいと言うのは、机上の空論だということ。
もちろん、それが素晴らしい助言であるかもしれない。
世の成功者が言うことならばと耳を傾けるのは大事な事だ。

だが、それでも、感性だけは奪われていいものでは無い。

勘違いされては困るので言っておくが、感性とは「考え方」の事ではない。
こうしたらいい、ああしたらよいという知識そのものはとても大事だ。
もちろん、それを実行し続ければ結果はでるかもしれない。

だが、それが本当に自分の役割のなのかどうか、というところだ。

あなたは何者なのか。
自分は何者なのか。


絵を描く人?音楽を作る人?応援する人?稼ぐ人?遊ぶ人?


なにか大事な筋が自分の中に存在している人は、それを尊重していくべきだと思う。


それは勉強しても身につかない、自分だけのものなのだから。

認められるか、られないかではない。
自分だけのものは、捨てられない。
必ず返ってくる。


感性を大事に。
嫌だな、と思うことは、きっとうまくいかない。
楽しい、と思うことはきっとうまくいく。

それがきっと、自分に備わった最強なのだと僕は思う。

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