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僕がライ麦畑でつかまえて

最近ビートルズをよく聴くのだけど、最初に聴いたのは中学の英語の授業で聴いた”イマジン”だったと思う(正確にはビートルズの曲ではない)。当時読んでいた、東野圭吾の”ナミヤ雑貨店の奇蹟”という小説にもビートルズを聴いている少年が出てきたのを覚えている。

安倍が射殺されたときも、ビートルズのリーダーのジョン・レノンがマーク・チャップマンに射殺されたのを思い出した。射手のチャップマンは"ライ麦畑でつかまえて"の(熱心的な?)読者であった。

僕が”ライ麦畑でつかまえて”と出会ったのは17歳の冬だったと思う。主人公のホールデンとは一つ違いだ。
内容は一度読んでほしいのだけど、簡単に紹介する。
成績不良でペンシー高校を放学となったホールデンは、寮のルームメイトと女の子を巡って喧嘩になり、寮を飛び出し故郷の街ニューヨークに戻る。そして、家に帰るまでの数日間ニューヨークの街を放浪する話だ。

”ライ麦畑でつかまえて”ではホールデンは子供の純粋な気持ちが良いこととされた、極端に言えば利他的なものが良しとされた。利己のために誰かを欺いたり、建前だったり、忖度だったりをインチキっていう。誰かに忖度して褒めたり。建前だけのありがとうだったり、ごめんなさいを言ったり。誰かの厚意を利用して利益を得ようとしたり。ホールデンはそれらに反対しており、そんな社会なら僕はこの社会の異物でいようと考える。

ペンシーでは土曜日の夕食はいつも同じ献立で、いちおう「ご馳走」ということになっている。ステーキが出てくるからだよ。千ドル賭けてもいいけどさ、それは日曜日に生徒の親がたくさん学校を訪ねてくるからなんだ。サーマー校長はこう考えたに違いない。母親たるもの、きっと最愛の息子に「ねえ。昨夜のご飯には何が出たの?」って尋ねるはずだってね。すると子供は答えるわけだ、「ステーキだよ」ってさ。そういうのってまったく詐欺みたいなもんだ。
キャッチャー・イン・ザ・ライ 村上春樹訳

ジョン・レノンは”イマジン”で何も所有しないなんて言っていた。欲張ったり飢えることも無いって。しかし、自分はいい家に住んで、美味しいものを食って安全な場所からそれで、貧困をなくそうだとか戦争をやめようだとか、なんて言ってることがチャップマンはインチキだと思ったのだろう。
それを世間に示すため、"ライ麦畑でつかまえて"が犯行声明文なのだろう。

ジョン・レノンが住んでいたダコタハウス 現在もオノ・ヨーコが住んでいる。

ホールデンは理想と違うこの社会(資本主義)のすべてが気に食わないが、自分も欲だったり(小さな見栄を張りたい気持ち)だったり負けて、嘘をついてしまう。
その理想と言うものは大人になるにつれ薄まっていき欲に塗れた汚いものになってしまう。

吉野・弓田 令和4年7月28日

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