「鎌倉名士の13人」

学び舎Cotobacoでは、月1回大人向けの勉強会"鎌倉致知木鶏会"…

「鎌倉名士の13人」

学び舎Cotobacoでは、月1回大人向けの勉強会"鎌倉致知木鶏会"を行っています。 この度、鎌倉への郷土愛と鎌倉の未来を創るきっかけとなるよう、新たに「鎌倉名士の13人」を企画しました。 鎌倉の歴史を継承し、今の鎌倉を中心となって創り上げている13名の方にお話を伺っていきます。

最近の記事

#12 鎌倉市市長 松尾崇氏に学ぶ「伝統を守るために、変化を恐れずチャレンジをする」

 鎌倉は、ご存知のとおり、源頼朝公が日本で初めての武家政権を開いた場所です。そして武家を中心とした政治が江戸時代まで続くことになりますが、幕末には、相模国鎌倉郡大町村(現在の鎌倉市御成町)で、イギリス人士官2名が武士に殺害される「鎌倉事件」が起こります。この時、イギリス政府は犯人である武士を鎌倉で処刑して晒し首にするよう要求してきました。幕府はそれにどう対応したかというと、「鎌倉は、日本人の目から見ると神聖な場所です。処刑する場所とすることは品位を落とすことになるか、日本の人

    • #11 料理家 矢野ふき子氏から学ぶ「世の中をより良いものにするべく課せられた『利他の精神』」

       鎌倉で生まれ育ち、料理教室「鎌倉ダイニング」を始めて、2022年10月でちょうど20年になりました。  父が熊本から上京して親代わりになってくれたのが、新聞に風刺画を描いていた、漫画家の那須良輔さんです。昔、島森書店で本や雑誌を購入すると、袋に流鏑馬の水墨画が描かれていましたが、それを描いたのが那須さんでした。鳩サブレーの箱を開けたところに描いてある絵も、那須さんの作品です。  那須さんは、批評家の小林秀雄さんの家に住まわれた方で、その縁で父も鎌倉に住むことになりました

      • #10 鎌倉文学館 館長 富岡幸一郎氏から学ぶ「言葉とは、人間に与えられた最大の力」

         鎌倉にゆかりのある文学者は、250〜300人くらいはいると思います。関わり方によって異なりますが、何らかの形で鎌倉に縁があるという括りで考えると、それくらいの人数になります。歴史はあるもののそれほど大きくはないまちに、これだけの文学者が集うというのは、他の地域にはないことです。  鎌倉は別荘地や保養地として開けてきたのですが、文学者が集うようになったのは、横須賀線が通った明治22年以降が中心になります。  たとえば、夏目漱石は「坊っちやん」を書く前に、円覚寺に座禅を組み

        • #9 鎌倉大仏殿高徳院 佐藤孝雄氏に学ぶ「これからの時代に必要となる、『分けない』思考」

           当院の御尊像は、鎌倉で唯一の国宝物です。吾妻鏡の記録によると、御尊像の鋳造は1252年に始まったとされています。15世紀の末には露坐の状態になっていることがわかっており、そこから数えて600年近く、ほぼ原型を保った状態にあります。世界的に見ても、これだけの規模の鋳造物が露座の状態で、これだけの年月、原型を保っているのは類を見ません。その意味では、当院の御尊像は古都鎌倉を象徴する存在とも言えます。  お寺は、社会の公器でなければなりません。街並みは時々刻々と変化をしていきま

        #12 鎌倉市市長 松尾崇氏に学ぶ「伝統を守るために、変化を恐れずチャレンジをする」

          #8 “鎌倉のNPOの母” 一般社団法人ふらっとカフェ鎌倉 代表理事 渡邉公子氏から学ぶ「『NPO発祥の地』鎌倉で、市民の力でまちを良くする」

           ふらっとカフェ鎌倉では現在、一人親家庭など、食に困っている方々に食料を無料配布する「フードパントリー」の活動を行っています。月2回開催していますが1回はスマイルフードプロジェクトで、市と協働で行っています。  私は、高校の家庭科の教諭を長くやっていたので、食については専門だと思っています。現在の社会課題は何かと考えた時に、子どもも大人も含めた居場所づくりが大切だと考えました。そこで、食を通じた居場所づくりをしたいと思い、ふらっとカフェ鎌倉を立ち上げました。  教員時代は

          #8 “鎌倉のNPOの母” 一般社団法人ふらっとカフェ鎌倉 代表理事 渡邉公子氏から学ぶ「『NPO発祥の地』鎌倉で、市民の力でまちを良くする」

          #7 鎌倉市観光協会会長 大森道明氏に学ぶ「観光地・鎌倉にあって、鎌倉市民のための観光協会を目指す」

           五年ほど前に鎌倉市観光協会の会長職をお受けしましたが、コロナ禍になってからはいろいろと難しい面が増えました。鎌倉市観光協会としては鎌倉まつり、鎌倉花火大会、鎌倉薪能に関わっていますが、これら60年、70年と続いてきたイベントも、中止や無観客での開催などにせざるをえませんでした。  ただ、私としては、時代の流れで人々の生活様式も変わってきているので、伝統あるイベントも形を見直すべきではないかとかねてより考えており、良い機会を得たと前向きに捉えています。  これまでは、「鎌

