【備前片上駅→伊部駅を歩く】番外編

番外編

 ここでは私が片上のことを調べるうえで参照した『片上町史』の内容をもとに社寺や出来事を紹介・考察します。

社寺

下の荒神

西片上字大東、国道の南にあり、之を「下の荒神」と云う。

 片上町史によると第一回で紹介した「荒神社1」は「大東下の荒神」のようです。下の荒神があるのでもちろん別の荒神もあります。「山の荒神」と言います。その「山の荒神」は大東のなかでも北側の山の裾にあるようです。

西片上字大東、山麓にあり、之を「山の荒神」と云う。石灯籠、文政十一年九月、世話人浄瑠璃連中、自然石に地神形に彫った手洗、文政九年二月、伊部焼唐獅子(明治時代)一対、小型石灯籠(文政九年八月)あり。

 どちらも同じ川の近くに置かれています。

大淵荒神

 同じく第一回で紹介した「荒神社2」についても説明がありました。

東片上字大淵、小山東南側登り口にあり、石の鳥井、文政六年三月、辨天講中とある

 荒神のある山は小山という名前なのでしょうか。

天神宮

東片上字天神にあり、宇佐八幡宮の末社。
祭神 菅丞相 祭礼 九月二十四、五日 勧請年記 不詳
官地 三畝二十七歩 平地 神供 五膳 祠官献 同頂戴
 祭礼には米二斗、神酒料産子より献候を祠官より調進、同頂戴
賽物 祠官受納  神楽料 一神子受納
 二神子は神楽流次第下向仕候、尤受納物無之候
禰宜、神人も出勤仕候
門松 二本 産子より立 祠官受納 歳木 六方 右同断
注連竹 二本産子より立、祠官受納 神職 片上村 松末三郎治
 当社安永三年迄は松本伊織構居中候得共同年同人より願上、私へ譲申候
禰宜    横山 源  吉
下神宮片上村 横山 甚右ヱ門
同    浮田 幸  八
東片上村天神宮
宝暦二申十二月
和気郡宇佐八幡宮御末社八幡宮、先年東片上に御鎮座にて御座候処、大破に及申時分、西片上村御相殿に奉成置候処、此度東片上村先年の社地へ御宮建立仕度、氏子一等奉願上奉候旨、大庄屋より伺出、 『撮要録』巻廿五
尚、棟札に、安永三年 建立者 東片上村中とあり。

俗信

キョウショウサマ

西片上、若林山の中腹にある石塔で、表面に「南無阿彌陀佛」とあり、側面に「正徳元年八月十五日、片上村中立之」とある。
尾川一二氏の談によると、昔播州から犬が人の首をくわえて来たので、そこへ村の人々が埋めて祀った。爾来のどから上の病気に霊験があると云うので、頭痛や歯痛の人が詣る。伝説によるとお夏清十郎で有名なお夏が片上の峠の茶屋で死んだと云われているから、或いはそれと関係があるのではないかとのことである。

若林は、法鏡寺と八幡宮の間にある山の少し北です。

 なぜキョウショウサマと呼ばれているのかもわからず、お夏清十郎の話との関りもはっきりと見えてきません。

ランドウサマ

東片上字塩谷、松原清治氏の竹藪の中に、高さ約四尺の豊島石の家型墓石があり、その銘に、「元和八年春時五日(右側)施主岩屋九兵衛(左側)」とある。之はランドウサマ(卵塔様の訛)といって、博労の神様として信仰されていた。

塩谷はこのあたりです。

 いかにも塩田をしてそうな名前です。
 そして豊島石(てしまいし)は香川県の豊島でとれる黒い石です。これを利用した家型の墓があると言います。これは岡山以外の地域ではだいたい祠などとして見られるものですが、岡山では墓として使われていたようです。そしてこの墓を「ラントウ墓」と言うそうです。ラントウ墓というと普通は卵型の卵塔墓を思い浮かべますが、ここでは全く形の違うものです。最上稲荷神社横にもありました。
 これが博労つまり牛馬の商人などに信仰されていたようです。