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「バイトでもできる仕事はしたくないよね」

 絶賛就職活動中だった頃。高校時代からの友人3人と西船橋駅で飲むことになった。

 季節は大学三年の秋。早期化した就活の波に押されて、僕と友人たちも慌てて就活を始めたばかりだったから、互いに相談と雑談、そして憂さ晴らしも兼ねていた集まりであった。

 未だ社会に出たことのない未熟なぼくらではあったけど、それなりにモチベーションを高くして就活には臨んでいた(そのわりには遅いスタート)。そしてそれぞれが自分の目指す業界や理想の働き方についてひとしきりに話し終えた後、不動産系を目指しているという鮫島がポロっと口にした。

 「いろいろ業種はあるけどさ、俺はバイトでもできるような仕事はしたくないんだよね」
 どういう意味かわからなかった。
 「つまりさ、飲食とか接客業みたいなものって、ぶっちゃけバイトでもできるじゃん。俺も居酒屋でバイトしてたけど、正直に言って社員さんがやっている仕事の8割は今の俺にもできることだと思う。申し訳ないけど、俺はそういう仕事、したくないんだよ」

 当時ファミレスでバイトをしていたぼくは、そこで働く社員さんの苦労も知っていたから、その意見に賛成することはできなかった。でもかといって、流行りの論破でその意見を否定することもできなかった。その事実が、表向きでは「どんな仕事も素晴らしい」と言っているぼくの偽善を浮かび上がらせているようで、もどかしかった。

 うちのファミレスでは、長年勤めているパートさんが社員に向かって意見や説教みたいなことをする光景がよく見られる。鮫島の考えを聞いた後に、その光景を思い出したぼくは、たしかにその状態がすこし特殊なものだと感じた。自分がもしも社員だったら、勤務先のアルバイトやパートと同じ仕事をしていて、なおかつ怒られるようなことが起これば、なにかしらのプライドが痛むこともあるだろう。そんなことを気にせず、「いい給料を貰っているから構わない」と割り切ることができるなら問題ないかもしれないが、社会に出る前のぼくらにとって、それは理想の自分とは違うものだ。

 ぼくらの就活に対するモチベーションの根底にあるものは、きっと向上心とかだけではなくて、いかに現状よりも下向きの人生を送らないかという気持ちからくるものだったのかもしれない。人生のステップアップとも捉えられる就職というステージで、再びバイトができるような仕事をすることが鮫島には考えられないのだろう。

 ぼくの「書く」という仕事も、極端な言い方をすれば、誰にでもできてしまう。そこにプロフェッショナル性や誇りを見出すことは可能だが、世の中には、そこを度外視して、業務の内容にだけ注目する人も少なくはない。だから結局のところ、自分の仕事の価値を証明するためには、クオリティで勝負をするしかないのだと思う。

 後日ファミレスでは、パートさんたちが社員の仕事ぶりについて、愚痴をこぼしていた。

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