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夢の結末

私は、私の夢の大ファンだ。

私の夢ほど面白いものはない。

何しろ私が主役の、空想大活劇なのだ。

たいがい奇想天外な設定で、意外な展開があり、かつ感動もある。悪夢はめったに見ない。主役の私がいい気分になれることが多い。

夢は、寝れば必ず上映される。毎晩、2本見るのが普通だ。

まあ、毎日「RRR」と「エブエブ」の2本立てみたいなものだ。

(年寄りだから、途中にトイレ休憩がある)


昨夜、というか、ついさっきまで見ていた夢も面白かった。

私はジャニーズの一員で、合宿所のようなところにいる。

私は、自分の人生の中で、ジャニーズに入りたいとも、入れるとも、1ミリも思ったことはない。

それなのに、夢の中では、当然のように自分はアイドルだと思っている。

こういう意表をつく物語づくりが、私の夢の脚本家の優れた点である。

たぶん、ジャニー喜多川の性加害問題がBBCで放送された、というニュースが頭に残っていたのだろう。

でも、合宿所でジャニーに襲われる、という悪夢ではない。(ジャニーは出てこない)


私はジャニーズの合宿所で、同僚たちと身内のパーティーのようなものを開いている。合宿所にもかかわらず、キラキラの舞台衣装のようなのを着ている。

同僚に「キムタク」がいる。彼が、客で来た女性たちにもみくちゃにされているのを横目で見て、「キムタクは大変だなあ」とか思っている。

面白いのは、私が「キムタク」と思っているその男は、矢沢永吉なのである。

ヤザワが、キムタクの衣装を着て、キムタクのように振舞っている。

夢の中の私は、「あいつ、ヤザワじゃね?」と思い、なんか変だなあ、と思いながらも、それをあまり気にしていない。

というか、そういう二重性を含めて、「アイドルってこういうものだよな」と心得顔で思っている。

この夢の意味はわからない。


私の夢の、私を魅了する最大の点は、そのロケーションである。

夢の舞台は、大きな合宿所であったり、会社であったり、旅館であったり、街中であったりする。

どのような舞台であっても、空間が広大かつ重層的になっていて、平板ではないのだ。

たとえば旅館だと、部屋ごとに「違う宇宙」になっている。階層ごとに「違う次元」になっている。

この感覚は、夢の中のことだから、現実の言葉に置き換えにくいけれど、いわば、オープンワールドのゲームのマルチバースになっている。

そして、私の見る夢のすべての舞台は、互いに連結点があり、結局は1つの宇宙だという感覚がある。


そして、ストーリー的にも、すべての夢がつながっている気がする。

私ユニバース、というか。

連続ドラマでよくあるように、それぞれは一話完結ながら、シリーズを通じた大テーマがある。

シリーズの最後に、生き別れた親と再会したり、探し続けた連続殺人犯と対決したりする。

私の夢の大テーマはわかっている。

私のマルチバースのどこかに、私の初恋の人がいるのだ。

これまでの夢でも、ちらちらと出て来ている。

彼女は、貧しい長屋のようなところに、ひとりで住んでいる。夢の中で、偶然のように会うのだが、また会いに行こうとすると、場所がわからなくなって目が醒める。

そういう同じ夢を、伏線のように何度も見ている。


その初恋の人は、夢の中のその長屋で、私の告白を待っている。

現実には、その初恋の人には、もう50年ほど前、10代のころに告白して、すぐ振られている。

しかし、夢の中では、まだ告白前という設定だ。

現実の彼女とは、10代で進路が別れて以来、一度も会っていない。どこに住んでいるのかも、生きているか死んでいるのかもわからない。

彼女は、私と同年だが、夢の中ではあまり歳をとっておらず、20代後半くらいである。

そして、彼女は、いつも、私を知っているような、知らないような、あいまいな態度を取る。

でも、私に好意をもっている、と感じている。

私は、彼女は自分のものになるべきだと思っている。告白の機会をいつもうかがっている。


この「私ユニバース」の連続ドラマの結末はどうなるのだろうか。

その結末は、何年後か、何十年後か、私が死ぬときに見るのだと思う。

私は、死の床の夢の中で、また彼女と会い、告白するのだと思う。そういう最終回になる。

また振られるのか、あるいは、今度は成就して愛し合えるのか。

いずれにせよ、その結末を味わい、噛み締めながら、私は死ぬのだと思う。

私の恋は、この恋だけだった。

私の人生で起こった他のことは、どうでもよいことだった。なくてもいいものだった。重要なことは、この恋だけだった、と悟りながら。









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