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【読書日記】10/23 まるでおとぎ話のように。「妻が椎茸だったころ/中島京子」

妻が椎茸だったころ
中島京子 著 講談社

かつてこの国では、人里の廻りには山姥や鬼や獣の住まう隠れ里があり、草木は人語を解し、古木は霊魂を宿し人と心を通わせ、狐や馬や猿は人と情を交わしたという。
そんな怪異・霊異譚を思い起こさせる短編集。

この国も外つ国との交流がすすみました。
その中で怪異を起こすモノも、外来種がやってきて生態系に影響を与えるように変わってきているようです。

※内容や結末にある程度詳しく触れています。未読の方はご留意ください。

リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い

オレゴンの片田舎、リデル・ストリート。
旅先で雪にふりこめられて、リズ・イェセンスカという老女の家で一夜を過ごした学生の日の回想譚。

オレゴンにリデル・ストリートなる通りが実在するのか知りませんが「リデル」で連想するのは「不思議の国のアリス」のモデル、アリス・リデルです。
その名を冠する「リデル・ストリート」で不思議がないわけがありません。
そして、昔話で道に迷った旅人が宿を借りるのは・・・と相場が決まっています。

最後に、もう一度ふたりの会話を思い起こすとひんやりと凍える雪の夜話。

ラフレシアナ

松、藤、梅等々と心を通わせてきた我らが先人たち。
今では、食虫植物とだって通じ合えるのです。

女とは無縁だろうと誰からも思われていた、無愛想で何をしても不手際で、不器用な男。
そんな男が愛して心を込めて世話をしていたのは、食虫植物、ネペンテス・ラフレシアナ。
ところが、そんな男に「外国籍」の恋人ができたという・・・。

妻が椎茸だったころ

泰平の定年退職の二日後にくも膜下出血で妻が急逝。
呆然とすごしていると娘から「お母さんが予約していた人気講師の個人料理教室があるから、甘辛く煮たしいたけを持って行くように」と連絡が入ります。

断りそびれて、妻の遺したレシピノートを見ながらほししいたけと格闘するおじさんの姿が、おかしくてかなしい。

ノートには、レシピだけでなくちょっとした愚痴やら自慢やら聞きかじった小話やら書かれていて、「泰平の知らない妻」がそこにいました。

この奥さんのレシピノートの「椎茸」の項がたまらなく魅力的。これを書いた女性のかわいらしさがぎゅっと凝縮されているような気がします。

椎茸が二つ並んでいる姿はとてもかわいい。もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う

妻が椎茸だったころ/中島京子

泰平は、自分の妻が過去に椎茸だったことについて思いを巡らすことはありません。むしろ、頭がおかしかったのではないかとすら思う。

杉山女史の料理教室に行き、ちらし寿司を習いながら思わず口に出してしまう泰平。

妻は椎茸だったことがあるそうです。

妻が椎茸だったころ/中島京子

杉山女史は、こともなげに「人はだれでもそうです」と返す。
「料理とはそういうものです」と。

そして、錦糸卵を乗せながら「この卵が大山の麓で親鳥のおなかにあったときのことを考えている、卵を手に取ると殻を通して記憶がよみがえってくるのだ」と語ります。

続いて、ジュンサイだった頃の思い出話を語るのですが、これが何とも秀逸です。
読んでいる方も、杉山女史と一緒にジュンサイになって「水の表面でたゆたう、たゆたう日々」を過ごしている気になります。

料理教室から戻った後、泰平は妻のレシピノートを頼りに料理をするようになります。

長いこと食事を作っているうちに、泰平も料理についてだんだんわかってきたことがあった。いまでは、泰平は自分が椎茸だったことを思い出すことができる。

妻が椎茸だったころ/中島京子

これに続く最後の一行でじんわりと涙がにじみます。

私は、あまり「料理をする人」ではないので、かつて自分が椎茸だったことも卵だったことも思い出せないのが残念な気がしてきました。

蔵篠猿宿パラサイト

これは「SF」です。
隕石にまつわるスペース(S)ファンタジー(F)であり、石(Stone)の熱狂的愛好家(Fan)の話であり、猿(S)の不思議(F)話です。
(すみません(S)、ふざけました(F))

