イマジネーションを育み珠となすっうても
真珠のような、玉を育てていたつもりが、胆嚢摘出して出てきたのは、ごつごつの真っ黒な石でした。
唐突に書き始めました。
科学理論は、すべて仮説から始まります。歴史も、科学であるかぎり、例外ではありません。
仮説は、無から生まれるのではありません。いくつかの資料や遺物があって、それを理解するための基本的枠組みとして、想定されます。
玉のような仮説を育てているつもりが、黒い石になってしまうこともあります。
しかし、真理とは、ごつごつの石かもしれません。
歴史は美しい碧玉でなければならない、という人には、許されないことです。
古代信仰のなかに、イソラ、という醜い石神があります。主に、対馬にイソラ信仰は残されています。以前紹介したように、大阪府茨木市にもイソラ神社があり、湧き出す名水を、いぼみず、疣水、しゅうすい、と呼んでいます。
水辺のイボイボの石神は、醜いものこそ力を秘めている、という、確固とした美学です。
私は、仮説はなるべくシンプルであるべきだ、と思います。でないと、話はどんどん複雑になるのが、人間の習い性です。
歴史の話をしましたが、現代がどういう時代なのかも、直接生きていながら、より不可解です。歴史となってから、現代が理解されてくる。そのためには、文書資料の改竄はゆるされません。
胆石にこじつけて、余分なお話をいたしました。
Facebookページ沖縄にも古代史はある
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