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労働者は祖国をもたないースターリン主義・毛沢東主義のナショナリズム性についてー

スターリン主義・毛沢東主義のナショナリズム性について

共産党宣言の中に”労働者は祖国をもたない”[1] という一文がある。
そのまま解釈すれば、祖国と言うのは近代国家、すなわち日本であれば日本国を指すとされる。つまり国家を否定する考え方である。しかし、国家を否定する考え方ではなく、"万国のプロレタリア団結せよ!"[1] と同じく労働者の国際性を強調しただけであるとの考えもある。

プロレタリア階級は、まずはじめに政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならいないのであるから、決してブルジョア階級の意味においてではないが、彼ら自身なお国民的である。[1]

国境も階級もない共産主義社会が完成するまでは現社会体制のもとで国境や民族は存在しており、それら”民族”や”国家”を無視して闘争を行うことは難しいとし、そして国内での政治的支配を獲得する前の民族や国家を無視した運動というものはアナーキズムの運動と同じ失敗をたどると説明される。労働者階級はまず国内で政治的支配を獲得し、その後それを世界中に"革命"を拡めていく。資本家の国の"祖国"と労働者の国での”祖国”は内容、階級性が異なり同じ”国家”であっても違う働きをするとさる。
レーニンは第一次世界大戦に自国に協力した各国の社会主義者を非難したが、労働者の国家であるソビエト連邦を守るべきだとした。
ソビエト連邦は「ソ連が労働者の祖国である」とし、国際共産主義革命の前衛として中核として各国の共産党に大会と委員会との決定には無条件的に"服従"すべきことを要求した。また、一国社会主義論に基づき一国社会主義を建設し五カ年計画で工業化を成功させ、資本主義国の攻撃からソビエト連邦を守ることも各国の共産党に1928年のコミンテルン第六回大会で要求した。[2] これは1933年にドイツで作曲された秘密の配備 (Der Heimliche Aufmarsch) の歌詞にも現れている。[3]
ロシア帝国では革命以前から民族対立があったがロシア革命で連邦制と民族自決権が認められバルト三国やポーランドはロシア帝国から独立した。
しかしスターリンはロシア民族のアイデンティティをソビエト連邦の少数民族に押し付ける傾向があった。例をあげるとウクライナでのホロドモールやグルジア問題などである。
その後、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まった。第二次世界大戦ではバルト三国やポーランド東部が併合された。それらスターリンの行動もその地域の人民や少数民族の意志に基づいて行われたと説明される。
独ソ戦ではスターリンは戦意昂揚のためソ連軍将兵の大半を占めていたロシア人の愛国心を利用し喧伝し始める。[4] また、ナポレオンのロシア遠征 (祖国戦争) に準えて大祖国戦争と呼んでいる。
スターリンは共産主義社会が完成するまでは現社会体制のもとで国境や民族は存在していることを一国社会主義に転化させ、一国社会主義をナショナリズムに転化させたのであろう。

文化共同体と国家(支配構造)というものは分離している、という考えもある。明治以前の日本では日本人(大和民族)であるという概念がなかった [5] ように、文化共同体に対しての愛着から生まれるナショナリズムも存在する。スターリンの定めた民族の規定には"言語、地域、経済生活、文化の共通性のうちにあらわれる心理状態、の共通性"[6] とあるように、それらは国家に対する愛着、服従から生まれる国家主義的ナショナリズムとは別であり民族主義にも感じる。
文化共同体に対する愛着から生まれるナショナリズムというものはつまり人家や農地の所有であったり、文化共同体(農村共同体)への所属意識[7] から生まれたものである。
地主から解放された中国の農民は今まで行っていた労働交換にレーニンの協同組合論を取り込み、共同労働に転化させ合作社という農村共同体を作り上げた。毛沢東はこれを基盤にした国家づくりを行おうとした[8] 。戦争とは政治であり、戦争を行うためには食料が必要である。そのため、農民の支持が必要であったのである。合作社は1958年に教育や軍事を統合して人民公社になる。スターリンのように農民を新農奴としてそこから搾取した金で工業化するのではなく、農民が主体となり農村を中心とした工業化をすすめる。農民の農地の所有、農村共同体の所属意識、また文化共同体に対する愛着から生まれるナショナリズムは大衆エネルギーとなり毛沢東はそれを利用したのであろう。また、毛沢東は実践論の中で教条主義を批判しており、実践の中で状況に応じ理論は臨機応変に変えていかないといけないと説いた。ナショナリズム性は毛沢東の日中戦争での実践の中で必要なものだとされたのであろう。

[1] マルクス エンゲルス 大内兵衛 向坂逸郎訳 (1951) 共産党宣言

[2] 菱山 郁朗 (1966) 構造改革論の思想的意義と現実的課題 一.社会主義とナショナリズム https://www.eda-jp.com/saburou/hisiyama/1.html

[3] Denn der Angriff gegen die Sowjetunion
Ist der Stoß ins Herz der Revolution.
Und der Krieg der jetzt durch die Länder geht,
Ist der Krieg gegen dich, Prolet-!
歌詞の中でソ連に対する攻撃は革命に対する攻撃であり、労働者階級に対する攻撃であると説いている。しかし、これはスターリンだけの考えではなく前述したようにレーニンやトロツキーも労働者の国家であるソビエト連邦を守るべきだと主張している。

[4] 廣岡 正久 20世紀のロシア正教会 チーホンからアレクシー2世へ https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/sympo/Proceed97/hiro.html

[5] 「民族」という漢字語は1880年代末頃の日本で、nation の原義を体現する訳語として創られたもので、それ以前東アジアに「民族」という概念(言葉)などなかったからである。1890年代の日本において「民族」という漢字語が創られてから、日本では国内の民族を表わす言葉・概念として「大和民族」「日本民族」「出雲民族」「天孫民族」という民族名が出現し、汎用されるようになった。
岡本 雅享 (2011) 日本人内部の民族意識と概念の混乱 福岡県立大学人間社会学部紀要 第19巻 第2号

[6] 上条 勇 (1993) オットー・パウアーの民族概念一マルクス主義民族理論の反省

[7] スターリンの云うところの”文化の共通性のうちにあらわれる心理状態”

[8] 加藤祐三(1976) 中国革命の農業 現代思想 1976 9

農村問題研究会 マルクス主義研究会 吉野 2022年10月21日

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