時任海斗

絵と文章を書いてます。

時任海斗

絵と文章を書いてます。

マガジン

  • 我孫子市滞在制作日記

    我孫子市でのアーティストインレジデンスの記録です。

  • コラム、日記

    絵とコラム

  • 絵と短編、詩

    絵と短いお話や詩

  • 線採集シリーズ

    身の回りの線を採集し組み合わせます

最近の記事

我孫子滞在 振り返り

4/22 〜 24は片付けや神戸での個展の準備がメインになったので詳しくは割愛し、滞在を振り返る。 レジデンスのきっかけ このレジデンスのきっかけは主催の晃南土地の中澤社長が私の作品を常設していただいている、銀座のFEELSEENというお店で購入してくれたこと。 その後同会場での個展で初めて出会い、会社で取り組んでいる我孫子の街創りにアートを取り入れたいという中で、一緒にやりませんか。というお話をいただいた。 そこでまず、駅前の店舗に飾るクリスマスツリーのオーナメントを

    • 4/19〜21 : 我孫子滞在日記

      4/19 今日は額装用の木材と梱包材を買いにコーナンプロへ、新入社員の方が車で連れて行ってくれた。我孫子が地元らしく、我孫子の良さを伝えたら喜んでくれた。 夕方からはライターの野中さんから教えてもらった船戸の森へ行って見た。コンパクトでとても綺麗に整備されている森で、人も少なくとても良い場所だった。ここは手賀沼公園と並んでお気に入りの場所になりそう。滞在先から15分という距離も良い。我孫子駅からだと20分くらいかな。木漏れ日が風に揺れて美しい夕暮れでした。 4/20

      • 4/16〜18 :我孫子滞在日記

        4/16 午前中は制作と散歩をした。 窓から見える桜の木もすっかり緑の葉になった。 そうするとタンポポが地面にたくさん咲いていることに気がついた。 桜の花ばかり見ていたのかもしれない。 展示の下見にラフォーレ原宿へ、我孫子駅から原宿まで乗り換えなしで行けることに驚く。 その後は渋谷にMount Eerieのライブを観に行った。Mount Eerieはアメリカのミュージシャンで以前はThe Microphonesという名前で活動していてインディー界隈ではレジェンド的な存

        • 4/13〜15 : 我孫子滞在日記

          4/13 我孫子市鳥の博物館へ行ってみた。 手賀沼沿いにある博物館でここは日本で唯一、鳥類について総合的に研究・展示する博物館らしい。 鳥の剥製の展示室が圧巻でした。コブハクチョウについての情報はあまりなかった。 この日は天気が良く、散歩日和だった。 4/14 今日は引きこもって制作をしたり事務作業行った。 コビアンという洋食屋さんに行ってみた。 オムライスが美味しかった。 4/15 事務作業を午前中は行い、午後からは東京に出かけた。 絵を教えてくれた木村先生の

        我孫子滞在 振り返り

        マガジン

        • 我孫子市滞在制作日記
          7本
        • コラム、日記
          20本
        • 絵と短編、詩
          25本
        • 線採集シリーズ
          10本

        記事

          4/9〜12 : 我孫子滞在日記

          4/9 (TUE) 朝から大雨と強風で、窓から見える桜が舞っていた。 夕方には雨も止み「アイスランディック・フラグメンツ」というドキュメンタリー映画の上映会に行くため、上野にある「マツノイチギャラリー」へ。我孫子から上野へはとてもアクセスが良く、乗り換えなしで45分くらいで着く。ここはお世話になっているFEEL SEENのディレクター村松孝尚社長のギャラリー。初めて伺ったけれど村松さんコレクションで彩られた空間に魅了された。H.P Franceを立ち上げた場所でもあり、「

          4/9〜12 : 我孫子滞在日記

          4/8 : 我孫子滞在日記

          今日は朝5時過ぎに起きて、朝の手賀沼を見に行った。人の少ない時間帯に行ったみたいと思ってなんとなく出かけた。 公園に着くと少し霧が出ていた。 そのうち向岸からどんどん霧が立ち込めてきて、幻想的な視界になっていった。 真白な世界に波の影だけがゆらゆらと揺れていて、それをずっと眺めていた。 釣り人に聞いてみると霧はよく出て、もっと濃いときもあるらしい。 向岸からきた霧は街を飲み込んでいった。 帰って制作をすすめつつ、晃南土地㈱の社員さんに50号のキャンバスを張るのを手

