風呂をキャンセルする

数日前、Xで興味深い投稿を見かけた。

「風呂キャンセル界隈って風呂のどの工程がしんどいの?」

私もお風呂に入るのが億劫で仕方ないタイプだが、その理由を考えたことはなかった。

正確には、ロクな答えに行きつきそうになかったので思考を放棄していた。が、良い機会なので重い腰を上げて向き合ってみるとするか。

私の場合、服を脱いだり髪を洗ったり、ひとつひとつの工程をこなすことに対して疲労を感じているわけではなさそうだ。

ではなぜ、こんなにお風呂がいやなのか。

じっくり考えてみたところ、自発的に自分を大切なもののように扱うことで心がとても疲れる が答えとして一番近いという結論に落ち着いた。

大切な人を自死遺族にしない をスローガンになんとか生きている私は、自分を大切に扱うことで自分の意思と行動に矛盾が生まれることが本当にしんどい。

食事や睡眠は基本的な欲求であり、それを我慢することは苦痛を伴うのでこなした結果生きる。それはまあ、ギリ許せる。

お風呂という人間の生死に直接影響のないメンテナンスは、明日を待っている人間が誰かに愛されるよう準備するような行為で。

少なくとも消えたいと願う者がこなすようなタスクではない。

今まで人に「なにがそんなにしんどいの?」と聞かれる度に自分でもわからずもやっとしていた課題の答えが見つかって、ちょっとすっきり。


明日も生きなきゃだから、今日もお風呂に入らなきゃなあ。



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