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「利用者さんが怖い」未経験から支援員になり、退職したけど戻ってきた大湾さんの話

こんにちは。
海邦福祉会、外部広報担当の三好です。

海邦福祉会で働く人シリーズ第2弾!ということで、海邦福祉会が運営する多機能型通所事業所「支援センターたかしほ」にやってまいりました。

実は私、前回取材した久保さんがとても印象的だったので、隆生さんに「久保さん記事をもう一本書きませんか?」と提案してみたんです。

すると「いやいや!面白いスタッフがまだたくさんいるから!彼らのこともぜひ取り上げて欲しい」とお返事が。

三好「ちなみにどんな方ですか?」

隆生さん「たくさんいるけど、たとえば一度辞めたけど戻ってきた人とか」「何度も辞めるって言って辞めない人とか(笑)」

三好「一度辞めた人とずっと辞めそうな人がいるんですか(笑)。そんな会社、なかなかない!」

それはぜひお話を聞きたい。
ということで、まずは一度辞めた方からお話を聞いてきました~。

未経験からパート採用!大湾さんと海邦福祉会の出会い

海邦福祉会には、知的障害のある方が就労するパン工場があります。工場ができて半年ほどの頃(なんと16年前!)、パートとして働きはじめたのが、今回お話を伺う「大湾美香(おおわんみか)」さんでした。

三好「元々福祉関係のパートを探しておられたんですか?」

大湾さん「いえ、全然!当時私は子育てが少し落ち着いたタイミングで、短時間働ける仕事を探してたんです。知人から良さそうなパートがあるよと紹介されたのが、海邦福祉会のパン工場でした」

隆生さん「それから3年くらいかな。パン製造のパートさんとして働いてくれてました。そんなとき、新しくパン屋さんをオープンすることになって。パン屋さんの立ち上げを手伝ってほしいという話がてら、改めて正社員どう?と声をかけた感じだったよね」

大湾さん「不安はありましたが、家族も応援してくれたし、頑張ってみようと正社員になることにしました。そこからは、ね。怒涛の日々でしたよね」

隆生さん「すごかったね。最初の1、2か月は特にやばかったよね。毎日残業。」

大湾さん「ほんとに。必死でしたよ。朝から晩までずっとパンのこと考えてました(笑)。だけど私にとって本当に大変だったのは、その後でしたね」

大忙しのパン屋立ち上げを経て、多機能型通所事業所の「生活介護」で生活支援員としてデビューすることとなった大湾さん。が、はじめての生活支援員は簡単なものではありませんでした。

大湾さん「当時どうしても苦手意識が拭えない利用者さんがいて。生活支援員の仕事がとてもストレスでした。何度も逃げられてしまったり、粗暴(暴力的な態度)があったり。正直、その方と対峙するのが怖いと思ってしまいました。」

三好「あの、ちなみに粗暴ってどう対応するのが正解なんですか?大人の男性から暴力の気配があると普通に怖いと思うのですが...」

隆生さん「対応というより、回避しないといけない。経験を積むと、なんとなく”来るな”というのが分かってくるようになるんです。そのタイミングさえ掴めれば、声をかけたり軽く肩に手を置くだけで防げるんですよ。言葉で教えづらいテクニックなので、習得するまでが大変ではあるんですけど...」

大湾さん「他の職員に助けてもらったりはしましたが、私は福祉の学校を出たわけじゃないし、資格も持っていないので、どんどん自信を失っていきました。同時に彼への恐怖が日に日に膨らんでしまって。」

隆生さん「またそういう人って、怖がってる社員に向かっていくんだよね」

大湾さん「そんな中で、パソコンで行う業務も増えたんです。パソコン作業がとても苦手だったので、若い人に何度も質問するのが申し訳なくて。自信のなさがピークに達して、私は迷惑ばかりかけている存在だと思うようになって。結局、正社員になって3年で辞めました」

