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どくはく

「独白」というのは、『日本国語大辞典』によれば、「①芝居で、登場人物が心中の思いなどを観客に知らせるために、相手なしで、ひとりでせりふを言うこと、また、そのせりふ。ひとりぜりふ。モノローグ。②転じて、ひとりごとを言うこと。また、そのひとりごと。」とされています。ここでいう「独白」は概ね②にあたるかと思います。まあ、読者の皆さんの前で相手なしに私がひとりで語るわけですから、①にもなることでしょう。今回は、山田さんにこのような機会を頂きましたので、私の生の心中をのべつまくなく語っていこうと思います。テーマは三つを予定しております。それでは、よろしくお願いします。

 まず今回は、「優しい人」というテーマについて。私は周囲の人やバイト先のメンバーに、「優しい人だね」と言われることが多いです。これは、今に限った事ではなく、幼児期、保育園に入所した時から大学四年の今までずっとそうです。こう書くと自慢のように聞こえてきますが、今回は「独白」ですので、気兼ねいたしません。
 もっと具体的に、どんな文言で言われるかと言いますと、「○○は全然怒らなくて優しいやつだよな~」「(友人がモノを落としてしまい、それをすぐ拾った際に)え、ヤサオ(あるいはヤサジョ)じゃ~ん」などでしょうか。怒らない事や、人の為に何かする事が、どうやら彼らが言う「優しい」になるようです。
 ただ、私はこの人達に弁明したい。私は、心から「優しい」というわけではないのです。単に、臆病なだけなのです。人に嫌われたくない、見捨てられたくないと思うばかりに、常に人の顔色を窺い、慮ってしまうのです。そうしていると、もう優しくなることでしか人と接することが出来ないのです。それ以外の人との接し方が分からないのです。「優しい人」の仮面を被って、一心不乱に振る舞うのです。本当はこうしたいという意志があっても、誰かの希望を聞けばそれに迎合します。ある人と、そこまで親しくないと心中で思っていても、仲の良い風を装うことだってあります。その人に心ない言葉を言われ、それに深く傷ついても、場の雰囲気を濁さぬように笑ってごまかして、その憎悪を抑えこんで、無意識の海にうっちゃることさえあります。優しさにつけ込まれて大量の仕事を押しつけられても、嫌な顔せずに、怒らずに(怒れずに)、私はやります。やって魅せるのです。
 でも、「優しい人」の仮面には、時々ヒビが入ります。仮面が割れてしまっては、ありのままの自分を皆に見せてしまうことになります。でも、それはかなわぬことです。なぜなら、仮面を被っている状態でしか人と接したことが無く、仮面を被らない時の人との接し方が分からないからです。だから、割れないようにするために、私は夜もすがら一人家で泣くのです。この仮面のヒビは、長い時間と涙の雫によってでしか直らないからです。そうしてまたその仮面を被って、人と関わり、またヒビ割れ、涙を流して、直して、関わって、辛くなって、ヒビ割れて、直して・・・・・・と、この負の螺旋階段をひたすらに降り続けているのです。

 私はそんな事を考えずに、そのままの自分を見せられる人に出会いたい。仮面を被る必要の無い人と、一緒にいたいと思うのです。私の被っている仮面を外して、ただ何も言わずにひしと抱きしめてくれる人が隣にいて欲しいのです。
 要は、私は決して「優しい人」なのではなく、「仕方なく優しくなるしかない人」なのです。そして、そうならなくても接することができる、つまりありのままでいられる人と出会えるその日を、いつまでも待ちわびているのです。
 今回はここまで。

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