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【創作大賞2023応募作】SF「僕たちはバッカー」 新聞帝国の逆襲

<概要>
斜陽だった新聞社が息を吹き返し、「バッカー」たちが立ち上がる。


(1)

2083年。

かつて神奈川県の柿生と呼ばれていた地は夕闇に包まれていた。

日本の人口は2000年代初頭の半分以下となり、街は荒廃している。

かつて小田急線柿生駅と呼ばれた建物も廃屋と見紛えるほど朽ち果てている。

そこに1人の男が現れて、かつて駅員詰所だった建物の窓を叩いた。


男は青い帽子を目深にかぶっているが、シワだらけの顔は70は越えていると思われた。ボロボロのパーカーを羽織っている。

窓が静かに開くと、窓に向かって帽子の老人は左手を差し出した。

震える掌(てのひら)の上には、この数日、老人が鉄くずを拾って稼いだ何枚かの小銭が乗っている。

「これで・・頼む」

窓から顔を出したのは、髭面の男だ。

「たった、それっぽっちかい」

髭面の男は顔をしかめた。

「それっぽっちじゃあ、こども家庭庁長官の名前くらいしか教えられねえな」

「え! あんなバカみたいな役所がまだあるのか」

老人が驚きの声をあげた。

「もうこの国に子供なんてほとんどいない。何の役にも立たなかった役所なのに」

「おっと、これはニュースを教えすぎちまったぜ」

髭面は苦笑して続けた。

「まあ、いい。あんたは馴染みだからサービスだ。こども家庭庁長官の名前と、おまけで消費者庁長官の名前も教えてやる」

「そんな雑魚ニュースはいらん。閣僚の・・今の総理大臣の名前が知りたい」

「バカ言え。こんな小銭で教えられるわけがないだろう」

「それじゃ、せめて金融庁・・」

「ダメだ。こどもと消費者。嫌なら帰れ!」


数分後、青い帽子の老人は、先ほど聞いたニュースを頭の中で咀嚼しながら暗い津久井道を歩いていた。

(あの程度のニュースでは、この手の震えが収まらない・・)

老人は、ニュースへの禁断症状に苦しみながら、今夜も鶴見川橋のたもとに身を横たえるだろう。


(2)


すべてが変わったのは2025年だった。

新聞業界2位の赤目新聞社社長、赤目時太郎は、自宅の便所で脱糞した瞬間に「名案」を思いつく。

(そうか、我々のニュースは安すぎた。それがよくなかったんだ。ニュースの値段をどーんと上げればいいんだ)

赤目新聞は、度重なる購読料値上げにより、部数がつるべ落としのように落ちていた。

新聞不況対策に万策つきて、赤目のアタマはもうおかしくなっていた。

赤目は、便座に座ったまま携帯で、業界1位の鍋売新聞社会長・恒田晃一に自分のアイデアを話した。

「それだよ! 赤目くん。それをすぐ実行しよう」

恒田は、業界に長く君臨しすぎて、とっくにアタマがボケていた。


とにかく、翌週から紙の新聞の発行はすべてストップした。

テレビその他のメディアでのニュース番組もすべて終了した。

ニュースは、1カ月10万円のサブスクリプション料を払った者だけに、スマホアプリを通じて知らせることになった。

政府に、保守党と宗教党の連立政権を永久に守ると約束して、新聞業界は政治権力も取り込んだ。


新聞業界がすべてのニュース供給を管理できたのは、もちろん記者クラブ制度とクロスオーナーシップのおかげである。

赤目の狂ったアイデアは、偶然に正鵠を射いてた。日本の新聞社は権力にいちばん近い位置にあるので、情報の「元栓」を締めることができる。

権力にぶら下がり、情報源を独占する記者クラブ制度と、新聞社・テレビ局などを横断的に支配して新規参入を防ぐクロスオーナーシップは、「報道の自由」世界ランキングで、日本を常に低位に位置付ける要因だった。しかし、その「報道の不自由」を極限まで突き詰めることにこそ、日本の業界の活路はあったのだ。

だいたい、新聞の部数が急激に落ちたのは、ネットの力を舐めて1990年代にニュースサイトを無料で開いたためだと業界では認められていた。赤目のアイデアは、その30年前の過ちを根本的に是正するものでもあった。

つまり業界は、貧乏人に広く安くニュースを売るより、金持ちに高いニュースを売る方が、売上がはるかに大きく、コストもはるかに低いことにようやく気づいた。


1カ月10万のサブスクリプション料は、翌年には12万、その次年は20万と上昇していき、新聞社は空前の収益を上げた。

斜陽業界が一転、人気産業となり、GAFAに群がっていた優秀な人材が新聞社に殺到した。高給にくわえ、死ぬまで高額の企業年金が支払われるので当然だ。

新聞業界は、行政の買収にも成功した。お為ごかしに広報を手伝う振りをして入り込み、官庁や自治体の広報も、新聞を通さないとできない仕組みにした。この国の情報は、事実上すべて「有料」となり、その収入はすべて新聞社のものになった。