やっと見つけた居場所を手放し、戻ることに

その後、身内の死別もあって塞ぎこんでしまったという大湾さん。
そんなとき、大湾さんを心配した友人から、仕事の紹介があったそうです。

大湾さん「ホテルの清掃の仕事でした。心が弱っているときは体を動かすのがいいよと勧められ、たしかにそうかもしれないと働くことにしたんです」

大湾さん「2年ほど働いて、チェッカー(客室清掃のチェック係)に上がったタイミングで、海邦福祉会のスタッフさんから電話がかかってきました」「人が足りないから、パン工場だけでもお願いできませんかって」

高志保園のパン工場

三好「なんて答えたんですか?」

大湾さん「海邦福祉会のことは辞めた後も気にはなってたんです。だけど今の仕事もあるし、家族の意見も聞きたいから、1か月考える時間が欲しいと伝えました」

その後、大湾さんは悩んだ末に結局海邦福祉会に戻ることを決意。ホテルに正直に自分の気持ちを伝え、退職を申し出たのだそうです。

大湾さん「ホテルからは人手が足りていないから困ると引き留められたんですけど、必死でお願いしました。お世話になってるんです、恩があるんです、お願いしますって。」

三好「そうまでして戻ろうと決められたんですね。正直、嫌な思い出が多いんじゃないかなと思っていました。恩というのは、どんなところに感じてたんですか?」

大湾さん「元理事長にパート時代から可愛がってもらってたんです。休みが少ないときは現場スタッフに『主婦なんだから休ませてあげなさいよ』と冗談交じりに声をかけてくれたり。とにかくたくさん気配りしてくれて。もちろん隆生さんと恵さんにもお世話になっていて、大好きなんです。同僚のみんなも。結局私はここが大好きなんです。家族みたいな存在なんですよ」

ここで働く人がかわいい。「私もこんな人間になりたい」

現在、大湾さんはパン工場のリーダーとして勤務しています。早い日は朝の5時から出勤し、パンの仕込みをしているとか。

大湾さん「戻ってからはパン工場をひとりで回すことになったので、最初の1年は緊張しました。だけど、一緒に働く子たちがかわいくて、今は毎日みんなに会うのが楽しみなんです。みんなね、一生懸命なんですよ。いつだってニコニコして、大湾さん頑張ったよ、今日も頑張るからねって。ピュアさに心が洗われます。私もこんな人間になりたい。」

パン工場の作業風景。みんな和気あいあいと作業しています

隆生さん「大湾さんは、みんなにとってお母さんみたいな存在だよね。いつ行っても大湾さんを中心にみんな笑ってるんですよ。歌ったり踊ったりしながら、のびのびと仕事を楽しんでる。そういう場をつくってくれているのは、本当にありがたいです。あと個人的に、僕の知らないところで親(元理事長)に恩を感じている人がいるっていうのも嬉しいね」

パン工場に通う方は、比較的障がいの軽い方だと言われていますが、それでもやはり、仕事を任せ、コミュニケーションをとるのが難しいシーンも多いはず。だけどみんな、不思議と大湾さんの言うことは聞くそうです。それは彼らに対して「こんな人間になりたい」と話す大湾さんの敬意が、しっかり伝わっているからじゃないでしょうか。

ホテルを退職するとき、大湾さんが「恩があるんです、お願いします」と頼み込んだという話に、私は目頭があつくなりました。そんな風に誠実に思いを伝えて辞めていく人、あんまりいないんじゃないかなぁ。そんな大湾さんだからきっと一度辞めたんだろうな。きっとたくさんご自身を責められたんだろうなと思いました。だけど自分で乗り越えて、今はパン工場のお母さんとして、みんなに慕われている。その事実がとても素敵だと思いました。

何度も自信がないとたくさん言っていた大湾さん。だけど取材中ずっと、私の目にはやさしくて強い人として映っていました。


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