明治36年日本初の万博=大阪で露呈した沖縄とアイヌへの差別
日本初の万博をご存知ですか。
明治の大阪勧業博覧会が、国際条約に加盟した、実質的な日本初の万博でした。
このとき、学術人類館という民族学の催しがおこなわれました。世界のいくつかの民族の生活様式を、再現実演する、という真面目な企画です。そこには、明治になって日本国に編入された、北海道のアイヌと沖縄がありました。
これ自体は、北海道物産展でアイヌの職人が熊の置物を実演販売するのと大差ないのではないかと、思えます。
しかし、新聞の読者投稿に
「アイヌや沖縄といった劣等民族が、日本にいることを、世界に見せるのはけしからん」
といった意見がよせられました。これが大反響をよびました。
明治の日本人にとり、アイヌや沖縄は日本に編入された異民族だという、確固たる偏見はいわば常識でした。
島崎藤村が、遠き国より流れよる椰子の実ひとつ、と歌った遠き憧れの国は、沖縄でした。柳田国男ら民族学にとり、沖縄が日本文化の源郷であることは自明でした。しかし、歴史学はじめ一般の日本人にとり、沖縄はたんなる異国にすぎなかった。
その差別意識は、いまだに消え去らない。
昨日の大竹まことゴールデンラジオより
沖縄ヘイトの現状
私の、卑弥呼さんは沖縄のおばちゃん、論は素朴に資料を読み込んだ仮説です。邪馬壹(やまい、かめいetc)国は沖縄、だから九州や本州をいくら探してもみつからない。
東大や京大のアカデミズム歴史学では、沖縄はそもそも日本ではない。
仮説として、私ふくめ数人が沖縄説にこだわるのは、ウルトラ少数派として実害はないでしょう。
明治に大阪から始まった万博は、1970年に大阪で最盛期をむかえ、令和の大阪で終焉をむかえるか。
そうしたなか、遠き憧れの国、沖縄へのおもいをまとめてみました。
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