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無政府協調組合主義と農村無政府主義

 無政府主義というものは破壊を行うだけで創造を想定していないのではないかと言われた。無政府主義者は自然発生的に社会が創造されることを想定している。しかし、自然発生的に生成された社会というのが現状であり、破壊のあとには必ず、新世界の創造が必要である。 そして破壊と創造には力が必要でありそれは"労働者階級"である。共産主義によるとその力はプロレタリアート(無産階級)の力である。しかし、私達の指す"労働者階級"と言うのは働いている者(例外に関する説明は省略する)を指し神聖な行為である労働を行う者たちを指す。プロレタリアート(無産階級)とは生産手段を持たない賃金労働者であり、"労働者階級"とは異なる。
マルクス主義でも、プロレタリア独裁を踏まずに無政府に移行しようなんていうのは不可能と説明されるように無政府に移行するにあたって現在の制度、体制を破壊して、そこで放置するとそれらはゾンビのように生き返り暴れ始めるだろう。それらを叩き潰すためには、強力な権力が強力な体制が必要なのである。
無政府主義者は"労働者階級"による独裁が必要である!
つまるところ資本の所有の有無に関わらず、愛によって団結した労働者による独裁である!
それらは自由を弾圧しない櫓である

無政府労働組合主義というのは労働組合に参加できない人を政治的に排除しているのではないだろうか? そのため、私は労働組合ではなく学生や主婦も参加した市民組合による直接民主制の無政府というのである。有名な言葉でいうと協調組合主義に近いものだろう。 隣人愛の相互扶助によって助け合うことによって必然的に抑圧である福祉や税金といったものは必要となくなる。 協調組合が結局のところ超国家主義や国家社会主義といった運動に迎合してしまったというが、それは結果論であり指導者自身の問題であり思想の問題ではないと思う。
注意してほしいことは社会主義者や無政府主義者や共産主義者が同じ目標に向かい結束した結果がファシズムそしてファシズム運動でありそれは必ずしも国家社会主義に終結するとは限らないということだ。協調組合主義がファシズム運動に終結したのは決して悪いことではない。理性と感情を妥協させ、ブルジョアとプロレタリアが妥協した国境も階級もない理想郷が出来上がるのはファシズム運動によってのみである。

右も左も行き着く先に相互扶助的なコミューン(それが都市の場合では組合主義になる)による無政府になるのではないか。

農村が都市によって搾取されているのは、三里塚や原発問題、ダム問題を見ればわかるであろう。 啓蒙主義的なそして帝国主義的な都市の資本家たちにより農村にむりやりに近代資本主義が導入させられ、それらに依存させる。それは農業の工業化であったり、分業化をおしすすめる行為であったり、農村への工場の建設であったりする。農村の家庭は現金収入が必要となり工場での過酷な労働や都市への出稼ぎが必要となった。 農村であっても近代資本主義から脱し各家々が隣人愛に基づく相互扶助で生活していくことで、それは抑圧的福祉や税金から脱することができるのである。そして、近代資本主義から脱するために自給自足というのが必要である。都市の住民の欲求は無限大であり、それは地方にダムを作り原発を作り、空港を作る。山を削り宅地を造成し、海を埋めてリゾートホテルを建設する。そして、その甘い蜜だけを吸い続け農村の悲鳴にはだんまりを決め込むである。
抑圧的福祉や税金というのは勝手に金を取って勝手に使うなという単純明快な話である。なぜ勝手に金を取って、払わなければ暴力に頼った差し押さえだったりが行われるのか!
国家の存在自体が抑圧的であることは常識であるが、その抑圧的が必要悪かと言われるとそれは人それぞれである。しかし、こちらの同意もなしに日本という枠組みにいると強制的に国家の一員とされる。そして、同意もしてないのに義務が課されるのである。もちろん、社会に依存していないからと言って、離脱ができるかと言われるとそれは戦争に頼らざる負えない。
それは、近年問題とされる暴力団のみかじめ料となんら変わりがないものである!

ジョン・レノンが歌ったように"人はみんな兄弟なんだって"であるからこそ、階級性を意識するのでなく生きていることによる平等が無政府主義なのだ。
吉野陽向

※この文章は随時書き加えていきます。

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