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認める 後編

 遂に軍勢が東国を出立する日になった。私が所属する搦手軍は、箱根の山々の北を通り、伊豆の足柄峠を越えて駿河の沼津の方面へと進む道を取ることとなった。沼津まではめいめいで向かうことになったから、相模の屋敷から、庭に咲き始めた梅の花を手折って、する墨に乗って出発した。
 あの日、鎌倉殿からする墨を賜ったあの日、豪奢な厩に入り、改めてする墨と対面した。その時はすぐ隣の「生けずき」が頂けなかったことに腹の虫が収まらなかった。本当に私の本意や熱意が伝わっていたのか、疑問だった。「度重なる面会が面倒になったが、何も与えないのは他の家人の信用にも関わるかもしれない、かといって『生けずき』は渡せない。だから、支障のないする墨を渡せば間に合うだろう」、という魂胆だったのではないかとも考えた。
 が、そんな疑念は今日、一瞬にして消え去った。評判を超える大馬。底無しの馬力。激震する地面。それでいて乗り心地はこれまでの馬のそれを思い出せなくさせる程快適なものであった。加えて鎌倉殿の言うように、とても疾く、風になったかのようだった。気がつけば前にいた多くの軍勢を牛蒡抜きして、先頭を駆けていた。
 沼津まであと僅か、駿河国浮島が原に到着した。平原の南側に丘があったから、そこに上って後ろを駆けていた軍兵達を眺めた。各々が思い思いに馬へ鞍や鐙、鞦をつけて連れている。ただ、雲霞の如く見えた軍勢の中には、する墨を凌駕するような馬は一匹として見当たらなかった。腹の底の底から胸、そして鼻先までを一筋の風が吹き通る心持ちがした。私はする墨を三度撫でた。
 西の空から雲が覗き、陽を隠し始めた。そろそろ再出発しようと鞍を置き直しつつ、平原の様子を眺めていると、何やら騒がしくしている群がりが現われた。一匹の巨大な馬を、五騎ほどの小兵や舎人で囲っている。中央の馬は黄覆輪の鞍を掛け、こぎれいな鞦をかけられている。その口元は泡で溢れており、勇みはやっている。こちらに近づくにつれて、黒みがかった栗色の体毛であることに気付いた。まさかと思った。
 急いで丘を駆け下り、その群がりのもとへと向かった。遠くで見たものだから確信できなかったが、これは紛うことなく、「生けずき」であった。まだ主は見えなかった。
「この馬の主は何者か」
「これは景季殿。随分とお早うございますな。主は佐々木四郎高綱殿であります」
 舎人は馬に引っ張られながら語る。信じられなかった。鎌倉殿の、日頃から頼りにしているというあの言葉は虚事であったというのか。よりにより佐々木に思いを変えられるのは遺憾であった。
 佐々木四郎高綱は、宇多源氏の一人であり、源氏一族の端くれである。保元・平治の際、私は彼と共に奮戦した。恩賞を受けるのも、いつも一緒であった。ともに背中を預け合って戦ってきた。だからこそ、鎌倉殿が彼だけに「生けずき」を与えたことが認められなかった。どうせ死ぬなら木曽義仲殿やそれに仕える四天王と呼ばれる人達や、平家の公達と軍をしてからにしようと思っていた。だが、もういい。佐々木と取っ組み合いになって刺し違え、強力な若侍二人が死ぬことによって、あの鎌倉殿に目に物を見せてくれよう。私は、佐々木が後ろからやって来るのを待ち受けた。
 程なくして、佐々木はやって来た。この曇り空には似合わない、爽やかな笑顔を見せながら、右手を挙げる。私はそれには返事せず、やや俯いたままに一言呟いた。
「やあ佐々木。どうやら『生けずき』を賜ったそうだな」
 すると佐々木は右上の方を一瞬眺め、
「ああ。その事なんだが、搦手の進路を考えたときに、宇治川に架かった橋は木曽勢が取り外しているだろうから、宇治川をそのまま渡らなきゃならんと考えてな。噂になっていた鎌倉殿の馬を頂こうと思ったんだ。だけど、お前がいくら所望しても断固拒否しているという噂も聞いてな。尚のこと私だったら頂けるわけなかろうと思って、いつだったか、ある日の宵も宵に、そこの舎人と示し合わせて、盗んで来ちまったんだ。不味いかな」
 思わず、吹き出してしまった。その機転が、憎らしいと思った。先程までの怒りは、どこか彼方へと消えてしまった。
「それなら、私も盗むべきだったなぁ!」
 私達は大笑いした。