卒業旅行に山奥の温泉宿にやってきた二人の女子大生。
彼女たちが「猿の宿」で出会った男は無類の石好き。
石についての熱い熱い語り口にこもる愛が重い。

癒す石、殺す石、人に恋をする石、恋される石、人を食う石、人に食われる石。石には地球上で行われるありとあらゆる体験が詰まっているんです。

蔵篠猿宿パラサイト/中島京子

温泉にある石の猿の像の目には、地元で採れた隕石がはまっているという。とろりとした蜜を思わせる琥珀色のかんらん石の光を宿す蔵篠猿宿パラサイトという隕石。

石に憑かれた男は、この隕石とこの土地についての謂れを語る。

かつて、近くの鍾乳洞には温泉が湧き、猿がたくさんいた。
隕石が落ちた頃を境に猿はいなくなった。
隕石が落ちたのは天明の大飢饉の年で人も一度死に絶えた
その後、復興して何ごともなかったように人々は暮らしている・・・。

湯冷めか湯火照りか、くらっとする読後感です

ハクビシンを飼う

美しい冒頭。

木戸を押して中に入ると、シロツメクサやカラスノエンドウ、ぺんぺん草の類いが庭を覆っていて、誰もいないのに小さな花をいくつも咲かせていた。
桜が花びらを散らし、柿が新芽をのぞかせ、楓、木蓮、棕櫚、椿、枇杷に梅に夏蜜柑、脈絡もなく庭を占拠した木々は鬱蒼と茂り、蔓性の植物が母屋の屋根までからみついている。

ハクビシンを飼う/中島京子

今まであまり交流のなかったおばが亡くなり、山奥の家の整理に来た沙耶のもとへ若者が訪ねてきます。
若者は、おば・笙子と親しかった男・ヨシノブの甥だといい、沙耶の知らない笙子とヨシノブ、そして一匹のハクビシンの暮らしについて語ります。

定年退職後、人里離れた古い農家に独り住み、人付き合いのほとんどなかった笙子。
自給自足で、誰も頼らない暮らしを続けてきたけれど、いつの間にか、天井裏に住み着いてしまったハクビシンに往生して便利屋のヨシノブの手を借りたことが縁の始まり。
困らされたハクビシンだけれど、いざ捕獲されるとその後の運命に情けをかけて笙子はハクビシンを飼うことにします。

かつてハクビシンは、雷獣という雷とともに落ちてくる妖怪の一種と思われていました。
そのハクビシンを飼い始めた笙子とヨシノブは伝説さながらに幸せに暮らしたといいます

芋、栗、人参、牛蒡、独活、山椒、山菜、菜の花、葱、韮、冬瓜、梅、夏蜜柑、枇杷。何でも取れるおばさんの庭と畑。
焙烙でちゃんと自分で炒ったほうじ茶。
庭で採れた夏蜜柑で作ったマーマレードを自家製パンに。
裏山で木から落ちた栗を炊き込んだおこわ。
自分で漬け込んだ梅酒。

幸せな数年の暮らしの後、ハクビシンが死に、ヨシノブが死に、笙子が死んだ。

ハクビシンが眠る裏山のあけびの木の根元で手を合わせる沙耶と若者。

都会に戻った沙耶は、日が過ぎるうちにそこでのことがなんだかあやふやに感じられてきます

そして何年も経つうちに、あの日のことはすべて、夢の中で起きたことなんじゃないかと思うようになった。

ハクビシンを飼う/中島京子

現代にもひっそりとこんな桃源郷が残っているのかもしれない、そんなことを感じさせる短編でした。

高原英理さんが編んだアンソロジー「ファイン/キュート」に収録されていた「妻が椎茸だったころ」を読み、さらに読みたくなってこの短編が収められている本書を読んでみることにしました。

時代がどれほど変わっても、技術が進化しても、人とあやかしは隣り合っていられる、そう思うとなぜか少しほっとします。
そして、あやかしにまで見捨てられる人類であってはならない、そんな風にも思うのです

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