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サマーブロンドと休む

 本作品はエイドリアン・トミネの短編を4つまとめたものだ。エイドリアン・トミネについては、以前、Sleep Walkという短編集を紹介した。まだ確認されていない方は、以下から是非確認をして欲しい。

 本作品に収録されているのは、(1)別の顔をした僕、(2)サマーブロンド、(3)バカンスはハワイへ、(4)爆破予告、の合計4つの物語だ。

 まず、(1)別の顔をした僕を見ていきたい。まず主人公は、以下のマーティン・コートニーという若手の小説家だ。マーティン・コートニーは、若くして成功した小説家であるが、次のヒット作が生み出せず悩んでいる。次のヒット作が出るまでは、有名人のエッセイのゴーストライターをやって食い繋いている(1つめの別の顔)。そんなある日、高校時代に憧れていた同級生と同じ名前の「サマンサ」という名前が書かれた手紙を受け取る。この手紙を頼りに、憧れの「サマンサ」の家を訪ねると、同級生である「サマンサ」の妹に会うことになる。この妹とはその後も何回も会うようになる。このことを親友には時に脚色をして話(2つめの別の顔)をしたり、付き合っている彼女には内緒にしたりする(3つめの別の顔)。

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 こうしてみてみると、ストリー展開が暗喩に富んでいて文学的な香りがする。絵もSleep Walkに掲載されている作品群よりは、荒々しさがなく落ち着いて読める。


2つめの作品は、本書のタイトルにもなっている(2)サマーブロンドだ。

カーロ

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ニール

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サマーブロンドのストーリーはざっとこんな感じだ。さえない男ニールは、モテ男のカーロに嫉妬する。ただ、ニール自身は何をするわけでもない。鬱屈した気持ちを抱えて生きている。カウンセリングなんかも受けているのだがニールの気持ちが晴れることはない。そんな中、ニールが憧れているお店の店員の女性がカーロに抱かれているところを見てしまう。嫉妬するニール。この物語でも、エイドリアン・トミネお得意の鬱屈した男の物語が、カーロと1人の女性を取り巻く環境とともに描かれている。そして、ニールとカーロと女性とその他の人物との距離感が絶妙で、それぞれがそれぞれで交わっているようで全然交わっていない感じがすごく興味深い。漫画というメディアであるが、村上春樹とか現代米国文学の系譜に位置付けても何も違和感がないストリー展開である。

3つめの作品は、(3)バカンスはハワイへだ。この作品は下記の1コマ目から強烈な印象だ。

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「主演 ヒラリー・チャン」というテキストと絵が1コマ目に用意されている。実際、この物語は、ジャンリュック・ゴダールの映画のように、節目、節目に印象的ないくつかの単語が提示された上でストリーが進んでいく。例えば、下記のような感じだ。

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これらの単語は、セリフだったり人名だったり、出来事をまとめたものだったりする。このようなコマが用意されることで漫画で映画をやっているような躍動感が生まれている気がする。

 ストリーについては、これもエイドリアン・トミネ節炸裂の、鬱屈した独身女性の物語だ。上記の2つの物語とも共通するのだが、ストリーの終わり方がハッピーエンドでもバッドエンドでもない余韻を残した終わり方でとてもよい。タイトルのハワイがストーリー上どのように扱われているかは、是非本作品を手にとってみて頂きたい。

最後の(4)爆破予告は、3つの作品と異なる。それは、さえない鬱屈とした主人公がいないのだ。確かに主人公は、友人が少なかったり、学校の同級生からからかわれるような、男友達や女友達しかいない。それでも、主人公は確たる自我を持ち、学業で遅れをとっているわけでもない。家族も離婚はいしているが、母には新しい彼氏がいて、思春期の複雑さをもってこれに直面しているが、鬱屈とした感じとも異なる。そんな4作目、もっとも印象に残っているのは最後のコマだ。

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 家庭や友人関係で複雑さを抱えながら、童貞高校生男子。意を決して、女の子に裸を見せてくれといって、女の子が裸になり、抱き合ったあとのこの表情。いわゆる非モテ男子ならば、首がもげるほどうなずき、共感をしたくなる、この表情に4つめの物語の全てが詰まっていると感じる。

このように、本作品は、4つとも捨て作品なしのとても面白い作品である。バンド・デシネの壮大なSFでも、超絶技巧系の漫画ともまた異なる、現代米国文学的な匂いのする、米国人漫画家エイドリアン・トミネの短編集、是非手にとって読んでみて欲しい。

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