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14  終わらない旅 かっこちゃんへ

かっこちゃん、お手紙ありがとう。村上和雄先生のメッセージが胸に染みる。

  科学者は、科学で証明できないことや数字で表せないことは「ない」ものにするものだと思っていました。でも、本当の科学者とは、解明されていることなんて本当にわずかで、「知らないことも知らない世界」が無限に広がっていると気づいている人のことをいうのだなぁと思います。だから、「神さま」と口にはしなくても、宗教家よりももっと見えない世界のことを探究する人たちなのだと思うのです。

 リンゴの木からリンゴが落ちるのをみた一人の男が、どうしてリンゴが落ちるのかと考えました。地面とリンゴにどんな関係があるのだろう・・・地面がリンゴを引っ張っているのなら、そこに法則があるはず。では、どんなに高い枝のリンゴでも落ちるのならば、どうしてあのリンゴは落ちてこないのか? そうです、40万キロ上空に浮かぶ月です。そして、地球と月とが互いに引き合っているという、万有引力を発見したのです。

 アイザック・ニュートンはユダヤ人でしたから、小さなころから創世記には慣れ親しんだことでしょう。神さまが創った世界の秘密を解き明かすことは、ニュートンにとって大きな喜びだったに違いありません。 糸川先生は、自分がロケットを開発できたのはニュートンが万有引力を発見してくれたからだ、と言っていました。ニュートンの末裔の方に挨拶に行き、感謝の気持ちを伝え、お礼のお金もお渡ししたそうです。 先人の知恵があるから、今自分たちはもっと先に進んでいける。その先人への感謝を忘れないのが、真の科学者なのだと身をもって教えてくれた糸川先生でした。  

かっこちゃんにとっての村上和雄先生も曇りなき心の、美しい方だったことでしょう。生涯、幼子のような好奇心と探究心を持ち続けられるって、素敵なことですね。  

 糸川英夫先生は、ロケット博士と呼ばれていましたが、音響博士でした。信州にある音楽ホールも糸川先生の設計、ストラディバリウスに負けない奇跡のバイオリン「ヒデオ・イトカワ号」を作ったり、実に多才な方でした。
 もともとは飛行機の設計士で、大東亜戦争での名機「隼戦闘機」の設計にもかかわっておられます。でも、戦争末期に先生が設計した飛行機に250キロの爆弾をつけて、パイロットもろとも沖縄にいる米国の軍艦に体当たり攻撃をするという「特攻」が行われました。 戦後、戦争犯罪者「戦犯」の一人に数えられそうになったと話してくださいました。そのとき、こんなふうに言われたのを覚えています。
 「飛行機は僕の子どものようなものです。
  子どもに人殺しをさせたい親がいますか。
  僕はただ、操縦する人の無事だけを願って設計したのだから」と、はらはらと涙を流されました。もしも国を護るために、どこかを攻撃しなければならないとして、もしも人が乗らないでも目的地まで到達できる、そんな乗り物はないだろうかと考えた糸川先生が日本のロケットの生みの親となったのも必然だったと思います。

 糸川先生は、「前例がないからやってみよう」が口癖でした。前例がないから自分がやるしかない、と考えるとわくわくしたみたいですよ。なんだか、かっこちゃんみたいだね。皆がムリだと思うようなことでも、一歩踏み出して、未踏の領域に冒険をする。「前例がないから」やってみる。それが前例となって、人類は進歩してきました。糸川先生はその仕事を誰かができるように育てて、自分がいなくても続けられるようになると、それを惜しみなく手放すのです。そして、また前例がないことをやりだす。「日本では、一つのことをずっと長く続ける人を立派だというけれど、僕は、続けることと同じくらい手放すことも大事だと思う。手に入れることより、手放す方が難しい時もあるからね。失敗の数では、僕は誰にも負けない気がするよ」と、笑っていました。
 ロケットの後、「宇宙に法則があるように、人と人との出会いにも法則があるはずだ。 それを発見してノーベル賞をもらおう」と、研究したのが「組織工学」でした。組織工学はライフワークとなりましたが、それで満足する糸川英夫ではありません。人生最後の仕事として選んだのは、日本とイスラエルを繋いで世界を平安に導くという仕事でした。愛国者だった糸川先生は、自分の国の歴史も教えられない戦後の日本に警鐘を鳴らし続けました。歴史を失った民族は、例外なく滅びています。日本を普通の国にするために、イスラエルに学ぶべきだと糸川先生は提案しました。それは、一度国を失った民族が、再び国を興した例がイスラエル以外ないからです。その秘訣こそ、日本に必要なものだと考えたのです。

