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生産性の呪縛と、AI時代における「主観」の復権

先日、日本を代表する哲学者である大森荘蔵の「知の構築とその呪縛」を読んだ。

結論から言うと、これはAI時代が到来しつつある今こそ読むべき超良書だった。

近代的な価値観の限界を提示し、いかに近代的価値観が抑圧してきた世界観を復活させて自然との一体感や、人間本来の感性を取り戻していくかについて綴った本だ。

このnoteではそんな大森の「知の構築とその呪縛」の概要を紹介しつつ、それが現在ChatGPTなどのAIが世の中を席巻し、急速にAI時代に突入しつつある現代社会に与える示唆について考えていきたい。

大森荘蔵「知の構築とその呪縛」の概要

本書を一行でまとめると、『近代科学化の過程で、目的/因果の混合として世界を見る略画的世界観から客観的「物」と主観的「心」を分離して世界を細かく分解する密画的世界観へと変化する中で失われた感性を復活させるための方法を説く一冊』である。

略画的世界観とは、まだ近代的な科学・数学が当たり前になる前の「目や手や舌などを通して私達自身の身体感覚で外界と接している時に私たちが描く世界像」のことだ。

一方の近代科学以降の密画的世界観においては、個の主観や心は捨象され、活きた自然との一体感は失われた。さらには木を見て森を見ないことによる部分と全体との本来あるべき違いを矛盾としてしか捉えられない状況に陥ってしまった。

こうした状況に対する処方として、大森はそうした2つの世界観の重ね描きを説く。

例えば目の前にワインがあるときに、そのワインの色・味・香り・舌ざわりという知覚的描写と、そのワインの温度・粘性・酸性度・原子組成といった科学的描写があったときに、ガリレイとデカルト以降、後者にのみ真なる世界描写の特権が付与されてしまっていた。

それに対して、大森が説くのは、双方の描写に同一の事物の異なる描写として等しい権利を与え、それらを「重ね描く」ことである。

それによりデカルト以降の知覚と外的対象という二元論の構造的欠陥を、同じ1つの事物の知覚描写と物理的描写の「重ね描き」によって是正しうるとする。

そして、こうした「重ね描き」によって、自然との一体感の回復(ある種の物活論の復権)や、人間としての感性を取り戻すことに繋がるとする。


生産性の呪縛と「主観」の復権

本書を読んで私が思ったのは、私が主に属するビジネスの世界において、いかに「主観」が低い地位に追いやられているかだった。

会社の中で「それってあなたの単なる主観でしょ」や「それってあなたの解釈でしょ」はイケてない発言をする相手に対して直接・間接的に批判する言葉として用いられる。

それは科学的管理法を生み出したフレデリック・テイラー以降の「生産性の呪縛」の産物と言える。

現代の一般的な企業においては、主観や解釈が横行する組織は生産性が低くなり、かつ経営コントロールも難しくなる。

しかし、これはあくまで人間の振る舞いが企業の生産性を大きく左右する現代に特有の考え方だと言える。

ChatGPTをはじめとしたAIがより高機能化していく中で、組織の生産性向上の主な担い手はAIになり、その性能差に比べると、人間の振る舞いによる生産性差は微々たるものとなる。

そうなった時代においては、個人の主観や解釈を介在させる余裕が生まれる。

さらには、AIによる効率化が当たり前になった時代においては、むしろそうした主観や解釈が濃密に発生している組織の方が希少性の高い価値を創造できる可能性が高い。

本書はそうした「主観の復権」を私に予感させてくれるという意味でとても良書だった。

さいごに

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