          #7 鎌倉市観光協会会長 大森道明氏に学ぶ「観光地・鎌倉にあって、鎌倉市民のための観光協会を目指す」

          #6 解剖学者 養老孟司氏から学ぶ「草木に葉が『成る』ように、自然体で生きていくことの大切さ」

           鎌倉に生まれ育ち、若い頃は鎌倉のまちをたくさん歩いたものです。僕は特に妙本寺が好きです。日蓮宗のお寺はたいてい街中にあるのですが、妙本寺は山の中にあって、自然に囲まれており居心地が良いです。  鎌倉は、少し移動すれば山にも海にも行けます。ですが、こういうまちは日本中至る所にあって、鎌倉特有の魅力とは言えないのではないでしょうか。  それでは、なぜ鎌倉が地元民にこれだけ愛され、観光客をこんなにも惹きつけるかということを追求してみると、鎌倉が醸し出す雰囲気にあるのではないか

          #6 解剖学者 養老孟司氏から学ぶ「草木に葉が『成る』ように、自然体で生きていくことの大切さ」

          #5 岩岡教育長から学ぶ 「教育とまちづくりが噛み合う鎌倉で、子どもたちを豊かに育む」

           教育長というのは、首長がまちの教育において実現したいことを踏まえて選び、任命します。私は文部科学省に勤務をしていたのですが、そこでいろいろな人脈ができる中で鎌倉の松尾崇市長と出会いました。そして、松尾市長が次の教育長を誰にするかを検討する時に、岩岡にやってほしいという思いを持たれて、ご提案を受け、私もやりたいという気持ちになって、現職に着任しました。  鎌倉は、新しいものが好きで、リベラルで、寛容性がある。それらは、ビーチ文化と言えるものでしょう。また、昔からの地の人たち

          #5 岩岡教育長から学ぶ 「教育とまちづくりが噛み合う鎌倉で、子どもたちを豊かに育む」

          #4 「建長寺管長 吉田正道氏に学ぶ、『自分自身を見つめ、磨くことで、人間力を高める』」

           私が建長寺に入って、約40年が経ちます。現在は、建長寺の住職であり、臨済宗建長寺派の管長を務めています。  日本で初めて「禅寺」と称した、中国宋朝風の臨済禅だけを修行する禅宗道場ということで、鎌倉の中にあっては日本の文化を発信する中心的な拠点としての役割が建長寺にはあります。  とはいえ、以前の建長寺は対外的に開かれた存在ではありませんでした。私が建長寺に来てから、これではいけない、寺というのは引っ込んでいるのではなく、市井の人たちと接するものであるという考え方から、坐

          #4 「建長寺管長 吉田正道氏に学ぶ、『自分自身を見つめ、磨くことで、人間力を高める』」

          #3 「社会福祉協議会会長 兵藤芳郎氏に学ぶ、鎌倉の⾄るところに存在する素晴らしい『⼈間⼒』」

           社会福祉協議会には、⾼齢者の⽅や障がいのある⽅、⽣活困窮者の⽅などを対象とした、あらゆる分野の福祉を⽀える役割があります。  福祉とは、社会の根底であり、⽣活の根底だと思っています。そういう意味で、福祉を成⻑させていくことが必要なのですが、私だけでそれができるわけではありません。  2021年6⽉より、社会福祉法⼈鎌倉市社会福祉協議会の会⻑を務めさせていただいていますが、何よりも⼤切にしているのは職員です。職員あっての社会福祉協議会であり、鎌倉の福祉です。職員を通じて⾒聞き

          #3 「社会福祉協議会会長 兵藤芳郎氏に学ぶ、鎌倉の⾄るところに存在する素晴らしい『⼈間⼒』」

          #2 「鎌倉商工会議所 久保田陽彦会頭に学ぶ これからの鎌倉」

          感謝の気持ちを大切に、「守る」と「革新」を見極める  8年ほど前から鎌倉商工会議所の会頭を務めさせていただいていますが、当時は鎌倉の方々をほとんど存じ上げない状況でした。父も会頭を長く務めていたので、いま思えば、期待をしていただいた上での抜擢だったのかもしれません。  鎌倉というまちは、エリアによって活動や意識などが分かれているところがあります。鎌倉商工会議所の会頭としては、そういった敷居を無くして、“オール鎌倉”で、鎌倉の経済を活性化していきたいと考えています。 そのた

          #2 「鎌倉商工会議所 久保田陽彦会頭に学ぶ これからの鎌倉」

          #1「円覚寺管長 横田南嶺氏に学ぶこれからの生き方」

          「今こそ⾒つめ直していただきたい、『怨親平等』の精神」私は、幼い頃より「死」について考えていました。 きっかけは、私が2歳の時に祖⽗を亡くしたことです。それが、私にとっての記憶の始まりです。⼩学⽣の時には、同級⽣が⽩⾎病で亡くなりました。そして、死というものは、いつくるかわからないと思うようになったわけです。学校の勉強では、死について教えてくれません。⼩学⽣なりに考えて、「死とは何か」を知るべく、お寺に⾏ってみたり、教会に⾏ったりしているうちに、坐禅と出会いました。 坐禅を

          #1「円覚寺管長 横田南嶺氏に学ぶこれからの生き方」