 春とはいえ、曇天になってしまった上に、日が暮れると流石に冷える。いくら鎧を着込んでいるといっても、冷気が貫いてくる。今はする墨に乗って駆け、風を切り裂いているのだから尚更だ。沼津に到着した後、名揃えが行なわれたようだが、私と佐々木は浮島が原で合流して少しばかり語らっていた。そのため、沼津に着いた時にはもう軍勢は京へ発向した後だった。
「しまった。急いで軍勢に追いつかなくては」
「安心しろ、梶原。鎌倉殿のご秘蔵の馬に乗っているじゃないか。石火の如く追いつくさ」
 彼が言い終わるや否や、私はする墨を駆る。先を急ぐ。折角比類無い馬を頂いたところで、これでは全く意味を為さない。脇にじんわりとした気味の悪い汗を感じながら、ひたすらに腹を蹴った。すぐ右後ろには、佐々木がいる。彼も「生けずき」を駆り、追いつかんと馳せる。しかし、私のする墨は駿馬である。彼の6間ほど先を保ったまま、ひたすらに駆けていった。気付けばいつしか暮れた空も、段々と明るみ始めていた。
 右手に志賀山が見えてきた。山桜が蕾み始めている。陽はまだ顔を出してこない。佐々木はつかず離れず、私の右後ろを駆け続けている。大丈夫だ。この距離のままであれば、追いつかれることはあるまい。宇治川までは、あと少しだ。
 徐々に白の旗を差した鎧を着た軍兵の姿が見え始めると、そこには宇治川の下流があった。白浪を立てて、どうどうと滝のように流れている。山の雪解けが始まっているから、水位がいつも以上に高くなっていた。夜が明けたとはいえど、川の水がしぶいて霧になって、前方の様子ははっきりしない。だが、そんな中でも多くの軍兵が群がっているのが遥か向こうに見えた。どうやら渡河の為の評定をしているようであった。
 この状況は、私にとって好都合であった。「先駆け」というのは、何も一人で敵陣に突っ込んでいっても意味が無い。「先駆け」として語ってくれる者がいないからである。また、見届けた者が一人や二人では多勢に無勢で信じてもらえない。背後に誰かが、しかもそれが大勢いることで、やっと「先駆け」の名として刻まれるのである。ここまで来るのに何人か轢きそうになったが、この大勢の前を進み、渡河していくしかないのである。
 鐙をしっかりと踏み、手綱をもう一度握りしめる。軍勢の中を突っ走り、宇治川の河岸に着いた。豪流を前にして、馬諸共飛び込んでいく勇気を確かめる。私はする墨を三度撫でた。
「あれは梶原ではないか」
「この黒馬は鎌倉殿の・・・・・・」
「後ろに佐々木家の四郎高綱もいるぞ」
 こんな声が、背中を通して聞こえてくる。皆、私達を見ている。この場で「先駆け」となれば、梶原家の永劫たる栄光となり得よう。「宇治川の先陣、梶原源太景季」。この称号を頭の中で反芻させて宇治川に入ろうとした、その時だった。
「梶原!この川は西国で最も名高い懸河だぞ。どうやら腹帯が緩んでいるように見える。しっかりと結んでおけ!」
川の轟音の中でも佐々木の声ははっきりと聞こえてくる。ここまでほぼ停まらずにやって来たから、確かに緩んでいるかもしれぬ。踏ん張っていた鐙を緩め、腹帯を締めるために、手綱を馬のたてがみにかけた。
 その刹那、爽やかな風が私の右頬を撫でた。にきびを気にしながらその行方をうち見やると、それは栗色の馬に乗った旧来の戦友であった。佐々木はそのまま、宇治川へざぶりと入っていった。腹を確認したら、己の腹帯はこれでもかというくらいきつく縛られていた。私は騙されていたのだ。急いで後に続いた。
「貴様、たばかったな!」
佐々木は返事をしない。ただ前だけを見て、「生けずき」の手綱をしっかりと握って進んでゆく。こちらには一切の目もくれない。
   私は、はっとした。だが、佐々木の実力を、彼こそが「先駆け」を取るべき器の持ち主であるということを、しんから認めるわけにはいかなかった。私は源氏一族でないから、とにかく武功を挙げていくことでしか、家の面目を保っていくことが出来ない。だから一つ一つ戦いの度に死力を尽くしてきた。今度の戦いは、最大の機会であるのだ。その戦果を佐々木だけには取られるわけにいかなかった。しかし、彼は数々の死闘を共にしてきた戦友でもあった。だから、彼の「先駆け」にかける思いもひとしお理解ができた。私は苦し紛れに、呼びかけた。
「佐々木!名を挙げようと焦って失敗するんじゃないぞ!川底には大綱が張り巡らされているぞ!」
   私が言い終わらぬうちに佐々木は太刀を引き抜き、「生けずき」の足に絡んだ綱を瞬く間に斬って進んでいく。私も負けじと手綱を引き締めてする墨を進ませる。だが、宇治川の激流におされ、する墨と私は西へ西へと流されていく。佐々木は真一文字に渡っていく。2人の差は6間どころでは無くなってきた。私は焦ってどんどん胸の奥が重くなる。視線の先の彼の横顔には、余念がなかった。彼はただ「先駆け」に向けてひたすらに突き進む一筋の光であった。


 遂に佐々木は向こう岸に辿り着いた。
「宇多天皇の末裔、佐々木四郎高綱が宇治川の先陣なるぞ!我こそはという者はかかってくるがよい!」
大音声で名乗りを上げて、彼は木曽の軍勢の中へと駆けていく。その後ろ姿を、私は激流に流されながら、ただひたすらに見つめていた。
  が、激流が岸にぶつかって弾ける水飛沫に、雲の合間から顔を出し始めた朝日が乱反射して、佐々木を朧気にした。彼の姿は見えなくなった。

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