ここで昇華させてください

 「死にたい」という言葉は自分から逃げる言葉だ。そう言われた時、私の心の中に氷が張る音がした。自死で命を失った人や、その遺族にも、同じ言葉を言えるのだろうか。と思うし、私も私で身体の病と懸命に闘病している人の目の前で「死にたい」と言えるのだろうか。とも思う。自分の中に取り入れて解釈しようと向き合ってみたが、すぐに限界が来て大量に薬を飲んだ。それでも、私、向き合ったんだよ。
 「あなたは自分から逃げている」と、他人に向かって言うことを選ぶ人がいてもいい。しかし私は、仲間のどうにもならない痛みや苦しみの側に在れる人間になりたいな。と思う。
 こんな話をしてくれた大人がいる。母子家庭で子どもを置いて夜に彼氏と会うお母さんがいる。そうすると非国民のようか扱いを受けるわけだけど、私としては、週に一度、会いに行ってハッピーになれるのであれば、ぜひ行ってって言いたい。その間、子どもを見ておけるようにする方法を考えるから。
 このエピソードがこの世の中の本質だと私は思うし「夜に子どもを放置する酷い母親」というレッテルを貼るのは簡単だが、私も、その先を考えられる大人になりたいと思うのだ。
 多くの人はどうにもならない痛みや苦しみ、孤独感と共に歩いている。その痛みや苦しみに蓋をするのではなく、嘆いたり、分かち合ったりしながら、痛みや苦しみと共に在りたいと今は思う。

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