高額商品の「ニュース」を独り占めする全国の記者クラブでは、連日連夜、酒池肉林の宴が開かれ、歓声と嬌声は深夜まで絶えることはなかった。


2030年の正月、赤目は、増収分で建て増しを繰り返し100階建となった本社最上階の会長室から下界を見下ろして上機嫌だった。

「アカ新聞だのマスゴミだのと抜かしたやつら、ザマア見ろ。わっはっは」

と高笑いするうちに喉にモチが詰まって赤目は死んだ。


ともあれ日本は、超高額商品になった「ニュース」を入手できる少数の上級国民と、入手できない大多数の下層民に、はっきり階層分化した。

ニュースなんて要らない。ニュースは食いもんでもないし。と当初は楽観していた庶民は、自分たちがほとんどの経済活動と政治領域から締め出されたことを知った。

ニュースが来なくなれば、商売に必要な情報が入ってこなくなるのはもちろん、選挙がいつあるかもわからないのである。


情報は人が口コミで教えてくれるだろう、と思っているならば、それは甘い。

ニュースが高額商品になると、タダでそれを人に教える者はいなくなった。自分の価値を知った女子学生がパパ活代の値上げだけを考えるのと同じで、2度と身体をタダで提供することはない。

それ以上に厄介なのは、ニュースが金になるので、偽ニュース、フェイクニュースが売り物として街に蔓延したことだった。それらは闇ニュースと呼ばれ、質については千差万別だった。

貧乏人は闇ニュースで間に合わせるしかないが、たいがいはガセなのだ。どれが正しいニュースなのか、金がない下流民は判断できない。

現在の総理大臣は、コイズミ5世か、モテギ4世か、そのどちらかだと貧民たちは噂していたが、アソウタロウという情報もあった。そのアソウタロウが何代目なのかも諸説あった。

かつて柿生駅であった所で売られている闇ニュースは、質がいいと言われていた。

先ほど旧駅舎を訪ねた青い帽子の老人は、死ぬまでにせめて自国の総理大臣の名前を知りたいと思っていたのだ。


(3)


青い帽子の老人は、鶴見川の河原に座り、柿生の夜空をぼんやり眺めていた。

そこに、草むらから声がした。

「バッカーだ。バッカーが来たぞ!」

それは同じ河原に住む住人の声だった。

「どこだ?!」

と老人が尋ねると、草むらの声の主は、鶴見川橋のたもとを指差した。


自転車を引いた「バッカー」は、濃紺のつなぎ姿でそこに立っていた。

濃紺のつなぎ姿、そして自転車の荷台に乗った四角い荷物が、バッカーである目印だ。

ニット帽に黒メガネをしていて、人相はよくわからないが、40代くらいの男に見えた。

橋のたもとに十数人の貧民が集まってくると、バッカーは荷台のものを組み立てて、皆に見えるように設営する。

それは、遠い昔、「紙芝居」と呼ばれていた装置だった。


バッカーとは、2020年代の初めに出現した、特異な能力者だった。

そのころ、ネット上のニュースサイトが軒並み有料化して、サブスクリプション料を払わないと記事が読めないようになりつつあった。

そのサブスク料は、のちの高騰化したニュース料に比べたら屁のようなものだったが、彼らはその屁のような料金も払いたくなかった。

彼らは、ペイウォールと呼ばれる、サブスク料を払わないと記事が読めないように妨害する「壁」ごしに、記事を読み取る能力を身につけた。「金を払いたくない」という一念から生まれた超能力だった。


その能力が、ニュースが高騰化したその後、大きな価値を持つようになった。

彼らは、鍛えられた念力と心眼で、金持ちだけが所有するニュースを読み取り、それを貧民にゲリラ的にばらまいたのだ。

彼らはニュースをばらまいた後、その現場にしばしば彼らのスローガンをペンキでなぐり書きした。

NO PAY IS FREE! (払わないとは、無料ということだ!)

AND FREE IS FREE!(そして無料こそが自由だ!)

もっとも、彼らはバカだからテクノロジーはわからない。ネットや電波で情報を伝えることはできないから、「紙芝居」で貧民たちにニュースを伝えている。

かつての「ハッカー」になぞらえて、彼らはいつしか「バッカー」と呼ばれるようになった。


鶴見川の河原で始まったバッカーの紙芝居は、冒頭から「観客」たちをどよめかせた。

「現在の総理大臣は、モテギ4世です」

「やっぱりそうか」「タロウじゃないのか」といった声が聞こえた。

画用紙に描かれたモテギ4世の顔は、観客たちにとって初めて見る顔だった。

「モテギ4世のひいおじいちゃんは、ファッションの趣味の悪さで知られていました」

めくられた画用紙には、初代モテギらしいダサい男の姿が描かれていた。そんなどうでもいい話題にも、観客は一心に食いついている。

それからバッカーの男は、金持ち階級の中で起きた最近の殺人事件や、不倫騒動などを、紙芝居で次々に語った。

青い帽子の老人は、それを夢心地で聞いていた。

遠い昔、小さな子供のころに、テレビでこんな「紙芝居」を見た記憶があった。ワイドショーと呼ばれていたものだ。

(あのころは、ニュースがタダだった。タダで毎日、見ていられた・・)

それはまさに、夢のような時代だった。


突然、爆音と閃光が河原を襲った。

「警察だ!」

神奈川県警と書かれたヘリコプターが鶴見川の上空に現れ、河原に向かって乱れ撃ちを始めた。

蜘蛛の子を散らすように、ある者は川に飛び込み、ある者は草むらに逃げ込んだ。

青い帽子の老人は逃げ遅れ、その胸板を銃弾が撃ち抜いた。

青い帽子が飛んだ。

河原に倒れる瞬間の視界に、橋のたもとに脱ぎ捨てられた濃紺のつなぎが見えた。

(総理大臣はモテギだったんだ・・。ありがとう、バッカー)

老人は、人生の最後に知ったその真実に満足して息絶えた。


(終わり)

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