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認める 前編

 頃は寿永三年。鎌倉殿から、木曽義仲殿の上洛以来の横暴を止めよという命が下った。鎌倉殿からすれば、義仲殿は従兄弟にあたるわけで、軍勢からもどよめきが起こった。しかし、棟梁の命令は絶対である。源氏方の武士として、従わない訳にはいかぬ。
  私は、搦手の軍勢として、九郎義経殿のもとにつくこととなった。搦手は南の宇治の方から回って京へと向かう。逢坂の関を越えて、京の東側の粟田口から上洛する大手に比べれば距離が長い。それに加えて、西国一の懸河である、宇治川を越えねばならぬことが何よりの懸念であった。その為に私は、長い距離にも、劣悪な環境にも耐えうる屈強な馬が欲しかった。
  来たる追討の日に向け、相模の屋敷で訓練を重ねることにした。この屋敷は父上が鎌倉殿から頂いた所領である。犬追物の訓練が出来るほどに庭は広く、陽当たりも良い。外と内とを隔てる竹垣の側には様々な木々や草花が植わっている。縁側へ腰掛けて、この折節によって色を変えていく豊かな緑を眺めるのは、日々の訓練の慰みになった。
  訓練を終えた夕暮れ時、縁側でようやく花開きそうな梅の木を眺めていると、長屋門の方から声が聞こえる。
「景季殿、おりませぬか」
  この時間に来訪する者があるのはなかなか珍しいことであった。が、声には聞き覚えがあったため、通した。私の前に小走りで参上したのは、数々の合戦を共にしてきた雑役の童であった。
「どうした、こんな時間に」
「景季殿、朗報でございます。」
  童は息を切らし、肩で呼吸しながら語る。源氏に与同している武士達の、昨今の内部事情から話し始めるものだから、なかなか要領を得ない。が、要は鎌倉殿の厩に健啖たる馬が二匹入ってきて、その二匹共が双無き汗血馬である、それを多くの関東武士達が所望している、という事であった。
「景季殿、戦の先駆けを手にしたくば、この馬は必須でございましょう」
 先駆け――それは、武士やその一族であれば誰もが求める勲章であった。一つの戦でたった一人のみが、その名誉を手にし、後世に名を語り継がれていく。私は父とともに数多の戦に挑んできたが、一度もその栄光を手にすることが出来ていなかった。
  今や父は、関東武士の中でも重要な御家人の位置にいる。梶原の名に恥じぬよう、そして、本領を安堵できるよう、私は何としてでもこの「先駆け」を得ねばならなかった。童が言ってくることにも納得できた。
  皆が所望しているその馬を手に入れれば、長距離だって何のその。宇治の豪流を難なく乗り越え、私が最も欲している「先駆け」に、ぐっと近づくことができる。渡りに舟である。そう思うと、すぐにでも談判しに行かなくてはと気が急いた。
 そのまま童を家に残し、私は翌日の明朝、鎌倉へ向けて馬の腹を蹴った。


