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言語表現/思考 - ヨコヤマ談義その1(双極性障害/ASD/ADHD)

 こんにちは。本稿がヨコヤマの二つ目の記事であり、自分自身の記事の一本目になります。今回のテーマは双極性障害/ASD/ADHD当事者である僕の長所についての話です。できないことばかり見るのではなく、自分の好きなことや得意なことをして楽しく生きていくのが僕のモットーなので、第一回目はこのタイトル「言語表現/思考」です(ヲタク性や短所に関しては次回にでも書こうと思います)。

言語表現/思考 - ヨコヤマの得意分野

 自分で言うことではないかも知れないが、ヨコヤマは言語能力が平均より大幅に高い。これは入院した際行った心理検査ではっきり出ており、ADHD/ASD傾向のある者に生じる得手不得手の凸凹が平均よりも大きいことがわかっている。その中の大きな凸の一つが言語だった。
 具体的にどのような状態なのかというと、例えば映画を見ると表面的な映像以上の情報を感受する、音楽を聴きながら自分が名付けしたプレイリストに分類する(これはヲタク性も関係している)、建築設計課題の設計内容を言語で表現/思考する、会話している時にはまず結論/次に理由への流れを必ず行いSVOを欠かすことができない、などである。これらのことは普段の会話や映画のレビュー、このnoteの記事を執筆することに役立っている。
 とは言え言語能力は訓練すれば誰でも高めることができる。僕が企んでいる「けんちく学園」では言語能力を含めた総合的な表現/感受能力を鍛えるカリキュラムを作るつもりだ(「けんちく学園」構想参照)。

母親 - 遺伝的要因

 ここから先はあくまでヨコヤマの推測である。ぼくの母親は絵本や読みものなどの児童文学の翻訳者である。幼い頃から母親の仕事を見てきたぼくは、当然文学に関わる機会が他の人よりも多くなった。そのような経験的な要因なのか、それとも母親の遺伝という先天的要因なのかは定かではないが、言語能力に関しては確実に母親の影響を受けていることは間違いがない(父親からはヲタクを受け継いだ(教育された?))。

大学受験/大学 - 環境要因

 もう一つ経験的要因としてあることが二つある。一つ目は大学受験に関わって英語と現代文の訓練を積んだことである。元来の能力だけでなく、良質な文章に触れる多くの機会があった。今の自分の表現の2割ほどはこの時期に培われたものだと思っている。また、評論文を読み取って小論文を書くなど初歩的なアウトプットの訓練はここでなされた。
 二つ目は大学入学を契機に建築設計やプレゼンテーションの経験を積んだことである。今度はインプットではなくアウトプットの多くの機会を得たことだ。表現媒体はプレゼンテーションボードからエスキスのスケッチと口頭での説明など様々なアウトプットをした。これによって今の自分独自の表現が鍛錬されていった。

思考言語: 英語的日本語と建築 - 個性として

 受験では当然英語は必修である。そこで気がついたことは自分は英語的思考の方が合っていると言うことである(しかし英語を話すことはそれほど得意ではない)。単刀直入であり結論→理由のような展開は僕にとって気持ちの良いものだった。それゆえ僕の話す日本語はきわめて英語的である。このことがのちに卒論を執筆する際にぼくのピンチを救うこととなる(その話はいずれ)。
 また、ぼくにはもう一つ得意な言語がある。それは建築言語である。これはスケッチや空間など言語外の表現をベースとしながら、それらを言語化することによる建築言語も使う。これもASD/ADHDによる影響で空間認知能力が高いことが多少影響しているだろう。加えて単純な建築への深い好奇心がそれをドライブさせている。

思考と言語の次元 - 補足

 ヨコヤマの思考は次元別のレイヤー構造をになっており、常に扱う言葉の次元を意識している。詳しくは別記事のCreation Standardsシリーズで執筆予定であるが、簡単に説明すると大抵は高い次元(抽象度が高い)での思考をしていて、何かデザインしたり制作する時はその時々に応じた次元へ(具体へ)降りていくような作業をする。
 この利点は常に最終的なゴールを見失わないことだ。往々にして手段の目的化が起こってしまうのは、何かにのめり込むと自分の思考の次元が具体によってしまうからである。時々抽象の次元にも戻ってきて自分のことをメタ認知することが必要なのだ。このことに関しては「異なる次元の思考を並行させる - Creation Standards. vol. 7」に詳細を記述する。

次元を行き来する言語思考 - 総括

 上記の通り詳細は「異なる次元の思考を並行させる - Creation Standards. vol. 7」参照のことだが、以上のような要因からヨコヤマの思考は「Super Parallel」なものになっていて、どちらかというとメタ的視点に立っていることの方が多い。
 ただしこれは一長一短なのである。「Super Parallel」でメタ的視点に立つことで目的に関するアイデアは無限に出てくる。しかし何かを作り上げるときはきちんと具体のレベルまで降りていかねばならない。ヨコヤマはそれが苦手なのだ。そんなときは自分より具体度の高い仕事が得意な人と協働するのが良い。不得意は潰すのでなくアウトソーシングする方がみんな得をする。これからもそのようにして生きていきたいものだ。

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