高円寺にある珈琲店が好きだ。 まず、店名が好きだ。「喫茶」ではなく、「珈琲」店。そんな名前の店は地元にはなかった。また、「喫茶店」はおしゃべりをする場、にぎやかな社交の場というイメージだが、「珈琲店」と聞くとシュッとしている、背筋を伸ばして珈琲そのものを楽しむ店という感じがしてくる。 次に、立地が好きだ。この珈琲店は、かの皆さんご存知スターバックスコーヒーが進出していないことで有名な高円寺にある。高円寺といっても駅前周辺ではなく、商店街を通り抜けて駅から10分ほど歩
祖母に がん が再発?転移?したと知る。 たぶん祖母自身は説明されたが理解できていない。 祖父が倒れたときは、胃ろう。(後から知る) 見舞いに行ったが、もう言葉を交わせない。 手を握ると、強く握り返された。 それを覚えている。 もう一人の祖父は肺がん。 幼い頃で、離れた地でもあり、あまり見舞いに行けず。 もっと路面電車について伺っておけばよかった。 祖母は最近は口数も少なく、夜中にトイレにも起きなくなった。 おはよう、おやすみ この二つは自身が今何時に活動しているのか不
いつかきっと忘れずに書くために公開
春の鹿児島に行ってきた。 旅の道中で4,5年前の鹿児島旅を思い出したので、そのことをどわーっとnoteに書き連ねたい。手帳や写真をあまり振り返らず。基本的には記憶だけを頼りに。 いま、鹿児島市の城山で市街地越しの桜島を見た後に、駐車場前の土産物店で買った 屋久島の柑橘 たんかん を食べながらこの記事を書いています。 4,5年前の鹿児島は丁度海外でcovid-19、新型コロナウイルスが流行し始めて日本も危ない、といった時期だったと記憶している。海外はさすがに行けないという
Twitterは愉しい。 Twitterは疲れる。 インスタは楽しい。 インスタは疲れる。 noteは楽しい。 noteは疲れる。 Radiotalkは楽しい。 Radiotalkも疲れる。 いつも加減がわからない。 バランス感覚をもつということが、昔から苦手。
じいちゃん子。ばあちゃん子。だった。 耕運機を使えるようになったのも、じいちゃんのおかげ。 手帳にマメに記録するようになったのも、5年だか3年だかの連用日記を毎晩つけていた、じいちゃんのおかげ。 般若波羅蜜多心経をだいたい唱えられるのは、ばあちゃんのおかげ。 おはぎが大好物になったのは、ばあちゃんのせい。 スバルが好きなのは、祖父母のせい。
最悪な宅飲みの記憶がある。もう塗り替えたくない最悪さ。 あれは大学生の頃だった。部活終わりかなにかのときに先輩の発案で宅飲みをすることになった。なぜだか忘れたが、その会場が我が家だった。 もう結末が予想できる方もいるだろう。 6畳か8畳だかの部屋に男10数人がすし詰め状態だった。そして朝方までどんちゃん騒ぎ。近所の方には大変申し訳ない。ごめんなさい。本当に申し訳ない。 起きたら、私と二日酔いでふらふらの先輩1人。あとはいつの間にか帰宅済み。 残されたのは
こどもをかわいいとおもいますか? はい。 こどもを大切におもいますか?尊いとおもいますか? はい。 こどもは社会で育てるべきだと思いますか? はい。 なんだけれども、Instagramのストーリーズを眺めていたら唐突に出てきた友人の出産報告を、両手放しで喜べない自分がいた。 どうしても、辛く厳しい側面をもつこの世界において、こどもを産む。こどもをもつ。という選択を全肯定できない自分がいる。 応援はしたい。している。(全然納税できていないので、とくに
かっこいい、尊敬する、大好きな、スーパーな先輩方と久々に会う予定がほぼ確定した。とても嬉しい。が、近況報告はどうしたらいいだろう。今、無職、障害持ち。絶対に暗くなってしまう。向こうには近々出産予定の人が2人もいるのに。 まあ、日付が近くなったらまた考えよう。とりあえず、楽しみだ。
中2の頃、不登校になった。いじめられていたとかではない。半年ほど経て復活して、中3も無事通学し卒業した。サッカー部は途中で辞めた。 高1の頃、不登校になった。いじめられていたとかではない。なんとか出席日数が間に合い進級した。高2、高3も欠席した時期もあった。がこれまたなんとかして卒業した。サッカー部は途中で辞めた。 大学生の頃、不登校になった。いじめられていたとかではない。留年した。出席日数が足りず単位を落としまくった。一方、部活動だけはなんとか続けた。留年した分、
最近、少し調子がいい。いや、すこぶる調子がよい。 働きたい。東京でバリバリ。 どうしたらいい。どうすればいい。どうする。