書きかけの手帖

心で感じ、頭で考え、今を生きます。そんな中で生まれたnoteたち。1998年生まれの東…

書きかけの手帖

心で感じ、頭で考え、今を生きます。そんな中で生まれたnoteたち。1998年生まれの東北民。

マガジン

  • おとなの学び直し(世界史編)

    大人になっても、学びは続けていいはず。あの頃「受験」のために学んでいた世界史を、今度は「自分のため」に学び直す。世界と人生をおもしろがるのに、世界史は最高のスパイスになるだろう。

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生きる、前のめりに。

noteをしばらく離れて、どれくらいの時間が経っただろうか。 離れていた理由は、特にはない。 忙しかったというのもあるし、習慣として書くことをしていなかったので単純に忘れていたということもある。 何れにせよ、幾らかの月日が過ぎた。 季節は、すでに秋である。 *** コロナのせいか、何のせいか、自分の自信を時たま無くしてしまう。 そんなことがしばし起きては、ちょっとだけズンと気分が沈んでしまう。 そんな負の感情が心に宿る時は、決まって周りの誰かや何かが動こうとしたり

    • これからの時代の「指導」とは

      用事があって道場へ行くと、後輩が一人で練習をしていた。空手の世界には演武をする「形」と相手と戦いを繰り広げる「組手」という競技がある。一人で練習して強くなれるのは「形」のほうで、その後輩は黙々と形の練習をしていたわけである。 僕も空手をして長いが、どちらかというと組手派。となると、練習にはやはり誰か相手がいなくてはならない。大学時代はまわりに空手をしている人もまずいない環境で、なかなか練習には困ったものだ。経験者や興味のある人を呼んできて練習もしたが、どちらかというと自分の

      • だいたい三行日記(24.05.29)

        我が家には掃除機がない。だから掃除をするとなれば、だいたいほうきと雑巾である。今日は朝から掃除をしようと思ったのだが、ほうきをかけるのがめんどくさくなってしまった。だからほうきのステップはとばして、雑巾で全てを終わらせた。ほこりは知らないうちに溜まっているものである。おかがでスッキリした朝を迎えられた。 掃除で迎える朝は、最高である。 *** しかしながら、反対の考え方もある。夜のうちに掃除をしておけば、次の日起きた時には綺麗なお部屋のお状態で迎えられる。それはそれでス

        • だいたい三行日記(24.05.07)

          朝から妻とけんかをした。さもないことが原因ではあるが、久々にけんかをしたものだ。しかしながら、最近はけんかをしてもすぐに仲直りをするようになった。その点は、僕ら夫婦の成長ともいえるかもしれない。仲直りせずに仕事に向かって、それでもう会えないようなことになれば、これほどの後悔はないのである。それがわかっているから仲直りをして、いつも通りに「いってらっしゃい」と「いってきます」を交換するのである。 そんな普通が「あたりまえ」ではないから、一回一回に愛と想いをこめて言葉をかける。

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        生きる、前のめりに。

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        • おとなの学び直し(世界史編)
          2本

        記事

          学び直しの世界史(#1) バビロン捕囚

          世界史とは何か。 それは人類全体のこれまでの歩みのことである。 殊に人類の「古代」といえば、それは我々人類の「劇的な進化」と言っても過言ではない。例えば文字の発明やピラミッドのような建築物などは、人類以外の他の動物には成しえなかったことだ。 あなたが広大な砂漠地帯にポツンと産み落とされたとき、そのような「文字」だとか「ピラミッド」のようなアイディアを思いつくことができただろうか。 昔の人は、すごいことをしたものだ。 *** 世界史の中の日本という国は、わりかしシンプ

          学び直しの世界史(#1) バビロン捕囚

          だいたい三行日記(2024.05.05)

          こどもの日ということで、新聞の一面には「子供の数が減っている」という記事が。深刻な問題ではあるのだが、出口が見つかっていないのは確かなことで、ゆえに「こどもの日」らしからぬトーンの今日の新聞であった。そんなことはつゆしらず、今日の出先では子どもたちがキャッキャと遊んでいた。ゴーカートに目を輝かせていたあの子が忘れられない。その目の輝きをいつまでも持ち続けてほしいものである。 2024.05.05 書きかけの手帖

          だいたい三行日記(2024.05.05)

          だいたい三行日記(2024.05.02)

          父とお昼ご飯を食べにいった。田舎ホテルのレストランへ。レストランとはいっても、半分食堂見たいなものである。カレーがうまいらしいが、僕は鳥唐揚げ定食を注文した。唐揚げ一個とカレーのルーを交換。なかなかに心がホッとするカレーであった。鳥の唐揚げよりも、味を覚えて帰ってきた。次そこでランチを食べるときは、カレーにしようかな。 2024.05.02 書きかけの手帖

          だいたい三行日記(2024.05.02)

          書くことは、植物を育てるようなものだ

          書くということは、植物を育てることに似ている気がする。 何もないまっさらな紙に、何かを書くとしよう。内容はなんでもいい。 最近の出来事、感情、考え、やりたいこと、メモ、いろいろ。 書き始めてみるとわかると思うが、書きながら全然違うトピックが頭に浮かんできたりする。現に、僕はこの記事を書きながら昨日観た映画『オッペンハイマー』のシーンを回想していたりする。人間の脳とはすごいものだ。自然に思考という作業のかたわら、違う思考という作業を始めてしまうのである。なんとマルチであろ