 鎌倉殿の御殿に到着した。流石は東国の棟梁、といった具合に御殿は絢爛豪華である。これを一つ売れば、軽く一ヶ月は何もせずに過ごせそうに思える瓦が無数に並んでいる。その上から落ちてしまってはひとたまりも無さそうな大きな門をくぐって中に入ると、家来やら訪問客やら他の関東武士やらで、ごった返している。折角綺麗に整えられた御庭も、その風情を陰に潜めていた。
 その人群れの中に見知った武士がいたから、何の騒ぎだと問うと、案の定、例の馬を所望する者や見物に来た客など、関東中から人々が集結しているらしい。
「そなたも例の馬を」
「ああ。しかし、凄い人だかりだな」
「まあ、武蔵や常陸の方から来ている者もあるくらいだからな。・・・・・・一度も見ない馬を所望しても仕方なかろう。実際にその目で見てくるがいいさ」
 その男の言うがままに、私は人の肉壁の中へと入っていった。押し合いへし合い、かき分けながら、辛うじて厩のぐるりを囲う柵の前まで到達することが出来た。
 そこには、筋骨隆々で、見たことの無いほど大きな二頭の馬がいて、餌桶に詰まった牧草をむしゃむしゃ食っていた。片方は黒みがかった栗色で、毛並みは王宮の舎人が四六時中綺麗に撫でつけているかのように整っている。眼はいつか見た真珠のように、光り輝いている。もう片方は、黒も黒、漆黒と言ってもいいほど黒く、その歯が一層輝いて見える。栗色の方に負けず劣らず猛々しい様子で、鼻息荒く餌を喰らっていた。
 しばらく馬の姿形に見惚れていると、いつの間にか隣に先の男がいた。
「すばらしい馬たちだろう。彼奴らは見てくれだけではない。噂の通り、その肉体に比類の無い馬力を潜ませている。これを聞いた武士達は色々と文句を言って鎌倉殿の気を引いて、二頭の馬のいずれかにありつけないか、とあくせくしている。他の武士に負けまいとする所以か、だんだんと一人一人の口上が長くなっていく。きっと鎌倉殿も辟易しているに違いない。私は今日は上手いこと話が進まなかったから、また明日赴くことにする。お主も他の連中と同じ轍を踏むんじゃ無いぞ。さらば」
と、からからと笑いながら馬を駆っていった。幸せな奴だと思った。私は鎌倉殿に何を話して馬を所望しようか、思考を巡らしていると、「お入りください」と声が聞こえた。
 御殿の内部は、外観で受けた印象よりもやや大人しいものであった。が、それでもやはり頂点に立つ棟梁の家だ。廊下を歩いている最中に横目で見えた、少し開いた襖の向こう側の調度品はどれも一級品に見受けられる。
 私は客待の間に通された。今までの経験に無いくらい広く、己が立っている位置から奥の御座椅子までは、軽く10間程はあるように見受けられる。部屋の内で目を凝らしていると、奥の床の間には一幅の掛け軸が掛けられている。そこには「一所懸命」という文字が記されていた。その下の床板を見ると、下ぶくれになっている瓶に、リンドウが生け花になって縦横無尽に広がっている。先から心地の良い薫りがするかと思えば、座っている畳の藺草から香る匂いだった。柱や天井の木材は、杉だろうか。檜だろうか。戸の框の漆塗りもとても艶やかである。頭の中でこの間の観察と批評をしながら、何を言うべきか考えた。
  同情を引くような文句では、あの男の言うように、鎌倉殿は靡かないはずだ。何か別の言立てをしなくてはならない。長いこと悩んでいた気がするが、漸く片が付きそうになった。すると、襖がすっと開いた。
  鎌倉殿と対面するのは、ここが初めてであった。勿論、戦の命を出される際にこの御所に来たことはあるが、遠目に彼を見るばかりで、こんな近くに向き合うということは全く無かった。彼は宮中の公卿ですらなかなか着ないような、黒い直衣を身に付け、天を衝くほどの烏帽子を被っていた。平家の兵だろうと何だろうと、臆することなく立ち向かうことを自負していた私だが、この時は気圧された。
「景時のせがれではないか。わざわざご苦労である。何をお望みか」
ここで、私は考えていた通りに口上しようとした。だが、鎌倉殿の口がまた開いた。
「……もしや、お主もあの馬を所望しているのか?」
 機先を制せられてしまった。私の魂胆はかの目には見え透いているというのであろうか。私がもぞもぞと口を動かしていると、鎌倉殿はその水晶のような眼差しで続ける。
「あの二匹の馬は、お主ら御家人に賜うつもりは毛頭無いのだ。予が出陣する時に乗り、連れる馬なのだ。それがどういうわけか噂が曲がりに曲がって、次の出陣の際に御家人達に与えるものだというようになってしまった。やはり人の口はさがないものだ。武士らにも噂は違うと説いているのだがな、まるで聞く耳を持たない。とにかく、予はあの馬をお主らに賜うつもりはない。帰って来たる日を待て」
そう言って、殿は立ち上がった。御退出を許してしまえば、もう交渉は出来なくなってしまう。せめて所望の熱意は、無礼を覚悟で申さねばならない。
「殿の心づもりの程、お聞かせくださり、幸甚でございます。その御心に反してしまいますことを無礼だと承知の上ですが、私の心づもりをお聞きください。・・・・・・私も、他の武士と同様に、あの馬を所望しております。ですが、それは単に武功を挙げたいという心からだけではありませぬ。今まで頼朝殿のお陰で数多くの武功を打ち立ててきた、梶原という名をより強固なものとしたいのです。そのために、あの馬が必要なのです」
  私は、つとめて冷静に、そしてはっきりと申し上げた。しかし鎌倉殿はこちらに見向きもせず、襖の方に体を向けたまま、
「やらぬものはやらぬ。お主だけを特別に扱うことはできぬのだ」
と言って、間から退出してしまった。


