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egg(44)

 
第十八章
 
岡田葵は西島秀樹ことギャラが高藤由美の頬にキスするところを目の前で見て、胸がギリギリっと痛むのを感じた。そして由美に激しく嫉妬する自分を抑え込もうと思わずそっぽを向いて黙り込んだ。
いきなりの事態に混乱したわたしこと由美は、呆然としてキスされた頬に触れた。頭が真っ白で何も言葉が出てこない。そんなわたしを見てギャラはふいに我に返り、
「ご、ごめんなさい! 大変失礼なことをしてしまいました。先輩、申し訳ありません!」
と叫んで泣きそうな顔で頭をぺこりと下げると、まだ食べ終わっていないカレーを手にして、その場からふらふらと逃げ出してしまった。
 
がやがやとにぎやかな学食の中で、わたしは驚いたまま葵の方を見た。葵は肘をついて反対側を向いたまま黙って座っている。ついに沈黙に耐えられなくなって、わたしは葵に話しかけた。
「あの……どういうことなのかな? これって何かの冗談かなんかだよね?」
バンッと机に両手をついて葵が立ち上がり、わたしを睨みつけた。
「先輩! 冗談ってひどくないですか? ギャラは本気なのに!!」
わたしは目を丸くして驚いた。夏休みにドライブしたときはひょっとして好意をもたれているのかなと思っていたけれど、その後何も変わりなかったし、ギャラは葵ちゃんととても仲がいい。この二人こそ隠れて付き合っているんだろうと思っていた。
「で、でもっ。ギャラはそんな素振りなんてちっとも……」
葵は首を横に振って言った。
「先輩が就職活動で苦労しているから、邪魔しないように気を使ってたんですよ。あいつは2年前からずっと先輩一筋なんです。ボクはしょっちゅうあいつの相談に乗っていたから……」
そう話す葵の声がふいにかすれた。よく見ると葵の目に涙が浮かんでいる。わたしははっとして言った。
「ひょっとして葵ちゃん、ギャラのことを……」
「ちっがいますう! 誰があんなちんちくりんの毛むくじゃらなんか!!」
ごしっと袖で涙を拭って葵が叫んだ。
「だいたい先輩! 夏休みにギャラとドライブしたとき、先輩から手をつないだらしいじゃないですか! 先輩こそギャラのこと好きなんでしょ!」
「!!」
しまった!という顔をしたわたしを見て、葵が続けた。
「ほら、やっぱりそうなんじゃん。追いかけてあげてくださいよ。あいつ、どうしたらいいかわかんなくなってる……」
悲しそうな葵の目を見て、思わず本音が転がり出る。
「違うの……」
「え?」
「手をつないでしまったのは、ギャラのことが好きだったわけじゃなくて、その……雰囲気で、なんとなく……」
「は?」
「あまりに夕日がきれいだったから。解放された気持ちになって、つい……」
「あにそれ! 信じらんない!!」
叫ぶ葵の顔が真っ赤になっている。
「あ、葵ちゃん? その……」
「もういいよ! 先輩ってやっぱそういう人なんだ!」
「え?」
「ボクたちみたいな勉強もできないバカなやつらのことをケーベツしてるんだよ! いつもボクたちと一線を引いてお高くとまってさ! ギャラのことだってそう! あいつの気持ちに気がついてたくせに、知らんぷりして! 腹の中ではバカにして、からかってただけなんじゃん!」
「そ、そんなこと考えたこともないよ!」
慌てて立ち上がって葵の手を取ろうとすると、思いっきり振り払われた。
「触らないで! 自分勝手な人とは話したくない!」
と吐き捨てると、葵は荷物を手に取り、学食から飛び出してしまった。
 
「うわ、痴話げんか?」
「男を取り合ってるの?」
「いや、男の方がキスしたんだよ」
「きゃー、三角関係?」
というささやき声があちこちから聞こえてくる。はっとして振り返ると、周囲の学生たちが今のトラブルを見て、くすくすと面白そうに笑っているのが目に飛び込んできた。
その場に居たたまれなくなったわたしは、葵が置きっぱなしにした学食のトレイと自分のトレイをまとめて片付けると、二人の後を追いかけるかのように、あたふたと学食から逃げ出した。

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