          書くことは、植物を育てるようなものだ

          僕は大阪に住んで良かったと思う

          3年ほど住んだ大阪を離れ、東北の地に引っ越してきた。僕の地元に戻ったかたちである。県外で経験を積んでいずれは帰るつもりではいたが、結果としてまあまあ予定よりも早く帰郷した。引っ越しはほとんど終わって、残るは大量の本をどこにしまうかという難題を解決すれば、それでよし。なんとかようやく生活のリズムも生まれつつある。 いわゆる、新生活である。 地元には、車で帰って来た。大阪から3日かけて、ゆっくりと車を走らせた。一気に夜通し走ることもできたが、20代の半ばにもなって無理すること

          僕は大阪に住んで良かったと思う

          とうとう脱「見る専」か?

          来週にも、およそ2年半を過ごしたここ大阪を離れるのだが、今度こそちゃんとInstagramの発信をしなくてはならないと思うようになった。 というのも、大阪を離れますという連絡を友人に入れたのだが、一部の友人から「ポストほとんどされてないけどインスタで動向チェックするね〜」という話があった。僕はSNSの投稿はずぼらで、まず基本的には投稿しない。だが、遠くの地では「あの人は今何をしているのだろうか」という気持ちでSNSを見ているらしいのだ。 距離が離れていても繋がっている感覚

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          人間のパワープレー

          人間はこの地球を古より開拓して今日の都市や街を形作ったこともあって、もうなんでもできるような感覚にあるのだと思う。 なんというか、知恵と技術と力で持ってすれば、乗り越えられないものは何もないという、そんな感覚である。 事実、この山がちな日本だって、知恵と技術と力でなんとかトンネルや線路を引くことでつなげた。 そこに山があれば、穴を開けて通せば良い。 そこに海があるなら、空を飛んで超えていけば良い。 そんな「パワープレー」で人間はこれまで発展してきたところがある。 *

          人間のパワープレー

          「制限」を設けて生活を豊かに

          昨日までは小学校教員であったが、今日からは別の職につく。 とはいっても、いろんな事情でまだ仕事は始まっていない。 つまるところ、僕は今、絶賛「ただの人間」である。 いわゆるニートとも表現できなくはないだろうが、一応やるべきことはしっかりとあるので、やはり「ただの人間」というのがしっくりくる。家にいる時間が圧倒的に長い。引っ越しもあるのでその準備だとか、次のステップへの学習だとか、たくさんやることはあるのだが、時間が無限に感じられてのんびりしてしまう。 人間誰しも、同じ状

          「制限」を設けて生活を豊かに

          長い通勤時間から解放されて

          正直な話、毎日片道1時間半ほどかけて職場に行くのは、きついものがあった。電車に揺られながら読書にふけることができるのは僕にとって大変うれしいことではあったが、仕事が忙しくなると読書どころではなくなり、だいたい寝て過ごした。電車の座席に座れたら万々歳だが、都会の混み具合では毎回そうもいかない。つまるところ、合計3時間ほどの通勤から逃れられた今、僕は心底ホッとしているのである。 *** 4月からは、新しい職につく。そのおかげで、通勤は車を使うことになる。 運転はとても好きだ

          長い通勤時間から解放されて

          ミニマリストに学ぶ

          以前、講演を聞かせていただいたジャグラーの方がいて、その人のインスタをフォローしているのだが、なんでもミニマリストだという。ジャグリングの投稿ばかりかと思えば、その日はなんと自分のお家をあげていた。見ると、確かにミニマリストを極めたようなお部屋。ほぼ何も置いていない、新居の状態がキープされたようなお部屋であった。 ミニマリストも極めると、新居を汚さないままに過ごすことができるらしい。しかしながら、驚くのは11月から住み始めて電気もガスもまだ使っていないとのことだった。あまり

          ミニマリストに学ぶ

          僕たちは常に「本気」である

          率直な話、僕は仕事ができない側の人間である。 やることを先延ばしにするし、 ホウレンソウが遅くなりがちだし、 何よりも手際が悪い。 そんなんだから、人に迷惑をかけがちであーる。 特にこの年度末の忙しい時期になってくると、そんなところが目立つ。 僕ももう26歳。いい歳した大人だ。 そろそろちゃんとした大人にならねばな、である。 *** ちゃんとしようと思えば、ちゃんとするのである。そんなことを思いながらも結局ちゃんとしないから、ちゃんとできていない。よく子どもは

          僕たちは常に「本気」である

          「疲労」といかに戦うか

          しばらくの間、noteの更新が途絶えていた。新年早々に「毎日投稿」の目標を掲げては意気込んでいたが、日々の仕事や生活が優先であるから、どうしても書くことができない日が続いてしまった。人生のターニングポイントも重なり、まあしょうがないなと思いながらこうしてまた書き始めている。 生活や仕事がおざなりになると、体調もすぐれなくなるものだ。とくに睡眠時間。これを確保しないことには、日々のストレスレベルが爆上がりしてしまう。最低でも7時間の睡眠を確保しようと、日々努力した。 寝る時

          「疲労」といかに戦うか