 翌朝、いつもの如く一番鶏が高い声を上げた。昨日は結局この屋敷に帰ってきた後に稽古をしたが、なかなか身が入らず、疲れてもいないからなかなか寝付くことが出来なかった。よほど不機嫌が外に漏れ出しているのか、童も例の件を聞いてこない。
 いつまでもそのままではいられないので、童に件の失敗を打ち明けた。
「それで、言われるままに帰ってきたわけでございますか」
「もう、それしかないのだ。あの眼で告げられては、太刀打ちできぬ」
「……少し小突かれた程度で消える覚悟では、『先駆け』は到底不可能でしょうな」
  私はこれを聞くや否や、童の胸元につかみかかった。
「お前は、あの威圧感を知らぬからそんな口が叩けるのだ。お前なぞ、今すぐに放逐して、路端の塵芥同然にもできるのだぞ」
  初めてこの男を怒鳴りつけた。憤慨した。しかし、この男は全く怯まず、大声で言い返してきた。
「何を倦んでいるのですか。そうやって怒りをぶつければ満足ですか。違いましょう。貴方が欲しているのは、名を残すための『先駆け』でしょう。その為にあの馬が必要なのでしょう。1回きりで諦めるのですか。鎌倉殿も岩や木ではございません。靡くまで何度も赴けば良いのです。口上の質も大事ですが、まずは量です。赴く量を増やし、態度にてその熱意を示すべきです。質を求めるにはまず量をとにかくこなすのが鉄則です」
「放逐したいのならすればよいでしょう。私の言いたいことはこれだけでございます」
 私は、はっとした。
  童に暴言を吐いてしまったことを詫びて、屋敷の留守を頼んだ。そして、鎌倉殿の御殿を指して再び馬を駆った。
 それからは、稽古をしつつ、御殿に赴いては馬を所望し、突っぱねられるという生活が続いた。だが私はただ頻りに馬を望んだ。行く度に出会う他の武士とも顔馴染みになり、談話する中で、あの二匹の馬の素性が次第に明らかになってきた。
  どうやらあの二匹の馬のうち、栗色の方は「生けずき」というらしい。何でも、馬でも人でも、生きとし生けるものは何でも「すく(食う)」勢いだからそう呼ばれるようになったそうだ。もう一匹の漆黒の方は、体毛が磨った墨のような色をしているから、「する墨」という名前が付けられている。いずれも劣らない名馬だったが、私は柵越しに見たあの日から、「生けずき」を所望していた。
「生けずきをどうか賜びてください」
「また来たのか。できぬ」
「お願いします」
「できぬと言ったら出来ぬのだ」
「お願いします」
「どうか」
「駄目だ」
「私に生けずきを」
「聞き分けのない男だ。無理だと分からぬのか」

  こんな問答が何回続いただろうか。もう勘定できないほど御殿に通いつめていた。ほぼ、日課の如くなっていた。ただ、私は諦めの悪い男になっていた。からっと晴れたその日も、朝の稽古を終えるや否や、気付けば鎌倉を指していた。
  自分が腹を蹴る毎に、加速していく。この馬は父から譲り受けた老馬であった。が、老いた割には屈強で疾く走る馬であった。「生けずき」を手に入れても、この馬は屋敷の舎で大事にしようと思った。


 御殿に到着した。相も変わらず豪勢である。初めてやって来た日に比べると、随分人だかりも減ってきた。今ここに来ているのは通常の客人か、殿の御使いか、あるいは執念深い物好きくらいのものであった。御殿の門にいる番人とはもう顔馴染みであったから、すぐに通してくれた。内部に入った背後で、「懲りないなあ」という声が聞こえた気がした。
 この日も、だだっ広い間に通された。そこには既に、鎌倉殿が座していた。私は、最近出来た右頬のにきびを気にしながら、10間ほど離れて投げられた座布団に座った。
「・・・・・・またか」
「左様でございます。どうしても、あの馬が必要なのです」
 鎌倉殿は黙り込んで、足下の畳を見つめてため息をした。今日はどこか話の流れが例とは違う。もしかしたらもしかするかもしれぬと淡い期待を込めて、私は鎌倉殿の方を凝視した。
  どれほどこの構図がこの間を支配していただろうか、鎌倉殿が口を開けた。
「やはり、『生けずき』は鎌倉で有事の際に予が乗るための馬なのだ。だからどうしてもと言われてもやるわけにはいかぬ。だが」
「だが・・・・・・?」
「お主の熱意たるや、他の武士とも画すものがあろう。そして、日頃からお主ら梶原家には世話になっていることもある。隣にいる『する墨』も劣らぬ名馬で、またとない駿馬であるぞ。彼奴を持っていくがよい」

 そうして私は、「する墨」を賜った。

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