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家計の理想とは?日本で最初に家計簿をつくった羽仁もと子のことばを聞いてみよう。

 家計簿をつけたいと思うきっかけは人それぞれで、「お金を貯めたい」「毎月いくら使っているかを知りたい」などどんなことでもよいので、思い立ったその日から記帳を始めればよいでしょう。そのうちに記帳が習慣になると、家計簿を通して自分の暮らしがよくわかって生活の工夫のしどころが見えてきます(羽仁もと子案家計簿は「費目が多い」と言われることがありますが、だからこそ、暮らしの「見える化」が得意です)。家計簿をつけはじめの人がよく「家計簿をつけていると楽しい」と言います。素敵なことですね!
 家計簿を長年つけている人にとっては「家計の理想とは何か」とたずねたくなるときが一度はあるでしょう。今回は、羽仁もと子著作集『家事家計篇』の「家庭経済の出発点と到着点」より「家庭経済の理想」についての文章です。

家庭経済の理想
 一家の経済の到着点をどこにおいたらよいでしょうか。資産をつくるのが目的で、一家の経済の工夫をするのも、今の資本主義の世の家中では、やむを得ない人情のようですけれど、ほんとうに正しく各自の家庭のため、また社会のためを考えてみると、一家の経済というものは、日々の暮らしに事欠かぬように、病気その他ありがちな難儀なんぎにそなえる貯金があって、与えられた子供をその才分に応じて教育することができ、大なり小なり暮らし相当の家屋敷でも持って、老後も子供のやっかいにならずに、静かに暮らせる程度が上乗じょうじょうのものだと思います。
 死後には、住んでいた家をのこしておくとか、ほんの形見かたみ分けくらいのものを分配するのがよいのだと思います。親の遺産の多いのは、ほとんど子供等のためになるものではありません。そして簡素な生活をして、子供をよく教育し、家屋敷くらいのとして死ぬということは、普通の良民にとってはなかなかの努力です。夫婦心をあわせて、本気でゆだんなく勉強して、はじめてうけ得る幸福だと思います。
 無資産の新家庭はぜひ収入一年分の準備金を持つようにといえば、それはなかなか出来ないことだといい、ほとんど空想のように取り扱いながら、一方では子供等はみな立派に教育する、自分は楽隠居をして、財産でものこして世を終わりたいというような虫のよいことを考えている人が多くあります。それだから事志ことこころざしたがうようなことばかりこの世の中には多いのです。

 どうかして人びとが、もっと健全な思いをもって、きらびやかな式服や、色なおしや、披露の宴をやめるのはなんでもない、新家庭の家計の基礎を、健全に合理的にすえつけるために、その金を役にたてるのだと思えば――というふうになり、なおこういう風に克己して、ゆだんなく家計の基礎をすえるのでなければ、われわれの家庭生活は、じつに不安であると気がつくようにならなくてはなりません。
せまき門より入れよ」ということがあるとおりに、私の望む家計の第一歩は、無産者としては数年の忍耐と努力によってはじめて出来ることなのです。しかも到着点はじつに平凡で、金持ちになるのでも何でもないとすれば、つまらないと思う方があるかもしれません。しかもそれが近き将来の家庭経済としては、もっとも正しい着実な聡明そうめいな考え方なのです。

 現在の経済組織のなおつづく間、目の前の事業の方では、資本という考えを無視することが出来ないでしょう。しかし将来ということを考えなくてはならない家庭生活にまで、その考えを持ちこんでくることは、気をつけてさけなくてはなりません。われわれの家庭生活に入用いりようなだけの金がほしい、そしてそれ以外の金はないほうがよいというのが私の考えです。しかもわれわれ無産者がその生活に入用なだけの金を、始終安心して持っているのには、現在においては、生産消費二つながら容易な仕事ではありません。

羽仁もと子著作集『家事家計篇』「家庭経済の出発点と到着点」より

 いかがでしたでしょうか? 資本主義を無視することはできないけれど、その考えを家庭生活にまで持ち込むことは気をつけて避けなくてはならない――私たちの「あれもこれも」という気持ちがもしかしたら不安を作りだしているのかもしれません。

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