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私を構成する3つの言葉(小学生編)

私を構成する42枚をやろうと思いつつも、面倒さと少しの恥ずかしさからできていない。
聴いてた音楽は思い出ではあるが、自分を構成するものとは少し違う気もする。

話は変わって、いつの日かの商店街でおじいちゃん達が大学名を出してマウントを取り合っていた。
その歳になっても学歴で競うのやめてくれ~~と思った。

そんなわけで小学生時代を振り返って、私を構成する3つの言葉を書き残す。

「弱い犬ほど良く吠える」(母親)

犬は可愛い。
小学生の頃、何度聞いた分からないくらい言われた。
母親がどんな生き方をしてきたのか気になるが、深掘りしたことはない。
母親はめっちゃ猫が嫌い。

強い言葉や傷つける言葉を発する人は一見強そうに見えるが、弱さや自信の無さが透けて見える気がする。
「強い言葉に騙されるな」というメッセージだと理解している。

自分に自信が無いときや、心が不安定になときこそ「自分に自信がある」と言いたくなる。
自分を認めてもらえない不快感と心のバランスを取ろうとしているのだと思う。
犬は可愛い。

「嫌いな人は既に自分のことが嫌い」(小5 担任)

当時これを聞いたとき、意味がよく分からなかった。
でも何かが引っかかったので、頭の片隅に置いて生活していたら少し理解できた気がする。

自分だけが一方的に嫌っているというような、都合の良い事はあまりない気がする。
自分に無い性格(考え方とか)は相手に見出すことはできなくて、嫌いなところとして抽出できない。
指摘できるのは自分が理解しているからだと思う。

「他人は自分の写し鏡で、自分の嫌なところが相手に投影されてるんだよ」みたいに言っていた気がする。
愚痴や悪口を聞いているとその人本人に当てはまる事がほとんどに思える。
自分が愚痴を言いたいときはきっと自分にも当てはまるんだろうなあ〜って思っている。

「女の子に優しくしたほうがいい」(小2クラスメイト)

その頃、俺は女の子に厳しかったのか?それは覚えていないが、落ちた消しゴムを拾ってあげるくらいしか優しさの表現方法を知らなかった。
なのでどうしたら優しいと思ってもらえるのかいつも考えていた…。答えは出なかった。

この言葉のポイントは好きな女の子とか、特定の人にだけとか、もはや性別で区切って優しくするのはやめたほうががいいというところだと思う。

自分に優しくしてくれる人が、他人に冷たくしていたりしたら、いつかは自分に向けられるんだろうなと思って少しだけ警戒してしまう。

そう言うことを考えているからか、大人になるにつれて優しさというのは結構怖いことだなと思うことが増えた。優しさだけが正義ではない。
弱ってるとき優しさを求めたくなる。その事実を認知して、優しさに依存しない問題解決を目指したい。

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