 それは、なんだと思う? かっこちゃん。先生は、答えを教えてはくれませんでした。自分で考えて、自分で気づきなさいと言われました。
 ユダヤ人が、世界に散らされて、それでもユダヤ人であることを失わなかったのは、彼らがユダヤ教徒であるということが一番の要因だね。一緒にイスラエルを旅して、かっこちゃんも知っている「安息日」聖書の創世記の始まりに、神が6日で世界を創造し、7日目に休んだと書いてある。だから、神さまが休んだ日に人がはたらくのは冒涜だと考えられているのです。金曜の日没から土曜日の日没まで一切の労働は禁じられます。お店も休み、公共交通機関もストップ、料理もしてはならない・・・エレベーターのボタンを押すのもいけないとして、自動運転各階停まりのエレベーターまである。
 また、食べ物も聖書に決まりが書いてあって、「水の中にあってひれとうろこのあるもの」「四つ足でひづめが割れて反芻するもの」以外食べてはならないのです。エビもカニも貝もイカもタコもだめ。豚も食べられない。
 聖書に書かれている戒律はなんと613におよびます。世界のどこにいてもそれらを守り、唯一絶対の創造主であるユダヤの神を崇めてきたから、ユダヤの民は独自性を失いませんでした。聖書に書かれているのは「神話」です。神話とは、民族の歴史であり、祖先から子孫に伝えられる民族の背骨と言ってもいいでしょうか。民族とは、同じ神話を、つまり、民族の歴史を共有する仲間のことをいうのだと、僕はユダヤから学びました。怒りんぼうのユダヤの神様は、すぐに人に罰を与えたり殺したりするけれど、きっとあの過酷な荒野で生き抜くためには必要なことだったんだろうね。暑くて不衛生な環境では、貝やエビもすぐ腐って、伝染病なんかが発生したら部族も滅びてしまうもの。食べ物の決まり事も、きっと経験から生まれた知恵だったのかもしれない。
 でも、荒野を離れても、時代が変わっても、それらをずっと守り続けたユダヤ人は、いまでも変わらずユダヤ人であり続けているのです。

 おっと、ついユダヤの話になると熱が入ってしまう。話し出すとキリがなくなってしまうから、このへんにしておこう。糸川先生がイスラエルと日本をつなごうと考えたのは、フランスやアメリカの大学で教えていた時、常にトップの成績をとるのがユダヤ人の学生だったことに驚き、その秘密を探るために彼らの祖国イスラエルを視察したことが始まりなんだ。

 ね、かっこちゃん、イスラエルは行ってみなければわからないね。僕たちは、本当に何も知らないのだということに気づかされる。そして、テレビや新聞で伝えられていることは「本当のこと」ではないということがわかります。糸川先生は、「新聞で信じていいのは、日付だけ」といつも言っていたよ。

 29歳のとき、糸川先生と出会ったのも運命だったとしか言いようがない。出会った半年後に、先生にイスラエルに連れて行ってもらったことが、僕の人生を変えた。いや、29歳でイスラエルに行くことが、生まれた時から遺伝子の設計図に書かれていたような気さえする。先生との最晩年の10年間を過ごせたことは、僕の人生の宝です。

 「May I help you?」糸川先生が最も大切にしていた言葉です。「命は自分のために使うのではありませんよ、人のために使うのです」そう僕に言った先生は、自ら生き方のお手本を示してくださいました。1999年2月21日、天に還っていった先生との対話は終わることはありません。いえ、死に別れたあと、真実の対話が始まったような気がするのです。かっこちゃん、村上和雄先生との対話はいよいよこれからだよ。

 イスラエルに出発するとき糸川先生が言った言葉を、今は僕がみんなに言います。「旅の目的はひとつでいいです。 それは、この旅を通じて、生涯仲良くできる友だちができることです」

 かっこちゃん、僕たちの旅は大成功だったね。みんなかけがえのない友だちになったよ。そして、旅はまだ終わらない。「手のひらは、もらうためよりあげるため」目の前の友を喜ばせるために、今日も上機嫌で願晴るよ。

   かっこちゃん、またね。                 高仁

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