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2月12日

2020年2月12日
3年前の今日…
品川でセミナーの後の風景

娘と夕飯食べる約束してて、ふと撮った風景

感染者がじわじわと…
セミナーも、マスク着用だった。

骨折で入院中の父が、1月9日にインフルエンザAと診断。
大部屋で最初に発症。
次から次と同じ病室でも感染者が出た。

その時の院長先生の言葉

最初に症状がでたから、インフルエンザを持ってきたのは、父の面会者じゃないか…

父のベッドは、入口付近
ドアを開けて、すぐ左
肺気腫(COPD)を患っていた。

洗濯ものを届けてくれていた妹は、憤慨して電話をくれた。

お姉ちゃん、院長の第一声がこれだよ!
お父さんが苦しんでるのに!!

そのあと2週間、3度の危機を乗り越えて、大部屋に戻れた。

3度目の2月9日の酸素投入が気になり、セミナー前、顔を見に行った。
面会時間10分程だっただろうか…。

介護施設で、介護士としての仕事をしていた時に、看取りをさせてもらったことがある。
身体の末端、かかとにチアノーゼの症状が出る。

父の手や足から、その時のチアノーゼの様子がわかる。
身体の下になっている部分に、紫のあざが広がる。

苦しかったよね…

病室で、理学療法士さんとの会話。

朝から、だれだかが来るって待ってましたよ。
娘さんのことだったんだね…。

そうだったんですね。
部長が行けなくなったセミナーに、代理で出席することになって、急だったから連絡してなかったんです。
他に誰かくるのかな?

父の目が時折白目をむく

父が何か言う
酸素マスク越しで聞き取れなくて、
ホワイトボードで筆談

水くれ

水のみには、ほんの少しトロミをつけたお茶があった。

これでいい?

ごっくん…喉が鳴る。

飲めたね…

お父さん、今日は、品川でセミナーがあるから、その前に時間がとれたから来たよ

うなずく

手で、行けと

その手を握り

また、来るね
その時、爪も切ろうね

手を握り返してくれた
手を振る父に後ろ髪ひかれる思いだった。

病院の入口に向うと、バスが行ったばかりの時刻。

4km歩くか…と、時計を見る

スーッと、目の前にタクシーが停まる

病院に来られた方を降ろされたので、

駅まで良いですか?

そう声を掛ける。

送迎の連絡は、してないですか?

していません。

駅に着いて、お昼ご飯を食べる時間がとれた。

父は、わかってたかのようだった。

翌日2月13日は、息子のように可愛がっていた甥っ子と、60年来の親友と会った。

2月14日の朝8時15分息を引き取った。

母が、

お父さん、最後に会いたい人にしっかり会って、1人で逝っちゃった

惠に、死に水取ってもらいたかったんだよ

従兄弟とおじさん(父の親友)から

お父さん、惠ちゃんが来たことを嬉しそうに話してたよ

父の思いを聞いた。

明後日は父の命日だけど、私にとっては3年前の今日の父の手の温もりと、握り返してくれた手の感覚が、父との最後の思い出となった。

まだまだ、書きながら涙が溢れる。

父亡きあと、原戸籍をとって知ることも多かった。

嫁に出て、除籍と記載されている父の戸籍謄本。
胸がチクリとした。

父の兄弟のこと、複雑な戸籍。

私は、父と母のもとに産まれた。
父と母が居たから産まれた。

そして、今を生きる。

生きることは、偉大なことなんだよね。

あの日の今日…大事な日

父のメガネ

Google Photo、あの日の思い出
来年もまた、お知らせあるんだろうな…。

2月12日

大事な日


最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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