          4/8 : 我孫子滞在日記

          4/5.6.7 : 我孫子滞在日記

          4/5 4/5の早朝、夜行バスで東京に到着。その後上野→我孫子駅まで45分くらいの電車移動で我孫子市に到着。   この日は社員の方と打合せをして、ランチをして夜行バスなどの疲れも溜まっていたのでずっと寝ていた。 今回のテーマについてなんとなく話し、テーマは空白を作ることですかね。ということになった。 4/6 大阪から送った画材などが届く。まずは制作環境を整えようと思い、養生シートを敷き、自然光の入る場所に制作環境を整えた。 その後歩いて手賀沼まで行ってみた。手賀沼公園

          4/5.6.7 : 我孫子滞在日記

          我孫子市で滞在制作をしています。

          アーティストインレジデンスを2024.4/5 - 4/25の期間に千葉県の我孫子市でさせて頂いています。 アートを取り入れた街創りを行う晃南土地株式会社のA-lifeというプロジェクトの一環としてレジデンスを企画して頂きました。 このレジデンスは短期的な滞在中に何かしらの成果を求めるのではなく、長期的な目線で街とアーティストがどのように関わることができるかを探る試みです。 今回なにか生まれるかもしれないし何も生まれないかもしれません。日常に空白の期間を貰って、じっくり街

          我孫子市で滞在制作をしています。

          実際の世界

          私たちが見ている世界は、目というフィルターに写った情報を脳が解釈したもので、実際の世界に完全には忠実でないらしい。学生の頃にそれを授業で知って、脳を介さない「実際の世界」を想像しようとしていた。 その事を思い出す時、なぜか大学生の頃住んでいたアパートの絵が頭に浮かぶ。その事を学んだ時期と、住んでいた時期は違うはずだけれど、ベッドが部屋の半分を占めている、壁の薄い6畳の部屋が浮かんでくる。部屋には誰もおらず、窓から光が刺していて、埃が舞っている。 それは「想像しようとし

          実際の世界

          ブルーラインの先で

          20時に寝て23時に目が覚めた。 この後の時間をなんと呼ぼう。 牛乳を電子レンジで温める。 Bluetoothでスマホからスピーカに音楽を送る。 脱いだ靴下が床に落ちていて、 それがとてもとても黒く見えた。 黒を拾って籠に投げる。 電子レンジがチンと鳴る。 ヨラテンゴがAnd I'll find you thereと歌う。 ブルーラインの先で。

          ブルーラインの先で

          朝日を待つように

          布団を先に抜け出す。 冷蔵庫を開けると薄暗い部屋が照らされた。 鳥の声が聞こえてベランダを見に行くとコンクリートの街が青く染まっていて、みんなまだ寝ているのかなと思った。誰も起きて来なければ良いのにと考えていた頃の気持ちが蘇って胸が軋んだ。 私は朝日を待つように、暫くその場に立ちすくんでいた。

          朝日を待つように

          音を浴びる時

          ざぶざぶ 気配 ベール ほぼ常にシングルサイズで しんしんと冬が鳴る 音を浴びる時 生きていくこと 音を浴びる時 生きていくこと

          音を浴びる時

          私の夢はVJでフジロックに出演すること

          音楽が大好きだ。 そしてとても音楽家たちを尊敬している。私は絵を描くけど、音楽には敵わないとな思ってしまう。音楽は空間をねじ曲げるし、身体の中に侵入してくる程強く、そして一瞬で消えていく程儚い。これは坂口恭平さんも言ってたな。 そんなわけで会社員だった去年までは、ライブに行きまくっていた。年間30回以上はライブハウスに行った。 そしていつも、あのステージからの景色というのはどんな感じだろうと思っていた。自分の出す音楽、振動で湧くオーディエンス。観る側で十分幸福だけど、憧れ

          私の夢はVJでフジロックに出演すること

          丘の上

          考えごとをしていると、母が熱い柚子茶を運んできた。私は考えごとをやめて、窓の外を見た。外はすっかり暗くなり、家の窓灯りがぽつぽつとみえる。丘の上にある馬小屋の方に視線を移す。灯はなく、そこだけしんとしていた。でも、そこには確かに、生命の威厳が横たわっていることを感じた。

          現実へ

          新卒で入社し、5年続けた会社を辞めた。今後はアクセサリーブランドを中心に、絵も描くし、服もつくりたい。 会社に在籍中は、これで良いのかな?と悶々としながら続けてきたが、パートナーと出会い、アクセサリーブランドが成長してきたこと、昨年知人が亡くなったことで踏ん切りがついた。亡くなった知人は最後に「後悔のない道を選んでね」と言ってくれた。 5年前に最終面接で会長から「君は何か悩みを抱えてるんじゃないか?」と言われたことを思い出す。お手本の様な履歴書の内容という割に後半まで

          みんな上手くいきまくように

          みんな上手くいきまくように