生成AI時代におけるジェネラリストの復権
ここ1~2年の生成AIの動きで「ジェネラリストの復権」が顕著になっていると感じる。
今まではクリエイティブ至上主義、スペシャリスト礼賛主義が台頭しており、一部の経営者を除いてジェネラリストは器用貧乏としてどちらかと言えば地位が貶められていたように感じる。
しかし、生成AIで専門的な技能がなくてもコードや画像、最近ではCGアニメーションも簡単に作成できるようになり、どちらかと言えば日々新しく登場するAI技術にキャッチアップして、幅広い知識やスキルを組み合わせて成果を生むジェネラリストの価値が相対的に上がっている。
実際に私自身もエンジニアやCGアーティスト、イラストレーターではないが、普通にコードを書いたり、以下のような建築画像やイラストを生成したりしている。
MITメディアラボのNeri Oxmanは、生成AIが話題になるはるか前からAge of Entanglement(もつれの時代)という論文の中で、Art、Design、Engineering、Scienceという4象限を越境する態度が必要であると主張している。
複雑化する時代において、こうした脱専門的な態度や動きの重要性が指摘されている中で、生成AIによって実際的な能力としてそのような立ち回りが可能になった。
そして、こうした4象限を自分の中でうまくバランスするための指針を与えてくれているのがデザイナーのJohn Maeda(ジョン・マエダ)だ。
彼は上記4象限それぞれの本質を、以下のように表現している。
このような越境はこれまで一部の才能を持った人たちだけができる、レアな動きだったが、これからは生成AIを活用して多くの人が領域を縦横無尽に高度に横断することが可能になる。
こうした生成AIを最大限に活用した越境人材の価値はこれからの社会でとても大きくなるはずだ。
もちろん、ジェネラリストとスペシャリストのどちらが優れているという話ではない。
今まであまりにも肩身の狭い思いをしてきたジェネラリストが再び活躍する時代が来ているということなのだ。
専門的に深掘りつつもどちらかと言えばジェネラリスト寄りな自分にとっても嬉しい時代が来たなと思っている。
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